やさしい花壇
校舎の裏庭へ向かう途中、
とじけんが鼻歌まじりに歩きながら、言う。
「なあ、記者ってけっこう楽しいかもな。事件でもないのに、誰かの話を聞きに行くって、なんかいいよな」
「……そうかもな」
頷きながら、かすかに花の匂いが混じった風を感じた。
「え、ここ裏庭ってことは……例の“秘密の花壇”ってやつか?」
「知らねえよ。誰にとって“例”なんだよ」
とじけんのテンションは朝からずっと高い。俺たちは放課後、校舎の裏手にある花壇の様子を見にきていた。カオリ先輩からの“こっそり取材”という指令のもと、新聞部の記念すべき初仕事である。
裏庭の花壇は、思っていたよりもずっと整っていた。
色とりどりの花が、木の枠で囲まれた小さな区画に咲いている。水が撒かれたばかりらしく、土はしっとりとしていて、花びらにも小さな雫が残っていた。
その中心に、誰かの姿があった。
しゃがみこんでジョウロを手にしている女生徒。髪を一つにまとめ、制服の袖を軽くまくっている。水の音に混じって、彼女の鼻歌が風にのって微かに届いてきた。
「ちょ、カナト! あれ見ろ、先輩だよ! かわいい系の!」
「こら、こっそり取材って言われたの忘れたのか。声デカい」
俺が慌てて制止する前に、彼女が顔を上げた。こちらに気づいたらしい。
「……あれ?」
視線が合った。
先輩は立ち上がり、ジョウロを土の上に置くと、少し戸惑いながらも俺たちのほうへ歩いてきた。
「君たち……新聞部?」
しまった、と思った。
だがとじけんは、笑顔全開でうなずいた。
「はいっ! 新入りです!」
(全然こっそりじゃない……)
俺が心の中で突っ込む間にも、とじけんはさらに続ける。
「さっそく部長から取材指令が出たんですよ。花壇の謎を探ってこいって! なので、もしよければ、お話聞かせてもらえませんか?」
「……ふふ。こっそりって聞いてたんだけどなあ?」
先輩はくすりと笑った。怒っている様子はない。
「まあ、ここまで来たってことは、きっと縁なんだろうね。少しだけなら、お話してもいいよ」
「ありがとうございます!」
少し緊張しながら俺が頭を下げると、先輩はしゃがみ直して、花の間に手を伸ばした。
「これ、全部ひより先輩が?」
「うん。……私、三年の三浦ひより。文化委員もやってるの。……正直ね、新聞部に見つかるの、もう少し先かと思ってたよ」
「えへへ、俺たち、探知能力高いんで」
とじけんが得意げに言うと、ひより先輩はまた笑った。
「昔、中学のとき……転校してきて、友達もいなくて、毎日、ひとりで中庭の隅に座ってたの。そんなとき、誰かが世話してた花壇があってね」
ひより先輩の声は、花壇に咲く小さな花みたいにやわらかかった。
「ただ、それを見てるだけで、少し元気が出たの。自分のためじゃなくて、きっと誰かのために咲いてるんだって思えて。……それが嬉しくて」
「だから今度は、先輩が誰かのために?」
「そう。こっそりね」
彼女は小さくウィンクしてみせた。
とじけんが小声で俺の肘をつつく。
「やべぇ……あれ、惚れるやつじゃね?」
「うるさい。あと声に出すな」
でも、少しだけ同意してしまった。
「名前は、記事に載せないほうがいいでしょうか?」
「うん、できれば。……花を見て元気になる子が、いつかどこかにいたら、それだけで十分だから」
ひより先輩は立ち上がり、そっと花びらを撫でた。
俺たちは静かにその場を後にした。
――新聞部、初仕事。
それは騒がしいでも華やかでもない、小さな「やさしさ」を見つける取材だった。




