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秋の桜子の物語集

幕引き はるさんの話

作者: 秋の桜子

 平穏無事な暮らしが続く世界は、泥沼の水面に張った薄氷の上に構築されている気がする。強固なアスファルトやコンクリートの上ではない。ほんの少し、何時もと違う強固な何かの襲来で、何かが狂うと、途端、四方八方にヒビ割れバリンと音立て弾けて……ついさっきまでの平穏無事な暮らしが、唐突に終わる。



 ひとり暮らしの彼女が冷えに冷え切った夜明けの時に、冷たい板の間でコトリと、逝った。大勢の猫のぬいぐるみ達が見送った。どこもここも、立春に訪れた大陸育ちの冬将軍の外套が、天と地を覆い空も大地もカチコチに凍結させた夜明けの頃に。


 夜が明けてほんのぽっちりの顔見知り達は、転ぶと危ないと外に出ることなく、そのままズルズルと皆、暖かい部屋で数日を過ごした。


 寒がゆるんだその日。午後の青空。陽射しはきらら。蝋梅の黄色。パンジーの黄色。水仙の黄色。何処かで潜んでいた、ふくもこの冬雀が戻りチュンチュンと囀る。


「お~い、はるさん。息子の嫁さんから荷物が届いたから、おすそ分けに来たよ」


 それでもと。取り付けられているボロいドア近くのインターフォンは、電池が切れているから無用の長物。マスクが邪魔だとずりおろし声を張り上げたあと、手袋の拳骨でドンドンとドアを叩く。 


「お~い、いるんだろ?お~い!武だよー。蜜柑とカイロとラーメンと薄皮饅頭、持ってきてやったぞ」


 ドンドン、ドンドン。


「お~い、寝てるかぁ?買い物かな……、えっと、はるさん、はるさん……、ポチ、ポチ、ポチ、ポチ……、あった!ポチっとな。ふぃぃ。今日はそれでもぬくいかなぁ。……、……、あれ?出ない」


 耳にらくらくフォンをあててる知人。下げているトスンと膨らんだポリ袋が、ガサリカサリ。通話を切ると、じっとドアを見る。


 ……、買い物にでも出かけているのか。それとも寝ているのか。それとも。何かあったか?


 躊躇をしてしまった。普段ならまた来ると帰るところを、ぐるりと裏手に回る。お目当ての部屋の窓の外には、洗濯物が干すためのロープが張ってある。そこで見慣れた衣類の幾つかが、午後の日差しを気持ち良さげに浴びていた。


「中に……、居るんかいな……」


 防寒のためか、褪せた色をしたカーテンが引かれたままの窓を叩こうかと思ったが、不審者と間違われてもと思い玄関へと戻る。コンクリートの上を歩きつつ気になった。今年の不安定に寒さが度々訪れる、何時もと違う冬に、なんとなく彼女のことが、気になった。


 ガスも、電気も食べ物も高い。出会う度に交わす、仲間内での節約話がイヤな予感を……、ひっそり運んで来た。


 ……、いやいや。これまで雪が降ろうと積もろうと、大丈夫だったし。年末の寒波の時も、大寒波のときも、ラーメン食ってカイロを多めに貼って乗り切った。って笑ってた。元気だったし、足腰もしっかりしてた……。


 手にしたままのらくらくフォンから、こういう時に連絡をするように、息子が登録していた番号にかける。何か困ったことがあったら、直ぐに連絡をしてくださいと、笑顔で話す100歳体操の時に出会う、保健師さんの顔がポツリと浮かぶ。


「あ、もしもし。武内ですが。あの……、100歳体操に来る、えっと、山田さん?を、お願いしたいのですが……」



 ☆


 夫が遺したラジオから、節分の話題。また寒くなるから要注意と、アナウンサーの声が忙しく流れる、昼食を終えたばかりの安普請のアパート。もこもこと着膨れた住人がそれを聞きため息をつく。白い息が広がる。電気代が惜しいとラジオを切る住人。  


 使い続けてせんべい化した布団がかかる天板の上には、半額シールが貼られた菓子パン、五色豆の袋、甘味の詰め合わせ袋菓子。蜜柑が数個、マグカップに卓上ポット。それらに混じり、猫のぬいぐるみがでんと座るホーム炬燵の内側には、お馴染みのオレンジ色の灯りは無い。


「はぁ………、こりゃ、金のない年寄りは、凍死しろって言ってるんだねぇ。明日、スーパーの巻きずし、半額で売ってるからそれから恵方巻しよう。いちにち遅れてもいいや。五色豆、百均で買えてよかったよ」


 ひとりぼやく

 ひとり住まう

 ひとりはなす


 壁には和箪笥、和箪笥の上には造花が立てられた小さな仏壇。何処かで貰ったペットボトルのお茶が一本、菓子の小袋がひとつ供えられている。


 壊れて映らないテレビが台の上に乗っている。画面は洋服やタオルが上に上にかけられている。どこもここもちょっとしたスペースには、猫のぬいぐるみがみっちりと並べられている。ごちゃらまな六畳一間+1畳キッチン、バス、トイレ別。


「はぁ………。石油ストーブ……。武さんに売らんと置いとくべきだったかなぁ。でも、電気やガスが上がりに上がって灯油まで手が届かない。要らないのに置いて置くのは邪魔になるし……。パンも卵もホットケーキミックスも、インスタントラーメンも、油も砂糖も野菜もお蜜柑も、高い高い。はぁ………、饅頭やクッキーなんて一回り縮んで値上がりしてたよ。もう、スーパーで買うのが怖い怖い……」


 さむさむ……着膨れした背を丸くし、手を伸ばしてギンガムチェックのひざ掛けをズルズル引き寄せると、ぱふぅ、背に羽織る。卓上ポットに手を伸ばすと、朝の沸かした白湯を、猫のイラストがプリントされたマグカップにトトト……注ぐ。


「やだねぇ、茶腹も一服を地で行ってるよ。インスタントコーヒー、値上げしてから買ってないなあ。たまには砂糖とミルクをたっぷりいれたのを飲みたいねぇ……。はぁ………。でも、コーヒーやミルク代で、お菓子を買うっきゃないんだから、辛坊辛坊。」


 ガサリ。半額シールが貼ってある4個入りのミニアンパンを袋から取り出し、ムシャムシャ……、猫のぬいぐるみに。


 ひとりはなす

 ひとり食べる

 ひとりため息


「はぁぁ……、昔はよかったねぇ。灯油は軽トラで移動販売しててさ、500円だったんだ。なんでも揃う市場があって、そこの鶏肉屋で卵がひと籠100円で買えてさ。あの店の焼き鳥、よく買ったねぇ……。旦那と私の給料日には肉屋でメンチカツ買ってさ、隣の惣菜屋でポテサラ買って、酒屋で缶ビール……。あの町に帰りたいねえ……。旦那の仕事でこっちに出てきてさ、そのままズルズル。子無しでさ。独りになってからはとてもながら暮らせないから、このオンボロアパートに越して来てさ……」


 ヒュウゥゥ、ガタガタ……


 カーテンが揺れ隙間風が冷気を混ぜて忍び寄る。手を伸ばし毛糸の帽子を引き寄せるとぐいっと深く被る。後ろ手で膨らんだポリ袋を引き寄せると、中身を漁る。


「うう……寒い!今日は風呂、やめとこ……、ガス代高いし……ありゃりゃ。カイロ、買うの忘れてたよ。今貼ってるのっきゃ無い!明日、ドラッグストアに行かなきゃ。あそこが、この辺りで一番!安いからね。仕方ない、辛坊しんぼう。今晩の寒さ、この前よりマシみたいだし、大丈夫だいじょうぶ」


 ゾクゾクと冷たさが冷えた部屋を更に冷たくしていく。身がきゅっと固くなる。手を伸ばし花柄のスカーフを取り首に巻いていると、窓の外から夕刻を知らせるチャイム。


「もう、5時かぁ……。晩ごはん……。昨日のお弁当の残り温めて……、あ。そういや切り餅が残ったよ!それとラーメンにしよ。お弁当の残りは明日に回して」


 ひとり立つ

 ひとり歩く

 ひとり向う


 数歩、擦り切れた畳敷きから板の間に変わる。煮炊きをほとんどしなくなり久しい。小さな冷蔵庫の中には食べかけの弁当、切り餅が一切れ、マヨネーズ、お供えのお下がり、新春らしい色形の生菓子のパックがひとつ。


 夏場なら卓上ポットの湯を注いで作るのだが、冬はガス代がかかるが小鍋でクツクツ、チキンラーメンを煮込む。卵が有れば入れたいのだが、ここ最近目を剥く値段なので諦めている。乾燥ネギを散らし野菜も取れてると言い聞かす。切り餅はレンジでチン♪出来たラーメンの上にのせる。小鍋を手に炬燵へと。


 ひとり戻る

 ひとり運ぶ

 ひとり喋る


「あ。お下がりのお菓子、ひとつ食べよっか」


 小鍋を置くと戻る。4個入りのパックを手に再び炬燵に向かう。よっこらしょと……、しぼんだクッションの上に座る。節約の為になるべく日がある内に、簡素な夕食を済ますことにしている。ひとり暮らしの気ままさで、好きな物を好きに食べている毎日。


 食べる間は朝昼夕とラジオをつける。ガーガーピー、今宵訪れる、節分の恵方巻きの話題が流れる。


「さて、いただきます。日が長くなってこうしてこの時間に、電気なしで食べれるの、ありがたいねぇ。ふうふう、ズルズル……寒くなる日はこれに限るよ。ははん、恵方巻き(笑)。昔はなかったよ。大阪か何処かの風習だって、旦那が知ってたな……。ズルズル、あの人……ズルズル、仕事はイマイチだったくせに変に物知りでさ、ゴクン。ふぃ。美味しい。私しゃ、節分といえばイワシと柊で育った。もぐもぐ、ズズズ、あちこちで恵方巻を見かける様になったのは、持ち帰りの寿司屋のチェーン店が出てきた頃かねぇ……。握りが安いからよく買った、もぐもぐズルズル……はい。ごちそうさま。えっと、どれにしようか」


 ひとり食べる

 ひとりはなす

 ひとりえらぶ


 ティッシュペーパーをいちまい取り出すと、梅の花を形どった和菓子をつまむと、そこに置く。食べる前に立ち上がり、小鍋と箸を小さなシンクに運びたわしでざっと洗う。戻ってマグカップに少々冷めた白湯をトトト。柔らかい紅梅色したあんこを食む。


「美味しいねえ。どれ、節分らしく五色豆を年の数だけはムリ、でも五色豆大きいからひと粒10歳と数えて……、ボリボリ、ボリボリ、ボリボリ……美味しいよ。ほら鬼の面がオマケだよ」


 正面に座る猫のぬいぐるみに厚紙のお面を見せた。


「ふう、暗くなってきたねぇ。なんだか冷えてきたけどラーメン食べたから腹の中は、ぬくいぬくい。寝る前にちょっと炬燵つけて……温もったら消して寝よ。ラジオも終わり終わり。節約せつやく」


 ピーガガガ。ラジオを消し豆電球を点灯させる。これといった用事がない限り、ここ最近、夜は豆電球で過ごしている彼女。以前は炬燵を上げ、布団を敷いていたのだが、年を重ねるに連れ億劫となり、冬は炬燵に潜り込み、夏はタオルケットを引っ被り年中敷きっぱなしとなった、キルトの敷物の上で寝ている。


 ゴロンと寝転ぶ。良い位置に置かれたままの凹んだ枕。手を伸ばしハーフケットを、よいしょよいしょと炬燵布団の上に掛ける。


「厄除けの豆も食べたし、今年も平穏無事に節分を迎えれた。明日は巻きずし、安く売ってないかな。昼に食べたいねぇ……来年は少しお金を置いといて、一本、買っておこうかな」 


 部屋のあちこちに置かれている、猫のぬいぐるみに置物達が眠るまでの彼女の話を、ぼんより明るい橙色の豆電球の灯りの中で聞いている。


 深々と外は闇に包まれキンキンに冷えていく。星空に薄く刷毛で伸ばしたような雲が、チラチラと、白の花弁を落とし始めた。


 ……寒いねぇ。明日はカイロを買うよ……ブツブツ、むにゃむにゃ、明日はうさぎの形のを食べようか、それともどれにする?むにゃむにゃ、ブツブツ、ブツブツ、巻きずし、食べたいねぇ。はう……寒いねぇ、だいじょうぶだいじょうぶ………


 おやすみなさい。言う相手は仏壇に祀られている。


 ひとり語る

 ひとり話す

 ひとり思案


 そして。度々にトイレへと向かう。


 ひとり起きる

 ひとり向かう

 ひとりもどる


 忘れていたよと、炬燵のスイッチを切る。


 そして。度々にトイレへと向かう。


 ひとり起きる

 ひとり向かう

 ひとりもどる


 夜は刻々と更けていき、明けが近づく……。夜明け前、最も寒い時刻へと、しんしんと近づいて行く。


 ひとり起きる


「やだねぇ、おしっこ。近いから困る。寒いねぇ寒いねぇ……」


 ひとりごちる 


 トイレに向かう。その小部屋は冷えた部屋よりも、より寒く冷たい空気。幾枚も重ねている衣服、ズボンを上げるのもえっちらおっちら……時間がかかる……。


 ギィィ、バタン……


「はっ、ああ、あれれえええ?アアアアア⁉」


 目玉が、ギュルルルルゥゥと回る

 身体が、フラフラフラァァと回る

 両耳が、ピィィィピィィィと鳴く


 ひとりさけぶ

 ひとり倒れる

 ひとり閉じる


 板の間の壁沿いに並ぶ猫達、プラスチックの黒い目玉にその様子が無機質に映っていた。


 見開いた目からじんわりと出た涙が頬を伝う。

 頬は冷たい床に当てズルルと鼻水が出てくる。

 身体がビクビクと痙攣、口は開いて涎が出る。


 やがて……身体の力が抜けていく。


 ひとりなみだ

 ひとり終わる

 ひとり逝った。


 厄除けだと嬉しそうに五色豆を食べ、明日の生菓子を楽しみに


 巻きずしを半額で買えないかなと来年はお金を置いといて買おうかと思い


 他愛のない平穏無事な暮らしが明日もその明日も、その先も続くもと思っていた


 電気もガスも日々の食材も上がりに上がる中、懸命に節約生活をしていた


 ひとり暮らしのはるさんの


 立春の翌日


 ほのぼのと明け方の最も冷えた時間


 ぽっくりな出来事


 幕引き。


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― 新着の感想 ―
[一言] うまく言えないのですが、その人の暮らしを隣で眺めているような、そんな不思議な気分でした 今の季節、なんとも胸に残るお話でした 読ませていただきありがとうございました
[良い点] この物語は秋の桜子さんにしか書けないな もののあはれ 生きること閉じること しみじみと 静寂に ありがとうございました
[一言] もののあはれ ありがとうございました
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