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6.

 夏休みに入り、裏山様の眷属はさらに勢いを増すようになったが、結はいままでになく安定していた。

 授業がないことで業務量がやや減った。しかしその分増える雑用はあるし、学校の仕事の後にはいつもの如く、裏山での儀式を行わなければならない。


 安定の理由は、その後にあった。

 儀式が終わった後、達正と一緒に自宅へ帰ると、すでに湯船にお湯が張られている。

 先に風呂に入り、身支度を整えて扉を開けると、ご飯のいい匂いが漂っている。メニューは肉じゃが、麻婆豆腐、ロールキャベツ、サバの味噌煮、親子丼や唐揚げといったような、スタンダードかつガッツリしたものが多い。

 結は、すっかり無縁となっていた、誰かにサポートしてもらえる生活を久々に体感していた。


 そんな生活を続けて数日。

 夕飯(今日のメインは肉汁たっぷりのハンバーグだった)を食べ終わった結に対し、「今週の土日は普通に休んでくれ」と達正が言った。


「先週までは俺なしで土日、裏山に入ってたよな。三月にこっちへ来てから一回も休んでないだろ。順調に眷属の数を減らせてるのなら、休日を入れても問題ない。

 休んだ分、月曜には数が増えてるかもしれないが、この調子なら来週平日の間にまた同じペースに戻せる」

「う、ん……でも」


 達正の言うことは、恐らく正しい。頭では理解できているのだが、しかし大丈夫だろうか、という気持ちの方が勝る。なかなか肯首しない結に対し、


「いままで休みなしなら疲れも相当溜まってるはずだ。一度ゆっくり休んでくれ。

 行きたいところに行っても良いし、会いたい人に会ってきてもいい。結さんの好きに過ごしてくれ。

 週明けからは必ず、ペースを取り戻せるようにサポートするから」

「好きに……」


 結としては唐突に降って湧いたような話だった。

 忙しさの中で、時間があったらあれがしたい、これがしたいと想い描いていたはずなのに、いざ目の前にすると、何を考えていたのか全く想い出せなかった。

 というわけで、結は何をしたいのかについて土日になっても思いつかず、簡単な買い物以外は大半を寝て過ごしてしまった。


 週明け、達正に「何をした?」と聞かれ、ありのままを報告すると、


「やっぱ相当疲れてたんだな。それで良いんだよ」


 結は達正から頭を撫でられる。不思議と反論も反発する気も起きず、されるがままになった。






 週が明けてからは、結は達正と過ごす生活サイクルに、さらに慣れてきた。

 達正は、自分の家から連絡がない限り、結の家で夕飯を食べるようになった。

 達正が作ってくれたオムライス――チキンライスの上にふわとろになるよう絶妙な火加減で焼かれた卵が乗っている――を大きいスプーンですくいながら、結は聞いてみた。


「ねえ、最近帰るの遅くなってるけど、お家の方は大丈夫なの?」

「友達と、マックとかファミレスで勉強してるって伝えてるから大丈夫。これまでもそんな感じだったし。むしろ結さんに食費出してもらってるから、こづかい減らなくてありがたい」

「最近の高校生って、そういうものなの……?」


 スプーンの中身を一気に口に入れると、バターの香りのご飯と、ごろっとした存在感のある鶏肉、柔らかな卵がケチャップベースのソースと合わさる。

 結の問いに対し、達正は意外そうな顔を向けた。


「最近? いや、結さん達の時代にもみんなやってたろ。てか結さん、ジェネレーションギャップがあるような言いっぷりだが、俺とそんなに歳、離れてないからな?

 学校の帰りがけに買い食いしたりしなかったのか、高校生の結さんは?」

「だって、随分と田舎の方だったから、気軽に行ける距離にマックとかファミレスとかなかったし、それに私、」


 と結は続けようとしたが、話が若干重くなりそうだったので言葉を止め、オムライスをスプーンで切り取り口いっぱいに頬張った。


「じゃあ今度、セット買ってきてやるよ。マックでも、モスでも」

「ん?」

「食べたことないんだろ? デザートもつける?」


 結は口の中のオムライスを慌てて噛んで飲み込んだ。


「ううん、まさか! さすがに大学生の時に何度か食べたことある」

「おお、そうか。それは失敬」


 頷く達正を見ながら、結は思い返して気づく。


「そういえば、いままでいつも作ってもらってたよね。気づかなくてごめんなさい。

 ご飯、マックでもモスでもお惣菜でも、手抜きしてもらって全然大丈夫だから」

「いやいや、そんな気は使わなくていい。今後のこと考えたら料理はできてた方が便利だし、やってみたら案外面白い」

「でも」

「分かった、じゃあ、俺がもうしんどい、ってなった時は出来合いのものにする」

「それか、いつも作ってもらうばかりだから、私が何か作る? こんな風に卵をふわとろにするとか、教えてもらわないと無理かもだけれど……」

「……!?」


 達正は、目と口を大きく開き、何か言いかけて、どちらもぎゅっと閉じて首を横に振る。


「いい、要らない!」

「え」


 ハッとして目を開けた達正は、慌てて言葉を重ねた。


「あ、いや違う! 食べたくないんじゃなくて……すげー嬉しいんだけど、それじゃ意味が無くなるから」

「意味?」

「そうだ! 裏山様の件が片付いて、結さんが落ち着いたら食べさせてくれ。約束」


 達正から差し出された小指に、小指を絡める。


「分かった。約束ね」


 結がにこりと笑って返すと、達正は急に真顔になり、


「てか結さん、料理できるのか……?」

「失礼な! これでも一人暮らし五年目!」

「年数関係なくね? まあ、お手並み拝見だな。楽しみにしとくよ」


 言って、達正はにやりと笑った。






「結さん、儀式中、何度か着信が入ってた。確認して折り返す? 俺、外にいようか」


 その日、儀式を終えてアパートの玄関の前までたどり着くと、達正が立ち止まって言った。


「え、誰から?」


 結は思わず反射で聞き返した。達正が、他人の携帯の画面まで確認しているとは限らないのに、無駄なことを聞いてしまった、という考えが一瞬頭をよぎったが、


「ごめん。前から結構な頻度でかかってきてたから、見てしまった。先に謝っとく。

 一つは『実家』って表示が出てた。あと一つは……『綾世さん』。誰だ?」


 達正は怪訝そうな表情で聞く。結は簡潔に答えた。


「同期」

「学校の、じゃないよな? そんな名前の先生、いないから」

「うん、祓い師の方。別に良いよ、いつものことだからほっといてて」


 結は鍵を開け、さっさと部屋の中へ入った。荷物を下ろし、風呂場へ向かうとそのまま達正がついて来た。


「……え、なんでそこに立ってるの?」


 達正が裏山へ向かう前に入れておいた熱めの風呂は、ちょうどいい温度まで冷めている。風呂に入ろうと、着ている服に手をかけた結は、脱衣所兼洗面所の扉の枠に腕を組んで背中を預け、こちらをじっと見つめる達正に困惑する。


「お風呂、入りたいのだけど……えっと、いつも準備してくれて、ありがとう……? ご飯も、とっても美味しいよ……?」


 疑問系で感謝の意を表する結に、真顔だった達正の表情は、ふ、と笑って崩れた。


「感謝を求めてるんじゃない、いつも言ってもらってるし。そうじゃなくて。

 結さん、案外マメじゃないよなーと思って」

「……どこがよ」

「この前言ってたろ、一人で儀式やってた間は、敷物とか、持ってこようと思ってたのにいつも忘れちゃって顔にも怪我してたって。

 裸足になるくせに、そのあと足の裏、手で払っただけでストッキング履いて、そのままパンプスも履くし」

「だって、本当に忘れちゃうんだもん。あと、足のは、実家にいた時からそうしてたから」

「小石とか入ってたら歩いた時痛いし危ないだろ。最近はそうでもないが、俺が拭こうとするといつも逃げたがってたし」

「それはっ……」


 そんなこと、誰かにされたことがなかったからだ。驚きと、単純に恥ずかしさがあった。

 黙り込んだ結を、達正も無言で見つめる。


「なに……?」 


 達正は大きく息を吐き、扉の枠から背を離した。


「真面目な話。着信履歴、結構ほったらかしにしてるだろ。二人とも、心配して電話してくれてるんじゃないのか? 折り返しとけよ、俺が帰った後でも。

 ご飯の準備しとくから、ちゃんとあったまってきて」


 手を振り、脱衣所から出て行こうとして、しかし突然くるりと踵を返し、スタスタと結の目の前まで歩み寄った。


「風呂にさあ、塩、入れるんだろ」


 そういえば結は以前、効能がある入浴剤を何か入れるかと聞かれて塩を入れているから要らない、と断ったのを思い出した。


「お清めのためって。でも塩風呂って、ダイエットに効くんだよな?」


 結の頬を、両手で挟んだ。


「全然、効かないんだな」

「ちょっ!」


 結は達正の両手首を掴み、自分の頬から無理矢理手を剥がした。


「失礼ね! どうせ贅肉だらけですよ!」

「いや、そんなことない贅肉なんて微塵もない」

「ひどい」

「ほんとほんと」

「繰り返すの嘘っぽい」

「本気だってば」


 言いながら、再び結の両頬を挟んだ達正は、笑っているような、困っているような不思議な顔で言った。


「絶対痩せるなよ、結さん。心配になるから」






 儀式の後。結はレジャーシートの上で、上体を起こした状態で達正に足を拭かれていた。


「昨夜ちょっと言ってたけどさ。最近、俺に足拭かれても逃げようとしなくなったよな」


 達正は、少し嬉しそうに話す。


「ま、まあ。毎回当たり前のようにされてると、慣れてきたというか」

「ところでなんでいつもパンプスなんだ? せめてここに入る時だけでも履くもの変えろよ。スニーカーとか」

「唐突ね……うーん、学校で怒られちゃうから。それに、これ以上荷物を増やせない」


 結はこれ見よがしに横に置いていたボストンバッグを叩いた。


「ああ、あの、いつもスカート履けってやつと一緒? 『生徒に示しがつかない』だっけ。 意味がさっぱり分からん」


 達正は頭を捻った。


「せめて、生徒とあんまり接触しない夏休みの間だけでもさ。ほら、親指と小指の横の骨のとこ、真っ赤になってるだろ、痛そうなんだよ。

 スカートだって、示しをつける相手がいないんだからパンツでいいだろ」


 ふふっ、と結は笑った。


「なに?」

「ううん、不思議だなあと思って。ずっと一人でやってたはずなのに、いまはこうやって、まさか足まで拭いてもらえるとか。しかもお風呂の準備も、ご飯の準備もしてもらえて……なんだかあなたといると、自分が大事なものになったみたいな気になれるわ。私にも、こんな風に扱ってもらえる価値があるんだって」


 達正の手が止まる。

 軽口のつもりで言ったつもりだったので、達正からの反応がないことに、結は少し焦った。


「えっと、ごめんなさい、ただそんな気分になっただけ、勘違いだから」

「……あのさ、結さん。俺、最初の頃から思ってたんだが、これを機に言わせてもらう。

 儀式中の結さん、めちゃくちゃ無防備だから。マジで気をつけてくれ。いくら人があまり入らない山の中で、結界も張ってあるっつても、絶対に誰もこないとは限らないだろ。条件さえ揃えば、俺みたいに入れるんだから。

 もし万が一、意識のない結さんの身体がヤバいやつに見つかったらと思うと……」


 達正はタオルを横に置き、結の左足を両手で包み込んだ。

 手のひらから、達正の熱が伝わってくる。


「ごめん、こんな風に言いたくはないんだが。結さんがあまりにも無防備というか、儀式のこと含めて、自分のことを大事にしてなさそうに見えてさ。

 俺も、結さんのこと脅してる時点で、あまり言える立場じゃないかもだが。

 なあ、昨日の電話、折り返した?」


 結は返事をしなかった。

 そっと、結の足がレジャーシートの上に置かれた。

 達正は立ち上がり、結の方を見ないまま促した。


「帰ろう。靴履いて」






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