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魂章 KONSHO  作者: しそれ
6/11

図書館

土曜日の朝は、静かだった。

目覚ましは使わない。代わりに、窓から差し込む光と、遠くで鳴く鳥の声が俺を起こしてくれる。


祖母の家。木造の二階建て。少し古いが、どこか落ち着く。

両親が死んでから、中学三年間をここで過ごした。今も学園の寮には入らず、ここから電車で通っている。


「朝ごはん、テーブルに置いといたよ」


台所から祖母の声がする。俺は返事をして、一階に下りた。

炊きたてのご飯、味噌汁、焼き魚と漬物。どれも素朴で、いつもと変わらない。


「今日も図書館?」


「うん、ちょっと調べたいことがあって」


「そうかい。無理はするんじゃないよ」


祖母はいつもそう言う。心配性だ。でも、それがありがたくもある。

両親を亡くしたとき、祖母は何も聞かず、ただ俺の隣にいてくれた。


俺は祖母の家を出て、少し肌寒い風の中、

歩いて十五分ほどの場所にある地域の図書館へ向かった。


街は、人であふれていた。

商店街の通り、カフェのテラス、駅の構内。休日の空気はどこか浮ついていて、

学校とは別の騒がしさがある。


耳を澄ませば、いろんな声が聞こえてくる。

魂章の話、進路の話、恋愛の話、笑い声、愚痴、噂。すべてが雑音のようで、時折、意味だけが脳に残る。


俺の右を歩く男は、赤い腕章をつけていた。

炎章えんしょう」。熱処理や救助活動、戦闘的分野に適性があると言われている。


左を歩く女は、額に淡い緑のひし形を浮かべていた。

森章しんしょう」。植物系の感知や癒やしの力を持つとされ、医療系志望が多い。


……魂章は、他人の人生を透かしてしまう。

本人の意思とは無関係に、周囲の目が色と形で“価値”を測ってしまう。

それがこの社会の、当たり前になっていた。


俺のような「分類不能」の者には、その目すら向けられないこともある。


(無価値、か)


小学校の頃から何度も通っていた場所だ。夏休みの自由研究、冬の調べもの、あるいはただ静かに過ごしたい日──子どもの頃の俺にとって、この図書館は、学校や家よりも安心できる居場所だった。


外観は古びたレンガ造り。最近こそガラス張りの閲覧スペースが増築されたけど、

正面の自動ドアの前に立つと、当時の記憶が自然と呼び起こされる。


中に入ると、木の匂いと紙の香りが混ざり合った、懐かしい空気が出迎えてくれる。

静かな時間が、ここには確かに流れていた。


静けさのなか、机にノートと参考書を広げる。

図書館の奥の席。周囲の机とは少し離れた角の一席。ここは小学校の頃から変わらない、俺の“指定席”だった。


魂章についての専門書を読む。

判定不能の割合、社会的な受容、歴史的な経緯、差別の変遷。

どれも感情を交えず、事実だけが書かれていた。


(感情を、排除して読む)


そう決めていても、時折、ページの間から抜け落ちるように感情がこぼれてくる。


──分類不能の魂章は、制度上、無価値とされる。

──社会的支援は存在するが、進路の選択肢は狭く、差別は根強く残る。


それでも、俺はここにいる。

そして、知識だけは、章の有無に関係なく吸収できる。


(俺には、それしかない)


ページをめくる音だけが、図書館の空間に鳴った。

やがて時間が経ち、午後の日差しが窓から斜めに射し込む。




帰り道、商店街を通ったとき、小さな路地裏の楽器店から音が漏れていた。

ピアノの音。どこかで聴いたような、あの旋律。


……いや、気のせいだ。

ここに彼女がいるはずはない。


だが、足は自然と音の方へ向いていた。

小さなガラス戸。閉じられたままの鍵。店内に人の姿はない。


(……また、聴きたい)


記憶の奥で、昨日の旋律が呼び起こされる。


──耳元で、心を揺らしたあの音。


俺はそのままガラス戸の前に立ち尽くし、しばらく音のない空間を見つめていた。




夕暮れが、街をゆっくりと染めていた。

家へ戻る道すがら、俺は何度も振り返ってしまう。

──何かを期待するように。


だけど今日は、ただの休日。

何も起こらず、誰とも話さず、静かに終わっていく一日。


それでも、そんな日にも、意味がある気がした。


俺はまだ、この社会で、ゆっくりと生きている。

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