第三章 ~『事件の真相と彫師の涙』~
宿舎の中で調査を終えた雪華は扉を押し開ける。外に出ると、眩しい昼の光が目に飛び込んできた。
中の重苦しい空気とは対象的に外の空気は澄んでいて軽やかだった。これは先程まで集まっていた野次馬たちが消えたことが大きな要因だろう。
(中に入れないから諦めたのでしょうか?)
宿舎の外壁を眺めていても楽しいことは何もない。雪華は少しだけ肩の力を抜くと、承徳と共にその場を後にした。
回廊を通り抜ける風が少し冷たさを帯びて心地よい。おかげで頭の中の推理を整理できた。
承徳が真相について問いかけてこないのも、雪華に集中する時間を与えるためだ。そんな彼の優しさに感謝しながら歩みを進めていると、数分後、雪華たちは画房の前まで差し掛かる。すると中から耳をつんざくような声が響いてきた。
「この人殺し!」
「だから私は殺してないわ!」
女性二人の声がぶつかり合い、怒りが建物の外まで伝わってくる。その声の主が紫蘭と玲瓏だと気付いた雪華は迷うことなく画房の扉を開けた。
中に入ると、紫蘭と玲瓏が互いに一歩も譲らずに睨み合っていた。紫蘭の顔には怒りと悔しさが滲み、拳を硬く握りしめている。一方、玲瓏は冷笑を浮かべて、余裕を装いながらも、瞳に挑発的な光が宿っていた。
そんな二人の間に割って入るように宥めているのが静慧だった。両手を広げて、壁を作るような姿勢を取っている。
「二人共落ち着け」
静慧の声でも止まる気配はない。雪華も二人の喧嘩を仲裁するために駆け寄った。
「喧嘩は止めてください!」
「私の恋人が殺されたのよ! 黙っていられるはずないでしょ!」
「だから私は犯人じゃないわ」
「嘘を吐くのもいい加減にしなさい。状況から見ても、絶対にあなたが犯人で決まりよ」
決めつけるような玲瓏の口ぶりに、紫蘭は唇を噛み締める。そして震える声を絞り出した。
「私は本当に無実よ……」
「言い訳は聞き飽きたわ。どうせすぐに判決は下される。そうなったら、あなたは檻の中。その無様な姿を見て、私は溜飲を下げさせてもらうわね」
「うぐっ……」
玲瓏の言葉は容赦がなかった。紫蘭は目を見開き、言葉を失ったまま、その場に立ち尽くす。
そんな彼女を庇うように、雪華は一歩前へと踏み出すと、確信に満ちた声で宣言する。
「紫蘭様は犯人ではありません。この事件の真犯人は別にいますから?」
「そんなものいるわけが……」
「玲瓏様、あなたです」
玲瓏はその言葉を聞くと、表情に一瞬の動揺を走らせてから、鼻で笑う。
「はぁ? 私が犯人なわけないじゃない! 証拠もないのに勝手なこと言わないで!」
自分のことを棚に上げて玲瓏は怒りを顕にするが、雪華は動じない。
「まずは根拠を説明しましょう。方逸様は梅酒に盛られた毒をのんで、命を落としました。その時、ガラスの酒杯が使われていたんです」
「それがどうしたっていうのよ!」
「その酒杯をプレゼントしたのは、玲瓏様ですね?」
雪華の問いに、玲瓏は図星を突かれたように黙り込む。
「どうしてそう思うのよ?」
「そのガラスの酒杯には梅の花の美しい彫刻が施されていました。その彫刻に見覚えがありましたから」
展示会で玲瓏が披露した梅の木と狐の彫刻。そこで見かけた梅の花とガラスに掘られた花模様はあまりにも酷似していた。言い逃れはできないと悟ったのか、玲瓏は認める。
「そうよ、私が酒杯を贈ったわ。でもね、それがどうしたっていうの?」
恋人なのだから贈り物をしても不自然ではない。それが犯人である証拠にならないと主張するが、雪華は首を横に振る。
「あなたはプレゼントしたガラスの酒杯、その表面に毒を塗ったのです」
玲瓏の顔に動揺が浮かぶ。雪華はその隙を逃さぬように言葉を重ねる。
「あなたは方逸様の恋人ですから。普段は紹興酒のような度数の高いお酒を好みながらも、寝る前には例外的に梅酒を嗜んでいたと知っているはずです」
雪華は推理を続けながら一歩前へ出ると、玲瓏に詰め寄る。
「だから梅酒に合うガラスの酒杯を贈ったのです。もし紫蘭様の眼の前で梱包された酒杯が開封され、その直後に倒れたなら、あなたに疑いの目が向きますから」
紫蘭が毒を盛ったというストーリーを作るためには、誰も見ていないところで毒を飲ませる必要があった。だからこそ寝る直前にだけ梅酒を飲むという習慣を利用したのだ。
その推理に耳を傾けていた静慧は驚き、玲瓏は黙り込む。一方、承徳は感心したように、口元をわずかに開いて、息をのむ。
「なるほど、これで紫蘭の無実が証明できるわけだね」
「承徳様のご明察通り、眠る直前に酒杯が開封されたのだとすると、紫蘭様はその場にいなかったはずですから」
「そして犯人の候補となる人物は……」
「玲瓏様だけです」
調べれば毒が梅酒に盛られたのか、それとも酒杯に塗られていたのかも判明するだろう。言い逃れはできないと悟ったのか、玲瓏は膝を折る。
「――っ……認めるわ。私が方逸を殺したの……でも仕方ないじゃない! あの男は紫蘭を忘れられないからと、私を捨てたのよ!」
愛情が殺意に、贈り物が凶器に変わり、毒をのませる決断へと至ったのだ。その事実を暴かれた今、彼女の中で押し殺していた感情が溢れ出していく。
玲瓏は肩を震わせながら泣き崩れる。嗚咽が画房の中に虚しく響くのだった。




