エピローグ ~『後宮画師はモフモフに愛される』~
紫蘭が息を吹き返してから数日が経過した。
雪華は鏡の前で身支度を整えながら、微かに聞こえる小鳥の囀りに耳を傾けていた。
(紫蘭様、元気になっているでしょうか……)
襟元を整えると、軽く息を吐いて部屋を後にする。
廊下に出ると、朝露の香りが漂い、ひんやりとした空気が雪華の肌を包み込む。廊下を進むと、その先に見知った顔が見えた。
「紫蘭様、おはようございます」
「おはよう、雪華」
「もう歩けるようになったのですね」
「おかげさまでね。筆を握れるくらいには回復したから、仕事にも復帰できるわ」
紫蘭は小さく微笑む。その嬉しそうな表情に、雪華も笑みが溢れた。
「雪華にはまた救われたわね。改めて、ありがとう」
「私は私のできることをしただけですから」
「それでも感謝したいの。あなたが罪を暴いてくれたおかげで、邪蓮とも仲直りできたんだもの」
紫蘭の目が遠くを見つめるように揺れると、少しだけ声を落として続ける。
「もっとも、無罪放免とはいかなかったわ……」
「重罪になりそうなのですか?」
「いえ、被害者の私が減刑を求めたから。おかげで罪は軽くなるそうよ」
未遂で終わったとはいえ、命を奪おうとしたのだ。懲役は覚悟しなければならないだろうが、生きてさえいれば、いずれまた再会できる。その日が訪れるのを期待するかのように、紫蘭の表情は穏やかだった。
「趙炎様はどうなるのでしょうか?」
「共犯とはいえ、利用されていただけだから。服役の日数は首謀者の邪蓮より短くなるそうよ」
「そうですか……」
趙炎が協力したのは、邪蓮が心の拠り所になっていたからだ。信奉している彼女に心を操られた彼は、ある意味で被害者だからこその判決だった。
(それでも当分は牢屋生活ですから。きっと反省してくれますよね)
もう二度と過ちを犯さないで欲しいと心の中で祈る。その願いが叶うかどうかは、彼の心根次第だろう。
「これから私は画房に行くわ。雪華はどうするの?」
「私は休日ですから。承徳様と一緒に街へ出かける予定です」
「もしかして逢引?」
「友人同士の交流ですよ」
雪華のその答えに、紫蘭はおかしそうに笑みを深めると、少し髪を整えるような仕草をしながら手を振った。
「なら邪魔しちゃ悪いわね……また明日、画房で会いましょう」
そう言い残して、紫蘭は去っていく。倒れていた間、絵を描けなかった遅れを取り戻そうと、その足取りは早い。背中はすぐに見えなくなった。
(紫蘭様は本当に頑張り屋さんですね)
改めて尊敬の念を抱きながら、雪華は気を取り直して廊下を進む。やがて門の前まで辿り着くと、立派な馬車が止まっていた。傍には承徳の姿があり、柔らかな笑みを浮かべている。
「お待たせしました」
「私も今来たところさ。さっそく出発しようか」
「はい」
承徳と共に馬車に乗り込むと、御者が扉を閉める。車輪の音がカラカラと規則的に響き、揺れが雪華の体に心地よく伝わる。
窓の外に目を向けると、後宮の庭園が徐々に遠ざかり、街の景色が広がり始めていく。通りを行き交う人々は活気に満ち、商店からは呼び込みの声が聞こえてきた。
「ここからもう少し進めば、お祭りの会場だ」
「皆さん、活気付いてますね」
「九尾の狐を祀るお祭りだからね。豊穣を願うために、遠くからも人が集まる人気の伝統行事なんだ」
馬車がさらに進むと、大きな門が目に入り、その上には『九尾祭典』と記された垂れ幕が揺れている。
門の前では狐の耳や尻尾で仮装した人たちが溢れ、笑顔で会話を楽しんでいた。
馬車が止まり、扉を開いて承徳は地面に足を付ける。彼に手を引かれて雪華も降り立つと、眼の前の光景に思わず息をのむ。
屋台が軒を連ね、焼き団子や飴細工の香りが漂っている。舞台では狐の仮面を付けた踊り手たちが軽やかに舞い、拍手や歓声をあげていた。
「ここまで来た甲斐があったね」
「ですね」
雪華たちは石畳の道を進む。活気に揉まれながらも、多様な屋台を楽しんでいた。
すると、その内の一つ、遊戯の屋台で足を止める。
「これは……」
「投壺だね。壺に輪っかを投げ入れて、成功すると景品が貰えるんだ。簡単そうに見えて意外と難しいんだよ」
「それは試してみたいですね」
雪華は店主に料金を支払い、さっそく輪を投げる。だが上手く壺の中に収まらない。落胆していると、承徳が微笑む。
「初めてだと難しいさ。私が手本を見せよう」
承徳は店主から輪っかを受け取ると、壺に向かって放り投げる。その動作は優雅であり、美しい弧を描きながら、見事に壺の中に収まった。
「やりましたね!」
雪華が拍手を送ると、店主も笑顔で景品を渡す。
「商品は狐の帽子になります」
渡された帽子はふわふわとした毛並みが特徴の愛らしいデザインだった。耳がピンと立ち、手触りも柔らかで、どこか温かみを感じさせた。
「せっかくなので被ってみるのはどうでしょうか?」
「私がかい?」
「承徳様なら、絶対に似合うと思いますから」
承徳は帽子を手に取り、軽く眺めてから頭にそっと乗せた。帽子のモフモフとした毛並みが彼の黄金の髪と上手く調和しており、彼の顔立ちの良さをさらに引き立てていた。
「どうかな?」
承徳は少し照れたように訊ねる。雪華は優しげに微笑み、ありのままの感想を伝える。
「とても良くお似合いですよ」
「そう言ってもらえると、少し恥じらいが抑えられた気がするよ」
二人は穏やかに笑い合う。そして承徳は雪華の瞳をまっすぐに見つめながら、小さく息を吐いた。
「君といると、とても楽しいよ。これからもずっと雪華と一緒に過ごしたい」
その言葉を聞いた雪華の頬はほんのりと赤く染まる。だがすぐにいつも通りの穏やかな笑みを取り戻した。
「私も……承徳様と一緒にいたいです」
二人が交わした言葉が友情なのか、愛情なのかは敢えて確認しない。重要なのはお互いに大切に想い合っているという事実だ。
帽子を被った承徳は、狐に負けないくらい愛嬌のある表情で雪華に微笑みかける。後宮画師はモフモフに大切にされながらも、幸せな日々を過ごすのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
これにてエピローグ終了となります
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