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第三章 ~『展示会での才能』~


 正式な女官となってからの生活に慣れてきた雪華(せっか)は、いつものように画房で絵と向き合っていた。


 墨の香りに包まれた静かな空間で、雪華(せっか)は次の一筆をどこに入れるべきかを見極めるべく唸り声をあげている。


 描いている作品はかつて領内の森で見かけた子鹿の親子だ。母親の優しい眼差しと、それに寄り添う子鹿の仕草を表現するため、慎重に筆を動かしていく。見る者を引き込むような魅力が吹き込まれた瞬間でもあった。


「今回も傑作に仕上がったわね」

「ありがとうございます。紫蘭(しらん)様の作品も素晴らしいものになりそうですね」


 隣の作業台に目を向けると、そこには紫蘭(しらん)の描きかけの風景画が広げられていた。上質な紙の上に墨の濃淡が山の特徴を捉えており、完成すれば大作になることを予感させられた。


「まぁね。これは展示会に出す作品だから気が抜けないもの」

「展示会ですか?」

「あ~、そういえば説明してなかったわね。月に一度、後宮で雇われている画師や彫師が合同で作品の展示をするの。後宮で働く女官や宦官たちの娯楽の一環にもなっているから、周囲からの期待も大きいイベントなのよ」

「それは面白そうですね!」


 大勢の人に自分の作品を楽しんでもらえる。国一番の画師となる夢を叶えるためにも、このチャンスを逃したくはなかった。


「私も展示してよろしいでしょうか?」

「もちろんよ。過去に描いた作品でも、展示会までに新しい作品を描くでも構わないわ。皆を驚かせるような傑作を期待しているわね」


 雪華(せっか)は力強く頷く。彼女はどういうものを展示するのか、心の中で既に決めていたからだ。


(あの絵を形にする時が来ましたね!)


 雪華(せっか)の胸の奥から熱い情熱が湧き上がってくる。その情景は頭の中で鮮明に描かれている。後は筆を動かすだけだ。


 それから時は過ぎていく。いつもなら数時間で作品を仕上げる雪華(せっか)だが、今回はいつも以上に細部に力を込めていたせいか、時の流れは早かった。着々と締め切りが迫り、やがて展示会当日を迎えた。


 展示会の会場となる大広間を訪れた雪華(せっか)は固唾を飲む。


 朝の光が天窓から差し込み、部屋に飾られた彫師たちの作品の陰影を際立たせている。作品も多岐にわたり、木彫りの熊や、漆塗りの箱、細かな模様が施された箸に、装飾の美しい椅子など、彫師の技術と魂が込められた作品ばかりだった。


(私の作品もここに並ぶのですね……)


 雪華(せっか)も芸術家の端くれである。彫師たちの作品は専門外ではあるが、完成度の高さを感じ取れる感性があった。


(私も負けてはいられませんね!)


 ライバルが手強いほど燃える。雪華(せっか)が闘志を燃やしていると、見知った人影が近づいてきた。


雪華(せっか)、おはよう。もう会場にいたのね」

「この日を楽しみにしていましたから」

「その気持ち、よく分かるわ。私も昨日は興奮して眠れなかったもの」


 作品のお披露目は画師にとって最大の喜びだ。展示物を鑑賞しにきてくれた人たちの反応を期待して、興奮を抑えきれずにいた。


紫蘭(しらん)様の作品はどちらに?」

「入口から少し遠いところにあるの。彫師の方が人数は多いから、どうしても展示場所は不利になるわね」


 彫師は生活で使用するものにも多く関わっている。だからこそ作品数も多く、広いスペースを優先的に与えられていた。


「でも多少の不利は関係ないわ。魅力的な作品はそれを覆すだけの力があるもの」

「ですね」


 それを証明するように、紫蘭(しらん)の絵の前まで移動すると、大勢の鑑賞客が足を止めていた。


 紫蘭(しらん)の風景画は、背景にそびえる山々を描き、その印影を墨の濃淡で表現している。山の稜線は薄い墨でぼかされて絵に奥行きを与え、濃い墨で描かれた山肌は岩の質感をリアルに表現していた。


 その絵を見た瞬間、雪華(せっか)は思わず息をのむ。また驚嘆しているのは雪華(せっか)だけではない。技術の巧みさを感じ取った鑑賞客たちは、皆、呆然となりながら絵を見つめていた。


紫蘭(しらん)様はやはり凄い人ですね」

「尊敬するライバルからの称賛は悪くないわね」


 紫蘭(しらん)は僅かに赤らめた頬を掻く。二人の間に穏やかな空気が流れていると、足音が近づいてくる。


 振り向くと、そこには玲瓏(れいろう)の姿があった。その瞳には自信が満ちており、口元には微かな笑みが浮かんでいる。


 玲瓏(れいろう)は絵の前で立ち止まると、少し首を傾げながら紫蘭(しらん)の絵を一瞥する。そしてフンと鼻を鳴らした。


「この絵の出来は認めてあげてもいいわね」

「ありがとう。でも、あなたに褒められると、なんだか気持ちが悪いわね」

「芸術に嘘は吐けないもの。でもね、上出来だと認めつつも、私の方が上よ。それを今から証明してみせるわ」


 そう口にすると、玲瓏(れいろう)は部屋の中央に設置された台座の前まで移動する。そこには大きな布で覆われた何かが設置されており、厚手の黒い生地で作品の輪郭さえ見えないように隠されていた。


「皆さん、どうぞ、こちらにお集まりください。これより、本日の目玉作品を披露致します」


 玲瓏(れいろう)の声が大広間に響き渡る。その言葉に興味を惹かれた人々が、中央の台座の周りに集まってくる。


 玲瓏(れいろう)は布の端を掴むと、観客の期待を高めるためにゆったりとした動きで手を引いた。布が外れた瞬間、周囲からざわめきが起こり、中には感嘆の声を漏らす者もいた。


 台座の上に現れたのは、圧倒するほどの存在感を放つ大迫力の狐の彫刻だった。しなやかな体躯を表現された狐は、今にも動き出しそうな生命感を放ち、鋭い目は前方を見据えている。


 狐の傍らには、同じく彫刻で表現された梅の木が立っていた。幹が力強く音を張り、枝が伸びた先には繊細に刻まれた花が咲いている。


 梅の木はただの背景ではなく、狐との調和を意識した構図で掘られている。力強さと繊細さの対比が作品全体に深みを与え、鑑賞客たちの心を打った。


「なんて見事な……」

「狐がまるで生きているかのようだ……」


 部屋の中にどよめきが広がる中、玲瓏(れいろう)は傲慢さを含んだ笑みを浮かべる。そんな彼女を称えるように、ひときわ目立つ拍手の音が鳴り響く。それは背が高く、端正な顔立ちをした若い男が発したものだった。


「やるなぁ、さすが玲瓏(れいろう)だ」

方逸(ほういつ)、来てくれたのね~」


 玲瓏(れいろう)は柔らかい声で問いかけると、甘えるように距離を縮める。


玲瓏(れいろう)様の恋人でしょうか?)


 後宮にいる男は宦官だけだが、それでも恋仲になる者はいる。方逸(ほういつ)と呼ばれた男がそうなのではと疑っていると、紫蘭(しらん)が眉をひそめていた。


「もしかして、紫蘭(しらん)様の知り合いですか?」

「まぁね……私の元恋人よ。ただ喧嘩別れしたから。二度と顔を見たくない相手でもあるわ」


 方逸(ほういつ)玲瓏(れいろう)は楽しそうに会話を重ねる。それから少ししてから、彼の方は用事があったのか大広間から去っていった。


 その背中を玲瓏(れいろう)は名残惜しそうに見つめる一方で、紫蘭(しらん)は睨みつけるように眺めていた。そんな時である。どこからか騒ぎの声が聞こえてきた。


「おい、あっちの絵が凄いらしいぞ」

「見てみようぜ」


 そんな囁きが人々の間で交わされ、台座の前から鑑賞客が消える。わずかに名残惜しむような視線が残るものの、皆、一枚の水墨画の元へと向かった。


 そこにある絵は、全体から温かな雰囲気が漂っていた。


 美しい青年が白い子狼を抱きかかえて、柔らかな笑みを浮かべている。尻尾を振る狼の動きが、墨の濃淡だけで表現されており、今にも飛び出しそうな迫力があった。その一方で、背景に浮かぶ薄い雲は静けさを演出しており、絶妙なバランスで調和されていた。


(やっぱり承徳(しょうとく)様とシロ様を描いたのは正解でしたね)


 その証拠に水墨画の前に集まった鑑賞客たちは一様に息をのんでいた。誰もが目を奪われ、言葉を失っている。


 そんな中、ある一人の女官が静かに呟く。


「こんなに心に響く絵は初めて……」


 その言葉に同意するように、周りの人々も一斉に頷く。その様子を少し離れた場所から見つめていた玲瓏(れいろう)は、表情を曇らせていた。


「どう? 私の同僚は凄いでしょう?」


 紫蘭(しらん)が話しかけると、玲瓏(れいろう)は鋭い目つきで睨みつける。その敵意ある瞳は雪華(せっか)にも向けられていた。


「私は紫蘭(しらん)には負けてないわ……」

「その通りよ。私はあなたに負けた。でもね、雪華(せっか)の才能は私や玲瓏(れいろう)より上よ。それは誰よりもこの場の皆が証明しているわ」


 大広間の鑑賞客のほとんどが雪華(せっか)の絵の前に集まっていた。その事実に玲瓏(れいろう)は怒りを隠すように歯を食いしばる。


「……覚えてなさい。次は勝つから」


 玲瓏(れいろう)はそれだけ口にすると、逃げるように大広間を後にする。悔しげな声が小さく反響するのだった。


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