第四章 ~『呉服屋での逢引き』~
この日は待ち望んでいた休日だった。日中の陽光が柔らかく街を照らし、青空の下には活気が満ちている。
雪華は承徳と共に人々で溢れる目抜き通りへと足を踏み入れる。両脇には見渡す限りの屋台が軒を連ねており、その内の一つに目を留めると、竹で組まれた簡素な台に商品の簪が並べられていた。
「街はやっぱり賑やかだね……雪華は人混みが苦手ではないかい?」
「意味もなく人が多いと苦手ですが、この街のように元気な人が多いとむしろ好ましいと感じます」
「分かるよ。私も同じだ」
「私達、似たもの同士ですね」
笑い合う雪華たち。すれ違う人々も口元を緩ませながら、賑やかな街並みを楽しんでいた。
そんな二人が同時に足を止めたのは、湯気が立ち上る饅頭屋だった。いくつもの籠が重ねられ、ふっくらとした饅頭が顔を覗かせていた。
「いらっしゃい、熱々の饅頭はいかがかな?」
饅頭屋の店主は小柄な老人で、気さくな笑顔を浮かべていた。
雪華は目を輝かせながら籠の中を覗き込む。形は大小様々だが、どれも手に取りたくなるような魅力があった。
「こんなに種類があるんですね」
「こっちは肉饅頭で、そっちは野菜の饅頭かな」
「小豆の饅頭もありそうですね」
饅頭の皮に押された焼印から、その饅頭の種類を察せられた。どれにしようか迷っていると、隣の承徳が助言をくれる。
「この店なら肉饅頭が評判だよ」
「食べたことがあるのですか?」
「何度かね」
「承徳様の舌なら信頼できそうですね……肉饅頭を二つ、いただけますか?」
雪華の注文を受けて、店主の老人は手際よく籠の蓋を開ける。香ばしい匂いが漂い、鼻先をくすぐる。
「熱々だから気をつけてね」
竹紙に包んで渡された饅頭を受け取ると、手の平に温かさが伝わる。雪華は一口齧ると、驚いたように目を丸くした。
「皮がもちもちしていて、噛むと肉汁が溢れてきます。さすが、承徳様が勧めてくれた品ですね」
「味覚も雪華と似ていたおかげだね」
承徳も笑みを零しながら口を付ける。上品に饅頭の味を堪能する姿は、それだけで絵になっていた。
「やっぱり最高だね。堅苦しい宮廷料理とは大違いだ」
「……宮廷料理ですか?」
まるで普段から食べ慣れているような口振りに疑問を抱くと、承徳は僅かに狼狽する。
「あ、いや、気にしないで欲しい。以前に食べたことがあってね。思い出しただけだから」
「そうですか……」
疑問は解消されないままだが、問いただす必要もない。それに今は肉饅頭の方が優先だ。その味を最後まで堪能した雪華は、視線をさらに通りの先へと向ける。
屋台の連なりが少しずつ途切れ、その奥に見えてきたのは、より落ち着いた雰囲気の店舗街だった。
屋台の喧騒とは対称的に通りの幅は狭く、毅然とした建物の並びが目に入る。
「この近くに私の馴染の呉服屋があるんだが、よければ一緒にどうかな?」
「もちろん、喜んで」
まだまだ承徳には謎が多い。彼の秘密の一端を知る良い機会になるかも知れない。
通りを進むと、店舗の中で一際に目を引く建物の前まで辿り着く。繊細な彫刻が施された扉を押し開けると、店内からふわりとした布の香りが漂ってくる。
壁一面には、色鮮やかな絹が並べられ、それぞれの布地には花や鳥などの刺繍が施されている。
店の奥では熟練の職人達が布を裁断し、針を動かしている。真剣な表情が、この店の品物が一級品であることを物語っていた。
雪華が呆然と布地を眺めていると、奥から若い女性店員が軽やかな足取りでやって来る。
顔立ちは整っており、髪を短く切り揃えている。その目は真っ直ぐに承徳へ向けられており、明るい笑顔が浮かんでいた。
「承徳さん、お久しぶりです。最近、お店に来てくれないから心配していたんですよ」
その声は弾んでおり、特別な人物を出迎えるような礼儀正しさと親しみを感じさせるが、その視線が雪華に向けられた瞬間、見て分かるほどに表情が曇る。眉が寄り、唇が小さく引き締められたのだ。
その変化は一瞬のことではあったが、雪華は確かに見逃さなかった。心の中に小さな違和感を抱く。
「雪華に似合う服を紹介してもらえないかな?」
「この方は……」
「私の大切な人さ」
承徳の回答に女性店員は顔を強張らせるが、すぐに作り直す。雪華を一瞥してから奥の棚へと足を向けた。
しばらくして、女性店員が戻ってくると、その手には趣味の悪い派手な服が掛けられていた。
赤を貴重に、大胆な金の刺繍が施されており、目が痛くなるような装飾は上品さとは程遠い。着る場面が限られるデザインだった。
「地味なお客様には、これくらい華やかな方がよろしいかと」
女性店員は満面の笑みを浮かべているが、その言葉には明らかな敵意が込められていた。
雪華は自分の好みとかけ離れたデザインを提案されて唖然とする。何も言えなくなる中、雪華の困惑を受けて、承徳が一歩前に出る。その目は冷静だが、瞳の奥には怒りの炎が宿っていた。
「もしかして私の友人を馬鹿にしているのかな?」
「あ、いえ、その……」
「来る店を間違えたようだね。二度と来ないようにするよ」
穏やかだが、威厳のある声に女性店員は喉を震わせる。そして、次の瞬間には膝を折っていた。
「だって……だって……羨ましかったんだもん!」
泣き始める女性店員。その騒ぎを聞きつけて、奥から白髪の女性店主が慌ただしくやって来る。周囲にいた他の従業員から事情を聞くと、やや恐縮した様子で頭を下げた。
「申し訳ございません。この者は以前からお客様に憧れていたようで……私が代わりに接客をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
承徳は雪華に目配せする。その意図を察した彼女が頷くと、承徳は謝罪を受け入れた。
泣き崩れる女性店員は同僚に支えられながら店の奥へと下がっていく。嗚咽の声が徐々に遠ざかり、やがて店内は静寂に包まれていく。
「気を取り直して、雪華に似合う服を見つけてくれるかな?」
「それでしたら、一つ提案がございます」
「提案?」
「雪華様は素材がよろしいですから。私に仕上がりを任せて欲しいのです」
その言葉に雪華は僅かに戸惑うが、やがて静かに頷く。
「では、雪華様は私に付いてきてください。承徳様はこちらでお待ちを」
店主が一礼すると、雪華はその背中を追いかけて奥の部屋へと足を踏み入れる。柔らかい光が差し込む空間には試着室が用意されており、壁際には多彩な服が掛けられていた。その中でも特に淡い青の袍服に視線を奪われる。
「こちらの服を気に入られましたか?」
「とても好みのデザインでしたから……」
「では、どうぞお着替えください。きっとお似合いですよ」
店主が丁寧に服を手渡してくれる。その布地は滑らかで柔らかく、触れるだけで上質さが伝わってきた。
(本当に私が着ても良いのか不安になるほどに見事な品ですね)
試着室に足を踏み入れると、雪華は着ていた服を脱いでから、手渡された服の袖に腕を通していく。布地は自然と体に馴染み、包まれるような心地よさがあった。
着替えを終えて、試着室を出ると、店主が優しく声をかけてくれる。
「やはり私の目に狂いはありませんでしたね。とても素敵ですよ」
「服が立派なおかげです」
「ただこれだけでも十分にお似合いですが、最後に少しだけ化粧を施して、魅力をさらに引き立てるとしましょう」
そう口にした店主は化粧道具を用意する。雪華の頬に薄く紅を差し、ほんのりとした粉の香りを漂わせて、手際よく仕上げていく。
「これで完成です。どうぞ鏡をご覧ください」
雪華は恐る恐る鏡を覗き込むと、そこに映る自分を見て、思わず息をのんだ。絹の柔らかな光沢が白磁の肌を輝かせ、控えめな化粧が顔の輪郭を繊細に際立たせている。内面に秘めた美しさを見事に引き出されていた。
「これが……私?」
驚きと感動の入り混じった声が自然と言葉になる。
「雪華様は磨けば輝く原石でしたから。承徳様にもこの美しさを披露しましょう」
店主に促されるままに、雪華は奥の部屋から姿を現す。美しさを纏った雪華が静かに歩みを進めると、その光景に承徳は視線を奪われる。
「とても似合っているよ」
承徳が静かに発した一言には、飾り気のない感動が込められており、その視線はまっすぐに雪華を捉えて離さなかった。
「あ、ありがとうございます」
雪華は少し驚いたように応えると、頬を紅潮させながら視線を落とす。こんなにも率直な称賛を受けることに慣れておらず、恥じらいが表情に現れたのだ。
「でも、これは素敵な服のおかげですから」
「いいや、それだけじゃないさ。雪華自身の魅力も大きいよ。君に似合う服をプレゼントできて、私も嬉しい」
雪華はその言葉に驚き、慌てて首を振る。
「このような高額な品を頂くわけには参りません!」
「君ならそう言って遠慮すると思っていたよ。だからね、料金はもう支払ってあるんだ。どうか受け取って欲しい」
雪華はその言葉に口を閉ざす。胸の内に感謝と同時に申し訳なさが渦巻いていたからだ。
だがそんな雪華の背中を、店主が押してくれる。
「雪華様、殿方の優しさは素直に受ける取るのが良い女ですよ。人生の先輩としてのアドバイスです」
その一言は雪華の心の迷いを解きほぐしてくれた。親切には拒絶ではなく、感謝で返すべきだと気づいたからだ。
「では、お言葉に甘えますね。このお礼は必ず返しますから。期待していてください」
「楽しみにしているよ」
承徳は満足げに微笑む。優しい空気に包まれた二人は、心を温かく満たすのだった。




