I put a spell on you(ああ……私は変わってしまったようだ)
魔王アンドレスの渾身の一撃である『絶命の風』。
それが発動しないどころか、一瞬の隙を突かれて勇者最大の切り札である『聖剣エルコデクス』が魔王アンドレスの頭上から振り下ろされた。
だが、その一撃はエルコデックス自身の判断で横に逸れ、魔王はその命を散らす事はなかった。
「おいエルコデックス!! 奴は魔王だ、この地球を滅ぼす存在だ。それなのに、どうして始末出来なかった!!」
『かの魔王の肉体は、この地球上の生命体である。また、その肉体に宿りし魂は魔王のものと同化しているが、それ以前の善性は失っていない。いや、同化した後も、魂の善性は磨かれている。故に、滅する対象ではないと判断した』
「つまり……奴の肉体から魔王の魂だけを引っ張り出せばいいっていう事だよな」
『それは不可能。既に根幹物質のレベルで同化を確認している。彼の者の魂を滅する事で、この星の未来が大きく塗り替えられる可能性がある』
聖剣コデックスは、創造神ゲネシスより賜った善なる剣。
そこに宿る力は【審判】といい、斬りつけた対象の魂を【神の審判に委ねる】というもの。
そして神の審判により【その者の魂は善である】と判断された場合、怪我を負う事なく刃は肉体をすり抜けていく。
また【そのものの魂は悪である】と判断された場合、魂は一撃で滅され、冥府へと強制送還される。
だが今回、エルコデックスは【審判】を行う事を拒否した。
一つの肉体に二つの魂が宿っている、それも【一つは善】であり【一つは悪】である。
この肉体を傷つけた場合、相反する審判が発生し、その者の肉体は魂と共に消滅してしまう。
だが、それは神としてあってはならない事。
【悪しき魂は冥府に届けせれ、贖罪を行った後、再び現世に転生する】
これが神の定めたルール。
だが、今回のケースでは【審判が発生した時点で、矛盾した結果が発生し消滅】するのである。
これは神の摂理を大きく歪めるゆえに、エルコデックスは審判を拒否し、その理由をスティーブに伝えたのである。
「それじゃあ、どうすればいいんだ!!」
『二つの魂を分離する事は出来ない。故に、我は答えを持たない』
そう告げてから、エルコデックスがスッと消える。
そして全ての武具中で絶対正義である聖剣が魔王を斬ることを拒否した為、スティーブの持つ全ての聖剣が魔王を撃つ事を拒否した。
エルコデックスの代わりの聖剣を求めても、彼らはアイテムボックスから召喚される事はない。
「……聖剣の審判は絶対 ……か。くっそ、対応難易度が跳ね上がったぞ」
この時点で、魔王アンドレスを滅殺する事は不可能となり、その魂の護符を肉体ごと封印する必要がある。
そしてこの一瞬のスティーブの迷いを、魔王アンドレスが気付かない筈がなかった。
………
……
…
『……何故だ、どうして勇者の一撃は俺を滅さなかった?』
スティーブが葛藤を続ける中、アンドレスもまた、何故己の命がいまだ保たれているのか疑問を感じていた。
勇者の持つ聖剣の一撃、それは悪しきものを確実に滅するだけの力がある。
だが、異世界アルムフレイアでの最終局面でも、アンドレスは聖剣により滅される事はなかったのだが。あの時は、魔王の中に存在する『邪神の加護』が聖剣の持つ審判の力を中和したから。
その結果、アンドレスは邪神の加護を失う代わりに、アルムフレイアから滅される事はなかった。
そして同時に、聖剣の持つ審判の力をも大きくそぎ落とす事が出来た。
結果として魔王アンドレスは封印され、世界の歴史から消滅したのだが。
『いや……あの時とは違う……。我が魂には邪神の加護は存在しない。それなのに、何故、俺は無事でいられるのだ……』
そう自身に問い掻けた時。
己の中に存在する『暖かい何か』を感じ取った。
それは魔王アンドレスの魂の中に存在する『サモエド犬』の魂。
ドイツ・ベルリン在住のとある一家に買われていたサモエド犬のチャーリー、それが魔王アンドレスの依り代となった存在。
彼が犬の肉体を得て異世界転生を成し遂げたものの、当面の間は犬の肉体という事で激しいギャップを感じていた。
そもそもサモエド犬の魂には『魔力回路』は存在しない。
故に、アンドレスは日々を犬の姿で過ごしつつ、飼い主であるモニカ・エーデルシュタイン(8歳)とその家族の愛情を受け続けていた。
魔王としての活動を続けている間も、時折……基、モニカがスクールから帰って来る頃にはベルリンにこっそりと転移し、チャーリーのふりをして過ごしていた。
そのような生活すら、アンドレスは楽しい日々であると考え始めている。
それ故に、
『私が復活した場合、この地球に住む全ての人間は殲滅し、魔族をこの地に呼び寄せる事にしよう』
という野望はいつしか、
『ま、まあ、モニカと家族が悲しむから家族は殲滅対象外……いや、近所付き合いも考えると、このベルリンは庇護下にしてもいいか……』
という風に大きく計画は崩れていき。
最近では……。
『物流のことを考えると、ドイツはまあ……保護は保護してもいいか』
と大きく地球征服計画の舵を大きく変更していたのである。
そして、聖剣の【審判】からアンドレス自身を救ったのが【チャーリーの意識】であり、アンドレスの中に目覚め始めていた【家族愛】であった事など、魔王自身も気付くことはなかった。
そう、つい今までは。
『……私の中のチャーリー。そうか、お前が私を助けてくれたというのか……』
そう胸元に手を当てて問い掛けるアンドレス。
その言葉に、彼の中のチャーリーも大きく頷く。
ここでアンドレスは死んではいけない。
そんなことになったら、モニカが、そして家族が悲しむ。
それだけは、避けなくてはならない。
そうチャーリーは考えただけ。
ただ、飼い主の元に帰りたい、だから死んではいけない。
その思いが、アンドレスの中を駆け巡った。
――プツン
その時。
アンドレスの中の何かが切れた。
『フッ……フハッ……ふははははぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。そうだ、我は死ねない、いや死なない。悪いな勇者スティーブ、我にも帰るべき場所があり、そして守るべきものが存在する。ここで貴様にみすみす殺される訳にはいかないのだよ……我、魔王アンドレスが祈る!!』
ポフッと両手の肉球を打ち鳴らし、アンドレスが詠唱を始める。
その刹那、彼の背後に一冊の魔導書が浮かび上がる。
「ちぃっ……そっちはもう動けるのかよっ」
『その通りだ勇者っっっっ。魔王アンドレスの名の元に、暗黒魔術の書グロウ・ソトホースに祈る。我が肉体を変容し、無尽蔵の魔力を持つ肉体を与えたまえっっっ……我はその代償に、わが魂の1/3を捧げる。聖魔合一っっっっ』
己の魂の一部を献上し、アンドレスが発動した術式。
それは、己の肉体を、知識を【現存する誰か】から借り入れる。
正確には対象者からコピーして、己の魂にペーストするだけ。
そして見る見る内にアンドレスの肉体は変貌し、やがてその場に一人の女性を作り出した。
「……くっそ。弥生の禁呪【コピペ】かよ。まさかアンドレスが使えるとはなぁ……そして、寄りにもよって、コピペしたのがあいつとはねぇ」
身震いしつつ、スティーブが呟く。
彼の目の前には、異世界アルムフレイアで最強だった時代の【空帝ハニー】が、杖を構えて立っていたから。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。
モニカ・エーデルシュタインはこの場で初出のキャラクターですが。
実は、書籍版一巻では登場済みでした。





