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15.

 帰宅後、結は神主に対して先刻起こった出来事を取り急ぎメールで報告した。

 シャワーを浴びて部屋へ戻り、携帯を見ると、珍しく返事が来ていた。

『本日十六時、校長室で待っています』


 あと一時間もない。どんだけぼんやりしてたんだ、と結は思った。食事を摂る暇もない。

 結は慌ててクローゼットを開けてスーツに手をかけ、一旦止まる。

 いや、今日は休日だ。

 結はパーカーとパンツを取り出し、手早く着替える。トレンチコートを羽織り、携帯と鍵だけをポケットに入れて、スニーカーを履いて学校へ向かった。




 校長室へ入ると、校長が席に座り、神主がその横に立っていた。


「君、なんだねその格好は……!」

「まあまあ、いいじゃないですか。今日は休日ですし」

「その休日に呼び出されて、わざわざスーツで来たんだが?」

「どうせこれで最後ですから。さて、さっそく本題に入りましょう」


 白衣に紫の袴を履いた神主は、校長を宥めて結の方へ向き直る。その顔は無表情で、何を考えているのか見当がつかない。


「報告を読みました。貴女は裏山様を鎮めることに失敗した。つまり、自力ではどうすることもできなかった」


 怒られる、と反射的に思った結は、ごくりと空気を飲み込んだ。


「しかしそもそも、貴女がご自身の力を使って裏山様を鎮めようとしたこと自体我々にとって想定外でしたし、貴女自らが帳尻を合わせるのであれば、こちらとしては問題ありません」

「帳尻……なんの、お話ですか?」


 結は戸惑い、質問するが、神主の顔色は全く変わらなかった。


「約一年前、我々が協会本部へ救援を要請した際、こう言われました。

 『処女の巫女系祓い師を派遣するので、生贄(いけにえ)として使い、神を鎮めなさい』と。

 なのに派遣されて来たあなたは、自分の力でなんとかしようとし始めた。しかも生贄の件はまったくご存知ではない。

 その件について問い合わせましたが、一向に回答が来なかった。こちらは協会に依頼した顧客です。注文した品が別物、しかも返品交換不可ときた。どうしたものかと頭を悩ませましたよ。

 それに我々としても、こんなご時世に生贄などという時代錯誤なことはしたくありませんでしたし、何より貴女ご自身がやれると考えて取り組まれていた。それで解決するならと考えました。

 協会本部に状況を説明したら、では一年間分の資金と猶予を与えるという話になりました。そこから貴女のお給料は出させていただきました。ちなみに当初は一ヶ月分の資金しかいただけていませんでしたからね、感謝していただきたいものです。

 そして一年経ちました。協会からの資金は三月で打ち切り。つまり、期限切れです」


 神主は、はあっ、と大きくため息を吐く。


「折しも、裏山様が人の形をとり、人語を話した。取り返しのつかないところまで、貴女が成長させてしまった。

 貴女はこの一年間で、我々と協会本部に無駄な時間と資金と労力を使わせたのですよ。

 貴女に出来ることはもう、たった一つだけです」


 神主は一歩、結の方へ近づいた。


「いますぐに、生贄として裏山様に自らを捧げなさい。

 貴女には、子ども達を守るため、本格的に授業が始まる前に、裏山様の一件を解決する責任と義務がある。

 こちらとしては、元々そのように協会へ依頼していましたしね」


 神主は首を横に振り、また大きなため息を吐いた。


「こちらとしても不本意なのです、貴女のために猶予をもらったのに、貴女はこの件を解決できなかった。それは貴女の力不足のせいです。

 そして貴女に対して本来の役割を話さなかったのは協会本部のしたこと、協会の責任です。

 恨みを買う役など、誰もしたくはないでしょう? それを協会本部はこちらに押しつけたんですよ。本当に嫌な役回りだ。

 貴女は対戦闘系ではなくとも祓い師。後々、貴女自身が災厄になる可能性もありますから、それを回避したかったのでしょうが。こちらへ押し付けるなど……」


 結は、黙ったままの校長を見る。校長は顔ごと視線を逸らした。


「とにかく恨むならば、貴女を派遣した協会を恨みなさい」

「さあ、行きなさい。行って、職務を全うしないさい、それが貴女に残された唯一の道です」

「元からそれしか選択肢は無かったのだから、迷う必要などどこにもないでしょう」

「全く、この一年、本当に無駄な時間だった」






 無駄な時間、だった。


「……せい、先生!?」


 コンコンコン、と窓が叩かれる音がする。

 顔を上げると、職員室の窓の外に、女子バスケ部の子らが立っていた。

 いつかと同じメンバー、濱さんと蒼山さん、古鳥さんだ。仲が良いのだろう、と思う。

 外はいつの間にか、薄暗くなっていた。

 窓を開けると、一斉に話しかけられた。


「どうしたの先生、大丈夫!?」

「顔色が真っ青ですよ?」

「具合が悪いんですか? 救急車……」

「何でもないわ、私は平気、大丈夫だから」


 全然、全く平気なんかじゃない。でも、きっともうすぐ平気になる。だから、大丈夫。


「そっか、今日、部活の日だったっけ? 行かなくてごめんなさい。それにこんな格好で……」

「格好なんて気にしなくて良いのに! だって今日は先生もお休みの日でしょ?」

「ううん、学校へ来るのには不適切だわ、ごめんなさい。それにお休みなのに、こんな時間まで練習してたのね。付き合えなくて、ごめんね」


 田嶋先生もいなくなったのだから、私がこの子達のことを見ておかなきゃならなかったのに。

 いや、違うと心の中で否定する。

 明日から、私はいない。

 大丈夫、私がいなくなる人間だと知っていたのだから、きっと校長先生は次年度の教員の数に私を入れていないだろうし、この子達を指導する先生もすぐに決まるだろう。

 大丈夫、この子達は平気。明日から私がいなくても。


「いえ、あたし達は、その、自主練してて……」

「そう! 練習の後、話し込んでて」

「ここへは? 何か用事があるの? 鍵を返しに来たの?」

「いえ、もう用事は済んだので!」

「そう? もうすぐ真っ暗になるだろうから、気を付けてお家へ帰ってね」

「ねえ、先生は? まだ帰らないの? 他に誰もいないんじゃ、戸締りとかどうするの?」

「えっと、校舎の鍵は……」


 左手の中に違和感を感じ、握った手を広げると、鍵があった。

 ぼんやりと、校舎の鍵についてやり取りしたことを思い出した。



 話を聞いた後、結があまりにもぼんやりしていたからだろう。

「覚悟を決めるまでここにいて構いません。校長、鍵を渡してください」と神主に指示され、嫌々ながらという態度を隠しもしない校長から鍵を受け取った。

 校長は汚いものを見るような目でこちらを見ていた。

 触れたくもなかったのだろう、鍵は、差し出した結の手のひらの上にぼとりと落とされた。


 ああそっか。校長先生は、最初から私のことを一人の人間として見ていなかった、だから私にあんなこと言えたのか。

 校長の言動が、いまやっと腑に落ちた。



「大丈夫、戸締りはできるから、先生のことは心配しないで。さあ、早く帰って。気をつけてね」

「……っ、分かりました。先生も、気をつけて」


 蒼山が言い、顔を見合わせて三人が窓から離れる。

 結が窓を閉めようと枠に手をかけたその時。

 濱が、「先生!」と言いながら踵を返して再び結の元へ駆け寄って来た。


「ね、なんか見当違いなこと言ってるかもだけど、聞いて欲しいの!

 私、先生の日本史の授業すっごく好きだった! 日本史って意外と面白いなって思えたよ。バスケ部の副顧問だって、引率も応援も、試合の対策も、色々一生懸命やってくれた! 私知ってるから、だから、だからっ……大丈夫だからね!」


 濱の手が、結の手の上にしっかりと置かれた。

 とても温かい。


「……うん、ありがとう」


 温もりは、すぐに離れた。

 急いで、と互いに言い合いながら走って行く三人の背を見送った後、結はゆっくりと窓を閉め、職員室を出た。

 

 裏山へ入らなければならない、あの子達を守るためにも。

 これは私の責任であり、義務。

 最初から戦力なんかじゃなかったけれど。ただの、お供え物。決まっていた犠牲。使い捨ての駒。人として見られていなかった。

 頑張ってきたことも何もかも、意味が無かった。無駄な時間だった。

 終わらないんじゃない、私自身が、終わらせなかった。私が私の用途に、気づかなかっただけだった。






 裏山の入り口まで来て、必要なものを何も持ってこなかったことに、はたと気づく。

 ランタンもないので、すっかり暗くなってしまった山道を、携帯のライト機能を頼りに進む。


 達正君はきっと怒るんだろうな、と結は思った。

 なにも準備せずに入るなんて、心配になるからやめてくれ、って言いそう。

 敷物を準備しないことも、足のことも散々注意された。ご飯やお風呂の準備を、文句一つ言わずしてくれた。話を聞いてくれて、寄り添おうとしてくれた。

 本気で心配してくれていたのだと、いまなら分かる。本気で大事にしてくれていた。


「はーっ」


 大きく息を吐くと、結の目から、涙がぼとぼとと落ちた。

 泣いてしまいそうだから、達正のことを思い出さないように、考えないようにとこの数ヶ月間頑張って来たが、それも意味のないことだった。


 脅しだなんて言っていたけれど、それは私が彼の助けを受け入れやすくするためについた嘘だ。彼は最初から最後まで、私に対してとても優しかった。

 神主さんに指示されて近づいたわけでもないだろう。先程の神主さんからは、息子の話など一言も出なかった。

 彼の行動が、同情に起因するものだとしても。彼が何を知り、何故結に近づいたのか分からなくとも。

 事実、彼の行動は私を救ってくれていた。とても楽しくて、安心できた日々だった。


 卒業式当日、結は遠く離れた場所から、達正が大勢の友人に囲まれているのを見た。

 達正は、友人達と笑っていた。

 きっと最期だから、せめて姿だけと思ってこっそり見に行ったのに、彼の姿が見えた途端に後悔した。

 私は彼に酷いことを言って、遠ざけた。きっと嫌われた。時間が経ったから、もう忘れられているかもしれない。

 そしていまも、これから先も。彼は私の知らないところで知らない人達に囲まれて、きっと幸せに生きていく。

 その事実を目の前に突きつけられたような気がした。

 それ以上何も考えたくなくて、結は慌ててその場を離れた。




 手に持っていた携帯が震え、結はハッとして立ち止まった。画面には、ミアの名前が表示されていた。

 何かを察して、連絡をしてきたのだろうか。

 彼女にも、たくさん手助けしてもらった。

 ありがたいと思う反面、結は彼女のことが羨ましかった。一緒に裏山へ入る中で、結は彼女の頭の良さ、祓い師としての優秀さ、心根の強さを充分理解していた。

 もし私が彼女だったら、こんな状況に陥らなかったのではないか。それか、この状況を変えることができたのではないだろうか、と思う。

 私はどこで間違ったのだろう。こんな状況に陥らない、陥ったとしてもきっと挽回できるであろうミアが、心底羨ましい。むしろ、妬ましいという感情まであるかもしれない。

 彼女がとても良い人なのは理解している。いまの状況を話したとして、決して見下したりしないだろう。

 でも、話せない。

 私がこんな気持ちを持ったまま話をして、もし彼女を恨む気持ちが生まれてしまったら、それこそ彼女を巻き込んでしまう。


 結はそっと携帯の電源を切り、先へ進んだ。






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