第四章 ~『思いがけない再会』~
街を包む空が茜色に染まり始め、日没が迫っていることを告げていた。建物の影が浮かび上がり、その中で佇む人々の姿は、どこか幻想的である。
風は少し冷たくなり、昼間の活気に包まれた空気が静寂に変わっている。屋台は閉める準備を始めており、屋台主たちの笑い声や、常連客とのやりとりが耳に届いた。
「夕暮れの街も悪くないね」
「風情がありますよね」
雪華は承徳と共に石畳の道を歩く。二人は遠くを見据えながら、一日の出来事を思い出して口元に笑みを湛えていた。
「楽しい一日でしたね」
「こんなに充実した休日は、私にとっても初めてだったよ。雪華と過ごせたおかげだね」
その言葉には飾り気のない感謝が込められており、雪華の胸にじんわりとした温かさが広がっていく。
気づけば足音も軽やかになっており、隣を歩く承徳もその様子に気づいたのか、微笑みながら歩調を合わせてくれる。
やがて、二人は通りの角を曲がる。するとミステリアスな雰囲気に包まれた女性が客を待つ屋台が目に入る。
二十代中頃ほどの女性は端正な顔立ちだが、その目元はどこか鋭さが感じられた。黒を基調とした外套に包まれ、首元では真珠のネックレスが輝いている。
彼女の前には小さな台が置かれ、その上に黒布が広げられている。布の中央には木箱があり、一匹の蛇が静かに顔を覗かせていた。
「無料で構わないから、占いを試してみない?」
占い師が柔らかな声で語りかける。その声音にはどこか誘惑するような響きが含まれており、その眼差しはまっすぐに二人を捉えている。
「占いですか……」
「この子があなたたちの運命を見通してくれるの」
占い師の手が滑らかに動き、木箱の中の蛇に触れる。すると飼い主の期待に応えるようにトグロを巻いて、高く頭をもたげた。
「やってみる価値はあるかもね……」
承徳が占い師をジッと見つめながら、穏やかな声でそう呟く。その言葉の意外性に雪華は驚きで目を見開く。
「承徳様は占いを信じないタイプだと思っていました」
「普段ならね。でも彼女なら当たるかもしれない」
承徳の声にはどこか確信めいた響きが含まれていた。
(何か根拠があるのでしょうね……)
承徳を信頼し、雪華は占い師の提案に乗る。
「では始めるわね」
了承を受け取った占い師は丸みを帯びた小さな石を幾つか取り出し、布の上に並べていく。それぞれの石には象形文字が刻まれており、光を受けて僅かに艶を放っている。
「この子があなたたちの未来を導くわ」
占い師が手を軽く振ると、蛇が幾つかの石をかすめながら進み、やがて二つの石の間で静止する。
占い師はそれを見て微笑み、優しく頷く。
「お告げが出たわ。二人の相性は抜群よ。お互いを支え合い、高め合う関係を築ければ、素晴らしい未来が待っているわ」
その言葉に雪華は少し頬を赤らめ、承徳は静かに微笑む。二人の間に柔らかな空気が流れた。
「あの、もう一つ占ってくれませんか?」
「構わないわよ。何を占って欲しいの?」
「私が画師として成功できるかどうかを知りたいのです」
その願いを聞いた占い師は眉間に皺を寄せる。それまで穏やかだった表情が険しさを帯び、それを感じ取った蛇が木箱の中に帰っていった。
「画師がお嫌いなのですか?」
雪華の問いに占い師は目を伏せる。小さく息を吐いて冷静になると、雪華を見据えた。
「……画師そのものが嫌いなわけではないわ。ただ私が世界で最も嫌いな女が画師なの」
その声には神秘的な雰囲気を吹き飛ばすほどの重々しさが含まれていた。
「私も知っている人でしょうか?」
「画師の界隈では有名なはずよ。なにせ後宮に招かれるほどの才人だもの」
「――ッ……もしかして、紫蘭様ですか?」
「あの女を知っているの!」
「同僚ですから」
雪華の回答に、占い師は怒りで歯を食いしばる。震える手を台に叩きつけると、殺意を込めた視線を彼女に向ける。
「ここから今すぐ立ち去りなさい!」
突然の態度の変化に雪華は戸惑う。彼女の肩に承徳がそっと手を置き、首を横に振った。
「帰ろうか」
「そうですね」
(因縁が気になりますが、話を聞ける雰囲気でもありませんからね)
雪華は頷いて、占い師の元から去る。背中越しに隠そうともしない怒りを感じ取ったが、振り返ることはしなかった。
夕焼けが二人の影を長く伸ばし、足元で静かに揺れる。屋台から少し離れたところで、雪華はふと立ち止まって、小さな声で切り出した。
「承徳様は先程の占い師をご存知なのですか?」
「雪華はさすがだ。よく見ているね。彼女――邪蓮は後宮内でも有名人だからね」
「ということは、女官なのですか?」
「ああ。だから紫蘭との確執もそこで生まれたのかもね」
同じ職場で働いているのだ。揉め事があったとしても不思議ではない。だがそれとは別にある疑問を抱く。
「どうして、女官でありながら街で占いをしているのでしょうか?」
「そういう者は少なからずいるよ。小遣い稼ぎや、経験のためなど理由は様々だろうけどね」
「邪蓮様はきっと後者ですね」
「街に出て、多様な人々と接することで、自分の技術や感覚を磨いているのだろうね」
後宮だけだと占う相手も限られるが、街なら老若男女を占える。料金が無料だったのも、邪蓮が金目的ではないからだろう。
そのような考え事をしていたからか、雪華は不意に人とぶつかってしまう。よろめいて倒れそうになるが、承徳がとっさに腕を伸ばして支えてくれる。
「不注意で失礼致しました」
起き上がった雪華は謝罪を口にする。だがその視線の先にいたのは、見覚えのある仇敵の顔だった。
「趙炎様……」
「雪華!」
趙炎もぶつかった相手が雪華だと分かり、驚きで眉を顰める。
「雪華がどうしてこんなところに?」
「私は街の散策をしていただけです。趙炎様こそ、どうしてここに?」
「俺は仕事で買い付けだ」
「お仕事ですか?」
雪華と別れた後、どこで何をしているのか気にはなっていた。その問いに、趙炎は喉を鳴らして笑う。
「聞いて驚け。実は後宮に拾われてな。男として大事なモノは失ったが、俺は権力者になったんだ。雪華のような客人とは違う。正式な宦官だぞ」
「そうですか……」
「驚かないのか?」
「私も正式に女官として働くようになりましたから」
「なんだとっ!」
趙炎は目を見開いて、驚きと怒りを混ぜた声をあげる。顔を赤く染めながら、唇を震わせた。
「だ、だが、俺より立場は下だろ?」
「それは分かりませんが……」
「ふん、そうに決まっている。もし後宮で見つけたら、虐めてやるから覚悟しろよ」
物騒な発言に雪華は表情を曇らせるが、隣りにいた承徳が軽く笑い声をあげる。
「いや、失敬。あまりに君が愚かでね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。雪華は後宮に招かれている。後宮内でも一目置かれる立場だ。一方、君の名は聞いたことがない。幹部候補や実力者なら名前は自然と広がるものさ。つまり現時点では雪華の方が君より遥か上ということさ」
承徳の正論に趙炎の顔が真っ赤になる。悔しさを噛みしめると、それ以上の言葉を発することなく、その場から逃げ去ってしまう。
「あれで良かったのでしょうか?」
「無礼者にはあれくらいして構わないさ」
「まぁ、そうですね。あの人には以前、酷い目に合わされましたから」
「酷い目?」
承徳の問いに、雪華はありのままに過去の出来事を話す。その話を聞くに連れて、彼の表情は険しくなり、瞳に怒りが浮かんでいった。
「もし何かされそうになったら、私が力になるから。いつでも頼ってほしい」
「承徳様がいてくれれば百人力ですね」
彼の頼もしさに雪華の心は少し軽くなる。
夕焼けが街並みを照らす中、二人は再び歩き出す。雪華の胸の内からは不安が消え、その足取りはいつも以上に軽くなるのだった。




