13.
結が実家である山の麓の小さな温泉宿に辿り着いたのは、大晦日の夕方だった。
もう遅いからという理由で、温泉に入り軽めに年越し蕎麦を食べた結はすぐに自室へ入り、就寝した。
翌朝正月、朝起きるとすでに祖父の姿はなかった。
「源泉のパイプ掃除だろう。正月早々、ほんと精の出る」
「父さんと正反対だね」
朝食後のお茶を飲みつつ、結は言った。
宿を正月三が日休みにした商売っ気のないスケジュールにしたのは父だ。
「毎年営業してたじゃない」
「休みにしていた方が、お前が帰ってきやすいだろう。それに、パートさん達にもたまにはゆっくり正月を過ごしてもらうのもいいと思ってな。
そんなことより、何日くらいいられるんだ?」
「明日の朝には出発する。日にちは空けられて二日が限界だから」
あまりぐずぐずしていられなかった。久しぶりなのに短すぎると文句を言う哲人を放置して、結はダウンジャケットを羽織り、祖父を探しに外へ出た。
源泉のパイプを辿り、山の中へと入る。しかし、パイプの途中にも、源泉がある小屋の前にも祖父はいなかった。
少々歩いたのと熱い源泉近くに寄ったのとで若干汗ばんだ結は、ダウンジャケットを脱ぎながら考える。
「そうだ」
ふと思い立ち、結は塚へ向かった。
辿り着くと、そこには地面に正座して塚を見つめる祖父がいた。
「お参りに来たか」
「うん」
結も祖父に倣い、隣に正座して座礼を行った。
「どうした。迷いがあるか」
結の座礼が終わるのを見計らい、祖父が声をかける。
「迷いがあるなら戻って来い。魂依りの法は……」
祖父は言葉を切る。
「続けて。聞きたい」
「……上着を着なさい。少し長くなる」
促され、結は脇に置いていたダウンジャケットを着直した。
「あまり詳しく話したことがなかったろう。
小さい子どもに聞かせる話じゃあないと考えていたし、お前がここまで魂依りの法に深く関わることになるとは思ってもみなかったからな」
さてどこから話したものか、と祖父は一旦言葉を切る。
「……ずいぶん昔、各地の有力者のために情報を収集しながら旅をする人々がいた。彼らは山伏や社を持たぬ巫女に身をやつし、本分をこなしつつ諜報を行っていた。
すると次第に彼等の中でも術を使うのに長けた者達が、術を利用して諜報活動を行うようになった。
最初は無機物の依代を使って。時を経るにつれ、それは生き物、小さな獣から中型の獣にまで至り、より人の意のままに操るため、巫女の魂を下ろすにまで至った」
「その方法は異端だった。彼らの探究心は突出していた。度を超えていたと言っても良いかもしれん。
基本は兄と妹が準備される。妹の方には巫女の役割を与えられ、幼い頃から術が叩き込まれ、獣に魂を降ろし、操れるよう訓練が行なわれた。
巫女が失われるたび、残った兄がまた兄と妹を準備して、妹が巫女の役割を与えられる。
当初巫女は、幼くして亡くなった者が大勢いたそうだ。山の中で事故に巻き込まれて獣のまま亡くなることもあったようだが、大半は、魂を降ろした先の獣に意識を支配され、魂を持っていかれて魂の還りどころを忘れる。もしくは同化する。
理由は様々あれど、亡骸のみが残った妹は、朽ち果てる前に全てこの塚に埋められる。
そうしたことを幾度も幾度も繰り返して、この塚をも組み入れて、術はようやく完成に至った。
完成しても、巫女達の短命は変わらなかったようだが」
「ばあちゃんがよく言っていただろう、祝いは呪い、呪いは祝い。村の者達にとって、あれは戒めの言葉だ。結局のところ、膨大な犠牲の上に成り立った力だからな。
迷いがあるなら辞めて良い。誰も責めはしない。術を使わなければ、お前は巫女達が辿ったような運命から逃れることも可能だろう。逆に半端な気持ちで行えば、お前の魂は簡単に奈落に落ちる」
冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。
「……みんな、後悔したのかな、巫女になったこと」
「さてな。村に生まれた巫女達に、選択肢はなかったろうから」
「おばあちゃんは? 後悔してたと思う?」
「お前のばあちゃんは……なえは、元々最後の巫女として扱われていた。なえが巫女になる頃にはもう、魂依りの法が、この世に残してはならない禁忌の術だという認識を皆持っていたからな。
政府から村の廃村が言い渡された時、なえの処遇をどうするかで意見が分かれた……聞いてあまり気分の良い話ではないだろうから詳しくは言わんが。
じいちゃんはなえが巫女になった当初からなえの上座を務め、導いてきた。そのじいちゃんが、嫁として貰い受け、一生涯かけてなえを導くと名乗り出たことで、なえの下山が決まり、じいちゃんが村を閉じる者として、共にこの山の麓に残ることになった。
昔から、山伏と、社を持たぬ巫女が所帯を持つことはあった。だが、兄と妹の役割が始まって以来、妹の役割を果たす者は、所帯を持ったことがなかった。だから反対する者が多かった。
何が起こるかわからんからと言われた。もしもなえが所帯を持つことで災厄が訪れたら、お前だけの手でどうにかできるのか、誰も手伝わんぞとも言われた。
だが結局、災厄は訪れなかった。むしろ、なえは実里という娘に恵まれた。結、孫のお前の顔まで見れた。なえは大層喜んでいた、望外の幸せだと言っていた。それが全てだ」
普段笑わない祖父が微笑んでいた。
「同情?」
失礼かもしれないと思いつつ、問わずにはいられなかった。
「おじいちゃんは、もしかして同情でおばあちゃんと結婚したの?」
「いいや」
祖父は即座に否定した。
「決して同情などではなかったよ。じいちゃんも、なえと結婚して一緒に過ごせて、とても幸せだった。
上座が巫女を導くというが……じいちゃんは、なえに、幸せまで連れて来てもらったと思っている」
地元から戻ってきてすぐのことだった。
ミアが、待ち合わせの時間になっても裏山に現れなかった。急用でもできたのだろうかと思い、結が一人で裏山へ入ろうとしたところで、ミアの使い魔であるカラスが飛んできた。
結はカラスが留まれるように慌てて腕を差し出す。留まったカラスはくちばしで足元の何かを取ろうとした。
紙が巻きつけられている。伝書カラス? と思いつつ紙を外して開いてみると、小さい文字がびっしりと書き込まれていた。
『あたしがあんたとオカーサンの情報探ってんのバレたっぽい。北海道に飛ばされた。監視されてるからそっちに行けない。使い魔単独で送るのも、距離がかなり開くから難しくなりそう、ごめん。メールも電話も用心のために控えた。
でも、なんかあったら必ず連絡して。絶対行くし、色々手配しとく。それにもうすぐ協会の斡旋縛りも無くなるから、あともうちょっとで自由に動けるようになるはず。待ってて』
そうだ、と結は思う。もうすぐ、この任務に就いて一年が経過する。
『でも、あたしのことを待ってなくても、あんたが一番頼れる人は必ずそばにいる。万が一の時はソイツ頼れ!』
そばにいる?
咄嗟に思い浮かんだ相手の顔を取り消したくて、結は頭を振った。
「……違う、綾世さんは彼のことを言ってるんじゃない」
じゃあ、誰のことなのだろう。校長とは夏休み以来話していない。報告は、週一のペースで神主へメールで送っているが、もちろん返事はない。
結は、眷属の出現数が少なくなっていることも相まって、教職員としての生活はともかくとして、祓い師としては妙に静かな毎日を、ただ淡々とやり過ごした。