Purple Haze(魅了に負ける)
――フランス・エリゼ宮殿
静かな昼下がり。
いつものようにのんびりと執務を続けているフランス大統領、フェリックス・ボナパルトは、ふと一枚の報告書をチェックしたとき、手が止まってしまった。
そこにはコンピエーニュ迷宮の危険性についての詳細報告が記されており、元老院と国民議会、そしてフランス陸軍の三つの組織が独自に調査した資料および日本国陸上自衛隊第1空挺団魔導編隊からの迷宮についての危険性について事細かく記されている。
ただ、元老院と陸軍からの報告では『迷宮は制御することはできないため、速やかに排除すべきである』と記されていることに対して、国民議会からは『イギリスとの合同管理を行うのが最良である』という意見書が添付されていた。
ただ、迷宮を排除するためには七織の魔導師・如月弥生の力が必要であり、イギリスとの合同管理の場合は『英国王立協会』のとある科学者が専門であるということも、書類には添付されているため、ボナパルト大統領は頭を抱えたくなってしまう。
「この報告書では、陸自はあと10日で日本に帰国してしまう。そうなると、また彼らを呼び出すには時間が必要……かといって、王立協会に手を借りるなど……」
どうしたものかと頭を抱えるのだが、ふと頭のなかのもやもやが晴れていくような感覚に包まれていく。
「そうか……まずは迷宮最下層までの攻略を依頼したのち、後日改めて迷宮下層を調査すればいい。一度でも迷宮化した場所は、再び迷宮化することがある……確か、そう日本の報告書には記されていたはずだ。それでいいじゃないか、次に生まれて来る迷宮は、最初から我々が支配すればいい。そのためのノウハウを王立協会に借りればいいじゃないか」
なかば興奮するかのように、ボナパルト大統領が呟く。
その彼の真後ろでは、夜魔キスリーラが両手から伸ばした魔力糸をボナパルト大統領の頭部に大量に突き刺している。
『思考誘導』
対象者の脳に魔力糸を突き刺し、意のままに意識を誘導する魔術。
洗脳とは異なり、本人の意思を都合のいいように誘導するだけなのであるが、キスリーラはそこに『魅了のフェロモン』を付与し、自分が誘導されたことについて快楽物質をも同時に放出するように仕向けている。
これにより、ボナパルト大統領は彼女の意のままに操られることで快楽を得る。
「よし、これは後ほど……いや、急ぎ決議して手を打つ必要がある。そうだな……まずは」
一つ一つの手順をしっかりと考え、最良の手段を講じ始めるボナパルト大統領。
その姿を見て、キスリーラは満足したように舌なめずりすると、魔力糸を抜き取って姿を消した。
〇 〇 〇 〇 〇
――コンピエーニュ迷宮外
はい。
私は朝一番で迷宮外のベースキャンプに戦闘聖域を展開。
さらにマジック・アイを合計6個発動すると、一斉に迷宮内部へと飛ばし始めました。
有働3佐の命令による、最下層までの遠隔調査、これが今の私の任務です。
「……昨日、あれだけ派手にやったのに、もう小さな蟲が発生しているのか」
私の後ろでは、有働3佐と一ノ瀬2曹を始めとする、魔導編隊第一分隊の隊員たちもモニターのチェックを行っています。
今回は人海戦術、大量の眼を飛ばしつつ、それを監視する為のモニターも増設。
一つのマジック・アイに付き二人の隊員がモニターを確認するようにしています。
私は全体の制御に意識を集中するため、細かい部分での確認はできません。
ですから、皆さんの眼を頼りにしなくてはならないのです。
ちなみにですが、勝手に調査することは認められていないため、マルソー少佐と彼の部下4名もこの場に同行しています。
彼らは迷宮の危険性については熟知しているので、どちらかというと協力的した。
「はい。魔蟲は最速で、半日ほどで卵から生まれます。といっても、そこから大きくなるためには大量の魔力や餌が必要ですから、このあと待っているのは様々な魔蟲たちによる共食いバトルです。そののち、生き残った魔蟲種が群生化し、あちこちで勢力分布を広げる感じですが」
「なるほど、厄介な存在であるというのは理解できた………と、あれはなんだ? 6番の正面下、拡大できるか?」
有働3佐の見ていたモニターで、なにかを発見したようです。
そこに意識を集中し拡大させてみますと。
そこには、小さな壺が置いてありました。
「……どうやら呪具のようですが……ああ、あれですね、魔素を放出するタイプのやつで、迷宮などでは魔物の餌となる魔素を放出するやつで……って、いやいや、あれは駄目ですよ、あんなものがあったら、迷宮内部の魔素が高まってグレードがあがりますって」
「如月3曹、こっちのやつも同じですか」
「い、今確認します………」
やばいやばい、第二階層部分から先は、あちこちに呪具が放置されているじゃないですか。
でも、それにともなって巨大化した魔蟲がいる様子はなく、せいぜいが第二階層最奥で蠢く巨大なムカデが数率いる程度。あと、そのあたりには大量の魔蟲の死骸が散乱しているようですから、こいつを育てるためのものなのかもしれません。
「……ということです。ぶっちゃけますと、このあたりですでに迷宮のグレードが上がっていると確認できます。第一分隊では、あれは対処できないかと思います。そのまま次の階層へ進みます」
「りょ」
「了解」
次々と返事が返って来たので、マジック・アイを次の階層へ移動させます。
そして第三階層に到達したとき、私は信じられないものを発見しました。
「え……ダンジョンコア? 階層守護者もなく?」
本来ならば存在しているはずの階層守護者の姿もなく、ダンジョンマスターがのんびりとダンジョンコアに何か細工をしている最中。
ええ、ここに居ましたよ、夜魔キスリーラが。
そしてダンジョンコアの形状もいびつに変化しています。
すべてのマジック・アイで見たダンジョンコアの形状は巨大な樹木。
彼方此方の枝には小さなダンジョンコアが、まるでリンゴのように生っています。
そしてキスリーラは樹木部分に手を添えて、ゆっくりと魔力を流し込んでいるように………ってやばいやばい、あれはダンジョンコアを栽培しているのではないですか!!
「有働3佐、緊急事態です。夜魔キスリーラがダンジョンコアの栽培を行っています、急ぎ対処しなくては」
――カチャッ
そう振り返って叫んだ時。
私の言葉に驚いた有働3佐の背後で、一人のフランス陸軍の隊員が銃を引き抜き、私たちに向かって構えました!
「大気流動っ」
瞬時に高速詠唱、周囲の大気の流れを強制的に変化させます。
――BANGBANGBANG!!
隊員が手にしたPAMAS G1、ベレッタ92Fのライセンス版のトリガーを超高速で引き、私たちに向かって乱射。
さらに別の隊員も銃を引き抜きましたが、その瞬間にマルソー少佐が隊員をぶん殴って静止。
私たちに向かって発射された銃弾も、大気の流れで大きくそれていきました。
『クスッ』
そして私の背後、モニターに映し出されていたキスリーラが笑ったように感じます………って、やばい、遠隔魅了じゃないですか、予想外でしたよっ。
「全員、モニターから離れてっっっっ」
――パチィィィィン
指を鳴らして戦闘聖域を撤去。
同時に第一分隊の皆さんの様子を確認しましたが、有働3佐と大越3曹以外は全員、ぼーっと意識がぶっ飛んでいます。
「有働3佐と大越3曹、隊員の皆さんを全力でぶん殴って下さい。キスリーラの遠隔魅了です」
「よし」
「任せろって!!」
「それとマルソー少佐っ………は、もうやってましたか」
――ドゴッバギッドッゴグシャッ
私が叫んだよりも早く、マルソー少佐は他の隊員を次々と殴り飛ばしています。
そして有働3佐と大越3曹も他の隊員たちをぶん殴り、意識を引き戻しています。
「……ふぁ……」
「な、なんだ、あの女の姿が見えた瞬間に……」
「うへへ、はだかのねーちゃん」
「もう一発、そーれいっ!!」
一発で戻らなかった隊員にはもう一発。
そして10分ほどでその場の全員の意識を引きずり戻しました。
「マルソー少佐、有働3佐。今のはモニターに映し出されていた夜魔キスリーラの精神攻撃のようなものです。そして先ほどの画面で見たとおり、この迷宮は彼女の領域へと進化しています。一刻も早く、あの樹状ダンジョンコアを破壊しなくては、最悪はマナラインの中に生まれたばかりのダンジョンコアが吸収され、あちこちに迷宮が出現します」
「待て、それは危険すぎる。迷宮攻略の許可を得るために連絡するので、待ってくれ」
そう説明すると、マルソー少佐はすぐにどこかに通信を開始。
そして有働3佐は他の隊員の皆さんの様子を確認していますが。
「……如月3曹、彼らでは第二階層攻略は厳しいか?」
「魅了の効果が何処まで深いか分かりません。解除できたのも一時的の可能性もあります。一度でもキスリーラの魅了にかかった者は、抵抗力が低下してしまいますので、同行するのは危険かと」
端的に告げます。
まあ、今回のケースについては、相手が悪かったこと、そして私がキスリーラの魅了効果を甘く見ていたことが敗因でしょう。
そしてマルソー少佐が必死に報告を続けていますので、私は単独での突入準備を始めることにしましょう。ええ、このままですと、このヨーロッパ全体に迷宮が増える可能性があります、そうなると最悪のケースも考えなくてはなりませんので。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。





