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5.

「かしこみ かしこみも もうさく


 たかまがはらに かみづまりまします

 かぐつちのみことを もちて


 ひのやまの ごうのつかを しずめまもる

 たまよりひめ――」



 結の意識は遠のき、次に目を開けると、いつもよりやや低い位置に視線があった。

 両手両足に力を入れると、四つん這いになっている感覚。

 足踏みをして下を見て、己がシカになっていることを自覚する。


 もう一度頭を上げて拓けた場所を見遣ると、達正はすでに結の身体を抱え上げ、レジャーシートの上に丁寧に横たえているところだった。

 ふと、顔を上げた達正と目が合う。結はヒヅメを鳴らし、逆方向へ向き直って走り出した。




「なに、俺のこと、観察でもしてた? いつもならさっさと茂みの中へ入ってくのに」


 目を開くと、結は頭を達正の太ももに載せられた状態で、仰向けになっていた。いつものことながら距離が近い。

 あと、頭の下が暖かくてやや硬い。


「最初と、時々、俺の様子見に来てただろ。余裕だな」


 完全にバレている。結は顔が熱くなるのを感じるが、逃げようがない。


「余裕っていうか……数はこなせてたから、問題ないもん。それに、見てたの知ってるなら、そっちもずっと見てたってことでしょ。しかも、ずっと正座で」

「俺は緊張感持っとかないと、目を離した隙に結さんに何かあったら困るからな。で、結さんは?」


 照れも何もなく、ごく真面目に返される。


「……目覚める時は必ず膝枕になってるから、どの段階からそうしてるのかと思って、気になり始めちゃって」

「へえ。で、どの段階か、分かった?」


 結は頭を振った。達正がにやりと笑う。


「ねえ、足、崩してて良いのに。緊張感を持っておくとしても、ずっと正座である必要はないのよ?」

「いや。結さんが頑張ってる間、俺だけ緩んでるのはどうかと思う」

「足、痛くならない? 姿勢なんて形だけなんだから」

「痛くならない。慣れてるから」

「慣れてるって……部活とか?」

「そう、バスケ部」


 咄嗟に弓道部や柔道部を想像した結は、肩透かしを食らった気分になる。


「バスケ部? 正座することなんてあるの?」

「あるある! ほら、説教食らってる時とか」


 達正は笑いながら答える。


「それにさ、バスケ部だから、結さんの身体キャッチすんのも上手いだろ。気失う人間抱き止める選手権あったら俺、絶対優勝する自信ある」

「うそ、絶対バスケ部関係ないでしょ!?」

「パス受けるだろ」

「えー、これ、納得して良いのかな……」


 達正は、ふー、とわざとらしく息を吐きながら、頭を振った。


「結さん、ほんとさあ……マジで、変な人に騙されないようにしろよ」

「ちょっと! 本気なのか冗談なのか、どっちなのよ!?」


 ははははは、という達正の笑い声が、森の中で響き渡る。




 達正が儀式に協力してくれるようになってから、結の負担は少しだけ軽くなった。


 初めて裏山の中で会った次の日、結が二十時過ぎに裏山の入り口付近へ行くと、大きなバッグを肩にかけた達正が立っていた。

 お互い、特に話もせず、いつもの拓けた場所へ。

 座る位置のみ簡潔な言葉で伝えた後、達正はその場に黙って正座した。

 結が儀式を始めてからも、お辞儀をするところだけは真似て行うが、一言も発さず。

 結の魂がキツネに降りて、振り向いた時には、結の本体(ぬけがら)は達正に抱き止められていた。

 身体に戻ってくると、いつもならどこかしらにある汚れも、擦り傷も打ち身も全くない状態で、レジャーシートの上に寝かされていた。

 片付けはほぼ済んでいるので、結はパンプスを履き、身なりを整えただけで下山。

 互いに自転車を押し、たわいない話をしながら家にたどり着いた。

 その後は普段通り、お風呂に入ってご飯を食べて、仕事をして寝た。


 この動きとほぼ同様の毎日(といっても、さすがに土日までは付き合わせることに抵抗があったため平日のみ、そしていつしか目覚めの際の膝枕が加わった)が、約一ヶ月間続いていた。


 最初は母にしか見せたことのない姿を他人に晒すのもどうなのかと抵抗感もあったが、すぐに忘れてしまった。達正が、あまりにも自然にそこにいて、当たり前のように見守り、細々としたサポートを行うからだ。

 学期末に控えていた期末テストの準備も採点も成績表のあれこれも、全てがあっという間に過ぎ去った。


 脅しだなんて、とんでもなかった。

 与えられたのは、安定と安心。

 なにより、悪夢を見て飛び起きることがなくなった。週に二、三度、ひどい時には毎晩のように見ていたのに、ピッタリと止んだ。驚くべきことに、母が上座をやってくれていた時よりも、ずっと心が穏やかだった。






「……でさ、明日から夏休みだろ」


 片付けを終えての帰り道、互いに自転車を押しながら話していると、唐突に話が変わった。


「うん、そうね」

「だから、合鍵をくれ。メシと風呂の準備してから上座を務めに行く」


 結は、ん、ともあ、ともつかない妙な声を出してしまった。


「な、なんで。そんな……」

「もっと効率よく動きましょう、って話だ。先生って、夏休みも普通に出勤するよな。で、当然結さんも出勤する。夏休みといえど、他の先生以外にも、部活の奴らや補習の奴らだって登校してる。だから真っ昼間に儀式はできない。結局結さんはいままで通り夜まで残ってから、裏山に入ることになるだろ。

 そっから家に帰って、メシの準備して食って、風呂の準備して入って、仕事して寝て起きてまた出勤、だよな?」

「うん、そう……だけどあなた、いま高校三年生でしょう? 部活は」

「春で終わった」

「補習とか」

「それはあるけど、平日午前中か午後早い時間で大体終わる」

「模試があるわよね?」

「模試は土日、それも午前中か、午後の早い時間に終わる。なあ、家の中で模試の見直しとか、勉強やってもいいだろ?」

「そんなのは別に、構わないけど、でも」

「ならwin-winだ」


 達正は、結が言い終わる前に、食い気味に返答する。


「結さんと比べて、俺には自由に動ける時間がある。図書館行った後とか補習の後に、一旦結さんの部屋に寄って、メシと風呂の準備してから裏山へ行く。

 一緒に帰って、結さんが風呂入ってる間にメシをあっためなおしとくからさ。そうすりゃ、結さんももうちょっと楽になる」

「でも、いまだって色々やってもらってるでしょ。受験で大変な時期なのに、これ以上の負担は」

「結さん、梅雨明けてここ数日、降りとく時間伸ばして俺に伝えてるだろ。

 アイツら、雑草みたいなもんだよな? 山の生命力そのものって考えりゃ自明のことだな。日照時間が長くなって、裏山様が元気になってきて、眷属が増えたんだろ?」

「確かにそうだけど……よく気づいたわね?」

「なんとなくな。捕食してるというよりは、草刈りみたいだなって思って見てたから。

 とにかく暑くなってきて疲れも溜まってそうだし、結さんにはこれまで以上に負担がかかってる。

 というわけで」


 達正の左手が差し出される。


「……いま、スペアキー持ってないの。ちょっと待ってて」


 ちょうど、二人は結のアパートの駐輪場付近に差し掛かっていた。

 結は急いで自転車を駐輪場に停め、やや駆け足で自分の部屋に入ってスペアキーを手に取り、外へ出る。

 アパートの階段の下辺りに、達正が待っていた。

 途中までは駆け下りたものの、結は、あと数歩のところで、息の上がった自分の胸に鍵を握りしめた右手を押し付けて立ち止まった。


「お、どうした?」

「だって……」


 これは正しいことなのだろうかと、結は考え、固まってしまった。

 言われるがまま、勢いに乗って鍵を持ってきてしまったけれど、おかしくない? 確かに私は正規の教職員では無い、ただの祓い師だ。仮に本当の教職員だったとしても、私は彼の担任でも担当でもない。

 本当の関係は何なのかと問われれば、たまたま儀式を見られてしまった祓い師と、儀式を見てしまった高校生、ということになるだろう。

 でも学校では建前上、私はいち教職員だ。名前呼びされてるし、敬語も外れてるけど。


「ほら、早く」


 再度左手を差し出され、結はふらふらと達正に近づくが、やはり鍵を差し出すことができない。


「なに、俺がなんか怪しいことするって、疑ってんの?」

「え?」


 想定外のことを言われ、一瞬、結の思考が止まる。

 そうなのだろうか。私は、彼を疑っている?


「……なにか、するつもりなの?」


 ようやく言葉を発した結に、達正は無言で微笑んだ。


「え、なに? ちょっと、なんとか言ってよ!」


 結が達正の腕を叩くと、達正はふっと笑った。


「はいはい、脅しだよ、単なる脅し」


 言いながら、結の右手を掴み、指を一本ずつ、優しく開いて鍵を取った。


「あのさあ、結さん」


 スポーツバッグの中をゴソゴソさせて鍵をしまった達正は、


「同じような状況になっても、絶対、他の奴には渡すなよ?」


 言いながら結の頭をぽんぽんと軽く叩く。


「あなたには言われたくない」


 達正は笑い、自転車に乗って、そのまま帰って行った。




「脅し、って……」


 遠くなっていく達正の背中を眺めながら、呟く。

 脅し、という言葉が違和感でしかない。絶対に違う。

 だったら何なのだろう。

 思考が思わぬところに飛びそうになり、慌てて首を振った。

 そうだ、きっと、可哀想だと思われているのだ。






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