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6, 幻影を求めて

 私と彼女の幸せな(と思われる)結婚生活についての記憶はほとんど残されていない。


 例によって私が思い出せるのは不幸な記憶ばかりだった。二人の結婚について記憶を辿ることができたのは、彼女が死んだという悲惨な事実だけだった。


 その日、私は彼女の墓の前でひざまずいていた。まるで教会で人が神に懺悔するような格好で、私は死んだ彼女と静かに向かい合っていた。


 彼女がなぜ死を選んだのか、私はどれほど考えても分からないままだった。むしろ、考えれば考えるほどその答えから遠ざかっていくような感覚があった。

 彼女は何の言葉も残さずに、ある夜ふいに自らの命を絶ってしまった。その出来事は私にとってあまりにも突然で、全くもって予期していないことだった。


 彼女が死んでしまった夜、私と彼女はいつものように二人で夕食を食べていた。いつもと変わらない慎ましい食事だった。

 二人の間にはとくに活発な会話は交わされていなかった。二人ともどちらかというと静かに食事をしていた。

 しかしそこには言葉では言い表せない幸せな空気が流れていた。少なくとも私はそのように感じていた。


 彼女の表情は明るくて朗らかだった。これから死にゆく人間の重苦しさを彼女の雰囲気からはまったく感じることができなかった。

 彼女は時には私に向かって冗談を言い、私たちは二人でささやかに笑いあった。

 それはいつもと変わらない夜であり、不幸の香りを微塵も感じさせないものだった。


 しかし翌朝、私が目を覚ましたとき彼女はすでに亡くなっていた。

 私が眠りについた後、彼女はドアノブにロープをかけて首を吊って死んでいた。


 その姿を発見したとき、私は現実感を持って世界を見ることができなくなった。静寂に包まれた無感覚が私の心を覆い尽くしていた。

 私はどうすればいいのか分からなかった。

 空虚な絶望感の中で、長時間ただ立ち尽くすことしかできなかった。私は自分が涙を流すことすらできなくなっていることに気づいた。


 それから私の生活は荒廃した。

 せっかくうつ病から回復して再び働けるようになった仕事をまた休職して、私はくる日もくる日も家の中に閉じこもって沈鬱な無感覚の中で過ごしていた。

 昼過ぎに起きて漫然とベッドの中で過ごし、インスタント食品で感じているのかよく分からない空腹を形ばかり満たした。

 夜になると風呂にも入らず、自問自答の嵐のなかで精神的に疲れ果てて、朝になるとようやく眠りにつく。

 その陰鬱とした日々を暗い部屋のなかで私はひたすら繰り返していた。


 そんな生活が一年ほど続いた。そこからどうやって自分が抜け出せたのか私は覚えていない。

 おそらく時間の経過が、私を悲しみの次の段階へと自然に押し出したのだろう。逃避的な悲しみから、受容的な悲しみへと無自覚的に変化していたのだろう。


 そうして最愛の妻の死から一年以上が過ぎ、私は表面上は何とか元の生活に戻ることができた。

 しかし私の心の中にある深い喪失感は、自分の死を迎えるまで消えることはなかった。

 私は最期の時まで妻の死という影を背負って生き続けることになった。

 それが私にとっての晩年の日々だった。


 私は亡き妻の墓前にひざまずきながら、妻の死について終わりのない回想をしていた。

 その回想はどこまでいっても答えがなかった。答えが見つからないまま、いつまでも円環状に繰り返される性質のものだった。

 私をふたたび憂鬱が襲った。その時の私は憂鬱に押しつぶされるがままになっていた。


 妻はこの世界にはもういない。何千回、何万回と繰り返し確認したはずのその事実が、自分の手の届かない遥か彼方に消えてしまいそうになった。

 私の世界から、現実の重みが彼女の残像とともに消えていく。私はめまいにも似たその感覚に耐えられなくなり、亡き妻の墓をあとにした。

 私は孤独なのだと痛切に感じながら。



 私は亡き妻が眠る墓地をあとにしてひとり旅に出た。私がすがることのできたのは妻とのささやかな思い出だけだった。

 私は、日本中に点在する妻との思い出の地を一人で巡ることにしたのだった。


 私が最初に向かったのは北海道だった。妻との結婚前に初めて二人で旅行に出かけたのが北海道だったのだ。

 私が実際に妻とどのような場所を巡り、どのような思い出を二人で作ったのか、それを私は覚えていない。

 しかしその旅については、どのような気持ちでいたのかを含めて明確に思い出すことができた。


 私が訪れたのは、札幌からさほど遠くないところにある小さな公園だった。

 私たち二人は、どこかの観光地を訪れた帰りに偶然、その公園を見かけた。そして彼女の発案でそこに立ち寄ることにしたのだった。


 二人で訪れた日は心地の良い快晴だったが、私がひとりで訪れたその日は雨で、日光が遮られたことによる暗さと立ち込める湿気から、その公園はやけに鬱蒼として見えた。

 私はレインコートを着て公園に一つだけ置かれたベンチに座った。そのベンチは私と彼女が二人で寄り添って過ごした思い出のベンチだった。

 そこに私は雨の中ひとりで座っていた。私は目をつむって雨の音に耳をすませ、彼女とのささやかな思い出に浸ろうとした。


 しかし、私はその回想に意識を集中することができなかった。

 思い出そうとすればするほど、その記憶はノイズがかかったようにぼやけてしまい、手元からするりとこぼれ落ちていくように思えた。

 私の妻についての記憶は、彼女が死んだ時の悲愴な姿に上書きされてしまい、その屈託のない笑顔をはっきりと思い出すことができなくなっていた。


 そこで私たちは初めて将来を誓い合ったはずだった。私がその言葉を切り出した時の彼女の笑顔を、私は一生忘れないと思っていた。

 しかし私は、彼女の笑顔と共にあった喜びと幸せの感覚を思い出せなくなっていた。

 私は目をつむったまま、心の中で静かに涙を流すことしかできなかった。


 私が北海道で訪れたのはその公園だけだった。

 元々は二人の旅行で巡ったところをいろいろ訪れようと思っていたが、思い出の公園を訪れただけで私はつらさに耐えられなくなってしまった。

 彼女の幻影を追いかければ追いかけるほど、それらは遠くなっていくような気がした。


 私はホテルをキャンセルして日帰りで東京へ戻ってきた。そして、彼女の記憶を振り払うかのように忙しい日常に戻った。

 しかし振り払おうとしても、それはうまくいかなかった。消そうとすればするほど、彼女についての傷ましい記憶は鮮明によみがえってきた。


 私は思った。彼女の幻影を追い求めることも、彼女の記憶を振り払うことも私にはできない。

 ならば私は、彼女の死と正面から向き合わなくてはいけないのではないか。


 私は、妻の死の理由を知りたいと思った。

 自らの想像を徒にこねくり回したものではなく、明示されたものとしての理由を私は知らなくてはならない。

 しかしそんなことが果たして可能だろうか。


 私は彼女のルーツを知りたいと思った。それが彼女の死と関わりがあるかもしれない。

 私は、今まで遠ざかっていた妻の実家を思い切って訪ねることにした。そして、それが結果的には功を奏することになった。


 私が妻の実家を訪ねると、妻の両親は予想に反してとても暖かく迎え入れてくれた。

 どうやら両親は私のことを、同じ大切な人を失った仲間として見てくれていた。

 元は些細なことから仲違いしていた我々だったが、結果的には彼女が亡くなったことが我々をふたたび結びつけてくれた。


 私は妻の両親に深く頭を下げた。

 何のためにそうしたのか自分ではよく分からなかったが、なぜか私は彼らに感謝の礼をしなくてはならないと思ったのだ。

 そして両親も、私に深く頭を下げてくれた。

 彼女を大きくなるまで大切に育ててくれたのは彼女の両親であり、彼らによると、いつも壊れそうだった彼女の心を支えてくれたのは、他ならぬ私だということだった。

 私は、彼女のことを救えなかったのだからと両親の礼を固辞したが、娘についての私への感謝は揺るぎないものに見えた。


 妻の両親は、彼女の部屋をまだ亡くなる前のままの状態に残していた。

 そこにある記憶の残滓を壊してしまうのが忍びがたくて、どうしても触れられなかったのだと彼らは言った。

 その気持ちは私にもよくわかった。両親は言った。

「せっかくあなたが来てくれたこの機会に、部屋の整理をしてしまいましょう」

 すでに彼女の死から二年が経とうとしていた。

 私は自分のために、そして妻の両親の新しい一歩のために、彼女の部屋の整理を手伝うことにした。


 そこで私は、彼女の心を紐解くことになるかもしれない大切な手がかりを見つけた。

 それは彼女の日記だった。

 彼女が十代の頃につけていた日記と、彼女が成人してから書いた日記と、二つの日記が彼女の押し入れの奥から出てきたのだった。

 私たちはその日記を、何かの手がかりになればと貪り読んだ。そこには次のようなことが書かれていた。



 高校生になってひと月が経つ。

 高校生になれば何かが変わるかもしれないと思っていたけれど、やっぱり何も変わらなかった。

 周りの人たちの話に適当に調子を合わせて、作りたくもない笑顔を作って、結局のところ私はいっそう憂うつになるだけだった。


 中学生の時はうまく周りの人たちに馴染めなくて、私はわかりやすく孤立した。

 周りの世界にどうしてもついて行けなくて、どうしてこの人たちはこんなに笑えるのだろうと私は不思議で仕方がなかった。


 それと比べると今はまだマシかも知れない。

 自分の心を隠して、偽りの自分で他人と接することを覚えたら、私にも形ばかりの友だちができた。それも割にたくさんできた。

 なんだ、ただ単にこうすればよかったのか。自分を変えようとするのではなく、嘘の自分を作ればよかったのかと、私は妙に納得した。


 それでも心の内面は何も変わっていないから、私は毎日とてもむなしく過ごしている。心が満たされることはない。

 私は、これから一体どうすればいいのだろう。これから一体どうなっていくのだろう。とても不安だ。ただ漠然とした不安だけが、私の気持ちを占めている。



 私は今日、友だちをひとり失った。どうしてなのか分からない。

 何も起こっていないにもかかわらず、最近もずっと普段どおりに接していたにもかかわらず、今日とつぜん彼女は私のもとを去っていった。


 彼女は何かにひどく怒っていた。何に対して怒っているのかは一言も言ってくれなかった。

 ただ面と向かって「あんたはいつもそうだよね、ほんと最低なやつだ」と言われた。

 何が最低なのかいくら考えてもさっぱり分からなかった。


 離れていく彼女を繋ぎ止める勇気はなかった。彼女が私を拒絶した理由を追求する勇気もなかった。

 私はただ放課後に帰り道でこっそりと泣くことしかできなかった。

 自分の心がズタズタに引き裂かれていくのがはっきりと分かった。もしかしたら私はもう立ち直れないかもしれない。


 

 私は今日、学校を休んだ。朝起きると体が動かなくなっていた。

 どうしてだろう。別に嫌なことがあったわけでもないのに。なぜか世界の終わりのような重たい憂うつが私にのしかかっていた。


 いつもの時間に母親が起こしにきた。

「あんた、いつまで寝てるの。早く起きなさい」と怒られた。

 けれど、私はどうしてそんなことを言うのだろうと悲しくなった。母親に対して怒りすら覚えた。私はこんなにも苦しいのにどうして分かってくれないの。


 私は布団の中からまったく動かず、母親は根負けして今日のところは学校を休ませてくれた。

「熱もないのに休むなんて」とぶつぶつ文句を言いながら。

 私はそれから一日中、部屋に閉じこもっていた。布団にうずくまったまま、いつまでたっても動ける気がしなかった。


 私がようやく布団から出られたのは夕方だった。まだ一口もごはんを食べていなくてふらふらで気持ちが悪かった。冷凍庫の中にあったアイスをいくつか食べたら気分が少し落ち着いた。


 それから私はこうして日記を書いている。それ以外に何もやる気は起きてこない。

「しんどい、誰か助けてほしい」と空中に手を伸ばしてみた。もちろん誰も答えてくれなかった。私はなんだか寂しくなった。



 今日、雨が降っていた。外が雨と言うだけで私はなぜか憂うつになってしまう。

 私は雨の日が嫌いだ。じめじめとした空気が私の皮膚にまとわりつく、あの息苦しい感じが大嫌いだ。


 私は今日の帰り道、あえて傘をささなかった。全身びしょ濡れになって帰ってきた。

 濡れたシャツが私の肌にまとわりついていた。全身を鏡に写したら白い下着が透けて見えた。

 私はむしろ、雨に濡れてしまう方が憂うつじゃなかった。傘なんか取っ払って全身びしょ濡れになってしまうその開放感が、今の私にはたまらなかった。


 私は雨に打たれながら深呼吸をした。冷たい雨の新鮮なみずみずしさが肺を満たした。私の薄汚れた身体が内側から洗われるような気がした。

 私は声を出さずに泣いた。雨にまぎれて今日までの涙を思いっきり流した。そうしたら少しだけすっきりした気持ちになった。

 なんだか雨も悪くないなと私は思った。


 今日の帰り道、私は雨上がりの小さな公園に寄り道した。地面はまだ濡れてぐしょぐしょのままだった。

 私は学校のカバンをベンチに置いて、公園の砂場まで走って行った。そして制服のまま泥だらけの砂場に思いっきり飛び込んだ。

 私はもちろん泥だらけになった。それから私は砂場にべったりと尻をつき、顔や全身に泥を塗りたくった。


 そんな私のことを、近所の小学生たちが黙って見ていた。というより、知らない女子高生の奇怪な行動に言葉を失っているようだった。

 私は自然と笑顔になっていた。

 私のなかの何かが壊れていくようで、その感覚が私にある種の快感をもたらしていた。


 私は全身泥だらけのまま、学校のカバンを持って公園を出た。公園から家までの道中、すれ違う人たちが私のことを奇怪な目でジロジロと見ていた。

 私は最初、とても恥ずかしかった。その恥ずかしさがむしろ快感でもあった。


 でも全身が泥だらけになっていて、他人から見れば私が誰だかおよそ判別ができないから、私はやがて堂々と歩くようになった。

 普段は外を堂々と歩いたことなんかない。いつも背中を丸めて誰かから隠れるように歩いている。泥だらけであろうがなかろうがそんなことは関係なく、私は生きているだけでいつも自分が恥ずかしかった。


 顔まで泥だらけになった方がむしろ自分らしく堂々と歩けた。

 それは客観的にはどう考えても矛盾しているように思える。でもそれが私にとってはまぎれもない事実なのだから仕方がない。

 私は今までにないほど楽しい気持ちで家まで帰ることができた。


 

 私はなんだか死にたくなった。学校からの帰り道にふとそう思った。

 今日、何があったのかを思い返してみた。私の心を追い込むようなことは特に何も起きていない。

 それなのになぜこんなにも死にたいと思ってしまうのだろう。どうして生きることがこんなにもつらいと思ってしまうのだろう。


 私はたぶん、本当の意味で死にたいというわけではない。生きているのがどうしてもつらいから、跡形もなく一瞬で消えてしまいたいというのが本心に近い。

 私はとにかく身も心も楽になりたいのだ。


 でも、そのために自分がどうすればいいのか分からない。死ぬこと以外の方法が、私には分からない。

 私は一体どうすればいいのか、誰か教えてくれないだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、私は家まで帰った。


 家に帰るとめずらしく母親が待っていた。普段なら仕事をしている時間のはずなのに。

 私は嫌な予感がした。母親の存在に気づいていないかのように二階の部屋まで行こうとした。

 けれどもやはり母親に呼び止められた。

「ここに座りなさい」と鋭さの入り混じった口調で言われた。


 私は怯えながら母親の前に正座した。無言で恐るおそる母親を見上げた。

 母親の顔は明らかに不機嫌そうだった。私は恐怖で身体が縮み上がりそうになった。


 私にとって、他人の怒りや憎しみはこの世界で何よりも怖いものだ。

 それだけで私は心臓が止まるんじゃないかというほどの恐怖に見舞われる。

 太宰治は「そこに鬼よりも怖い形相を見た」と書いていた。その言葉はまさに私の心を言い当てている。


 私は心の底から泣きたくなった。針山に座るような気持ちで母親の言葉を待っていた。

 母親は「最近、何か嫌なことがあったの?」と真剣な顔で聞いてきた。

 てっきり怒られると思っていた私は拍子抜けした。なんだそんなことかと私は思った。


「何もないよ」と正直に答えた。

 本当に何もないんだ。何もないのに憂うつだから困っているんだ。でもそんなことを言ってもあなたには分からないでしょう。

 私は心の中でそうつぶやいた。


 母親との会話は盛り上がることなく終わった。私はすぐに二階の部屋に引き上げた。そして自分のベッドにダイブした。


 私は気づいたらなぜか涙を流していた。何の涙かはさっぱり分からなかった。

 私はそのまま泣きつづけた。自分でも驚くほどいつまで経っても涙は止まらなかった。

 私はやはりどうしたらいいのか分からなくなった。



 私は今日、熱が出て学校を早退した。

 朝は何ともなかったけれど、授業が始まると身体がだるくなってきて、次の休み時間には私は机にうつ伏せになったまま動けなくなった。


 そんな私にクラスメイトの一人が声をかけてきた。

「移動教室だから一緒に行こう」

 私は嬉しかったけれど、彼女の誘いに反応する力も残されていなかった。

 何とか顔を上げた私を見て彼女は言った。

「ねえ大丈夫? 顔めちゃくちゃ赤いよ」

 私はすぐさま保健室に連れて行かれた。そのクラスメイトの肩を借りなければ、保健室まで辿り着けないほどだった。


 私は保健室のベッドでしばらく横になっていた。

 寒さと震えが止まらなくて、私の頭の中は身体のだるさだけで占められていた。普段はあれほど私につきまとう憂うつすらもどこかに消えていた。

 やがて母親が迎えにきて、私は車に乗せられて家まで帰った。

 家に着くと私はそのまま自分の部屋に行って、ベッドメイクをしていないシワだらけのベッドに倒れこんだ。


 そしてすぐに眠りに落ちた。

 そこで私は悪い夢を見た。その夢のせいで大量の汗をかいて、目が覚めると熱はほとんど引いていた。

 私が見た夢はこういうものだった。


 私は一人で学校の屋上にいる。そこには他に誰もいない。私はひとりになることができてほっと一息をついている。


 しかし私はすぐに嫌な思いをすることになる。

 私を除いたクラスメイト全員が校庭に集まっている。そこでみんなは何やら楽しそうにおしゃべりしている。


 何気なく様子を見ていると、どうやら今からみんなで鬼ごっこをするらしい。しかし鬼は見当たらない。

 そこで私は気づくことになる。そうか、鬼は私ひとりだけなんだ。私ひとりでみんなを追いかけなければならないんだ。


 私は必死になって走りはじめる。でも、私はもともと運動があまり得意じゃない。

 だから私はいくら走っても一人もつかまえることができない。あと少しでつかまえられそうでも、相手は私が必死に伸ばした手をかいくぐって逃げてしまう。


 やがて私は疲れて立ち止まってしまう。

 必死になって息を整えたあと、顔を上げると見渡すかぎり誰も見つけられなくなっている。

 校庭をいくら探してもクラスメイトは見当たらない。


 仕方なく私は校舎内まで探してみることにする。

 するとクラスでは私を抜いてホームルームが始まっている。

 私はどうやらいないことになっている。私の机と椅子だけがなくなっていて、そこだけぽっかりと空間があいている。

 そしてそのことを誰も気に留めていない。


 私は怖くなって逃げてしまう。私だけが、どうしてクラスから疎外されているのか、その理由を突き止める勇気は私にはない。

 私は校舎のすみに逃げ込んで、一人で延々と泣いている。

 そんな私に誰かが手を差し伸べてくれる。見上げるとそこには顔のないのっぺらぼうがいる。私は恐怖でいっぱいになり大きな悲鳴をあげてしまう。


 そこで、私は目を覚ました。私はベッドから飛び起きると激しく息を切らしていた。

 その夢は非現実的であるのと同時に、私にとってあまりにもリアルに感じる夢だった。

 私は、自分がまだはっきりと怯えていることを自覚した。しばらく誰とも顔を会わせたくなかった。


 私はそれからの時間を部屋に閉じこもって過ごした。家族とはまったく顔を合わせず、晩ごはんもいっさい食べなかった。

 夜になると、今度は眠れなくなっていた。また怖い夢を見るのではないかと思うと、どうしても目がさえてしまう。

 だから私はこうして日記を書いている。この先もたぶん眠れそうにない。



 死にたい。私はただそう思った。

 相変わらず理由はなかった。

 今日は休日で一日中部屋に閉じこもってひたすら天井を見ていた。それ以外には何もしていない。

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