第四章
今、物語は動き出している。
尾ひれ背びれを付け、数千年間ひそかに語り継がれることとなる『英雄伝』の幕は、とっくにあがっている。
晴天の中、勇者一行は歩を進めていた。やがて来る平和と、そしてリンの死へと。
「と、晴れならなるわけだ」
どこかの畑の脇でワハハハと笑いながら、牧人は両手をあげた。その音に合わせるように雷が鳴り響き、光がピカッと叫ぶ。
「だがしかし」
牧人は芝居がかった仕草で上を指さす。
「今は豪雨、雷雨の最中である。よって、勇者一行と言えど雨宿りをしてもなんら不自然はないのだ」
彼は寝転がると左右の少女達をみた。
うち、黒髪は「ひいたわー」という表情で少年を眺める。
「お前はそうは思わないのか?」
「雨宿りはよし。畑の脇も違和感はない。ただ、他人様の小屋を乗っ取るところは勇者とは呼べない」
そう、三人は、畑の脇にポツンと建っていた小屋の中で雨宿りしている。小屋の脇には木が数本立っているが、それでは心許ないと、牧人が小屋の中に無理やり入ったのだ。慌てて追いかけたセレンもこの雷鳴を聞いては出るに出られない。
誰のとも知れぬ小屋を乗っ取った牧人は、悪びれもせず答える。
「俺は乗っ取ってはいない。借りただけだ」
「どう違う」
少女は溜息を吐くと、もう一人の少女の方に目をやった。
「それより」
「そうだな。これは問題だよな」
オレンジの髪を躊躇いなく藁の上で広げ、眠りこけているマリアを見て牧人は左右に首を振った。
マリアはもう二日前からこの様子だ。
「背負って歩くのももう飽きたからな」
起き上がって膝を組みと、牧人は呆れ顔でマリアを見た。
「いつまで寝るつもりなんだろう?」
「それより、本当に大丈夫?」
牧人は眉をひょいとあげる。
少女は眉を上げるではなく寝転がった。
「もう、起きないんじゃ…」
「その格好で言うか?」
「歩くと疲れる」
「あっそ。
………で、その話なんだけど。それはないだろう、だってメイン人物だぞ? これから冒険だぞ? ここでリタイアしちゃあ、面白くない」
ゴゴーンと雷が啼く。
「それに。眠りこける意味が分かんない」
「……」
少女は両手を勢いよく広げると、確かにと天井を仰いだ。
「魔法使いも生きる運命」
セレンは感慨深気につぶやいた。
「あなたが死ぬ運命のように」
「……………はあああああ!?」
「運命っていうのは、変えられない」
「いやいやまて」
「これは定め」
「俺はリンだけどリンじゃないからな!? リンと同じ道を行く可能性はたった十割だから、残りの一割で生き残れるから!?」
ちなみに言うが、牧人は別に数学が苦手だ。いや、やらせてみれば得意かもしれない。だが例の睡眠学習の成果もあり―――あとは察してもらおう。
沈黙が訪れ、雷だけが轟く。
雨は一向に止む気配がない。
一人の少女が空を振り仰いで呟いた。
「そして汝。救いに抗わんとす」
ほぼ無意識に詩の一節を呟くと、少女は天に手を掲げた。
ドドーンと雷が轟き、どこか遠くで焼け野原ができる。
少女はそれを見届けると地団駄を踏んだ。
どんどんと足で土を叩き、それに合わせて右手を振りかぶす少女。駄々をこねる子供のようにわーわー喚くと、やがて喚き疲れ地面に倒れた。
横倒しになった視界には小屋――今まさに牧人たちがいる小屋――が映り、しかし雨が暈して輪郭がきちんとは見えない。少女は目の前に転がってきた那須をぼんやりとみると、ギャッとまた叫んだ。
「なにゆえ!? なにゆえあの光は童に届かぬ!? もうすこしで、もうすこしで死ねると思ったのに!」
この一筋縄ではいかない少女を牧人がみれば、「面倒くさい」と即逃げるだろう。
「なにゆえだ!?」
少女は短い青漆の髪が乱れさせ喚いた。薄浅葱と薄花色が奇妙な光を放つ右目、蒲公英色を奥底に湛えた刈安の左目が、宙に浮かぶ雲を介し自分の運命を睨んでいる。
「嫌だ……」
やがて泣き疲れた幼児のようにか細い声が漏れる。
「嫌だ……嫌だ………」
だがその声は、雨音と雷鳴に儚く打ち消された。そして空気に溶けることもなく、消えた。
わけではない。
「ん? なんか声がしたぞ?」
牧人――いや、リンの耳には、僅かだが声が届いていた。
「まさか。こんな天気の時にこんな場所に人がいる?」
「そりゃそうだな」
だが届いても意味がない場合もある。
「で、やんできたけど」
「病んできた?」
「……」
セレンは眉間に皺を寄せた。その動作も美しく見えるものだから不思議だ。
牧人のバカさも不思議だ。
外では雷が過ぎ去っており、恐ろしく長い雨ももう過去のことになろうとしている。
ぽつん、ぽつん、さーさー……、とは牧人の例えである。恐ろしく語彙力のない例えを自慢げに語った牧人は、おいしょと立ち上がると少女に手伝わせてマリアを背負った。
「じゃあここを出るか」
「そう」
「んで、これからやることだけど……」
牧人は不意に言葉を止めた。
そして人差し指を少女に向かって立てると、自分は低く腰を落とし、ドアを殴り開ける。
しかし、勢いよく開けられた扉の向こうに、人影など何もなかった。
あるのは静かな雨音のみで、蜘蛛糸のような銀糸が空を、幾重も塗り重ねるがごとく降り注ぐ。視界の彼方には緑の木々が立ち並び、色鮮やかな民家が顔を出す。色彩に溢れた田畑や民家を包むのは、果てを知らぬ黒い空であり、影が躍る。だが、暗雲の隙間から計算されつくした光の筋が、あたりは確かに仄かな淡い光のウェーブが包んでいた。
一生に一度。見れるかどうかの絶景。死と引き換えにでも人が望む自然の芸術。
だがしかし。そんなの牧人にはどうでもいい。
「誰もいないな」
困惑顔で牧人はセレンを手招いた。
「いない」
「おかしい。俺は確かに物音をきいたし、気配だって感じた」
「そう。じゃあ取り越し苦労だったって、それだけでしょ」
「まあ確かになあ」
二人の人間によって、この絶景は無視された。
「で、これから何をやるの?」
「ううん……。取り敢えず、また歩くことになるんだろうなあ……」
「歩く…」
「なんだ嫌なのか?」
ジトッと牧人を見たセレンは、フンと腕を組んだ。
「私は頭を使うことを優先し、体力を捨てたの」
嘘つけ、と牧人は呟くとフン、とこちらも鼻を鳴らす。
「つまりは、賢かろうが一人じゃなあんも出来ないわけだあ?」
「だから」
「あかちゃん」
そのとき、牧人は雷鳴を聞いた気がした。
少女は変わらず腕を組んでいる。
牧人は少女を驚いた目で見ていたが、少女も困惑したのは同じだ。
「雷鳴がきこえた」
「私も」
「お前がやったんじゃないんだな?」
「あなたじゃあるまいし」
「俺が雷を落とせると思ってんのか」と言うかどうか本気で迷った牧人だったが、迷った末にどうでも良くなった。そもそもリンが雷鳴を落とせないとは限らない。
(というかこいつ、いつの間にこんな生意気になったんだろうな。
……最初はもっといい子だったのに……)
完全に赤ちゃん扱いだ。
「なに?」
「いや、大きくなったなと思って」
「は?」
少女は困惑顔でこちらも必死に悩んでいた。
「気違いになったかな」
「なに? 囚人扱いか!?」
「最初はもっといい子だっ………いえ、最初から悪役顔だった」
「そこは『いい子』で言ってもらえます……!? そもそも『いい子』の定義ってなんですかぁ!?」
そうだ、こいつ中二病だった。とセレンは今更思い出した。
そんな時だった。
「うわかああああああああああぁぁぁっぁひゃあああああああああああああああああああっ」
牧人たちの耳に悲鳴が届いた。というか明らかに犯罪者の台詞が届いた。
そして、誰もいなかったはずの畑に……、正確には牧人たちの目の前に、『それ』は堂々登場した。
これこそ、牧人が聞いた物音や叫び声の正体。緑髪の少女。
そして――
(うわ面倒臭そ)
やはり牧人の心の第一声はこれだった。
(うわうわ何? いきなり勇者の前に奇声あげながらでてくる? 悪役? てことは悪役ぅ!?)
悪役ではない。
三人は取り敢えず小屋の中に入っていた。
「他人様の小屋に勝手に入るのはよくないんだぞ」
そこで牧人は、取り敢えず説教を行っていた。
じっとりとしたセレンの視線は華麗に無視する。
「他人様のではない」
それに対し、先生に言い訳するかのように少女は反論する。
「ほう。では誰のだと?」
「僕の」
「………」
これにはセレンも牧人も顔を見合わせた。
ちなみにセレンは幼女演技中だ。
「んんと? もう一度?」
「僕のだよ!」
今度は緑髪は細い叫び声をあげた。完全に先生に怒られている子供だ。
緑髪はふう、と息を吐くと、丁寧に正座をしてへらっとわらった。
「僕のじゃ!」
さてはて子供とはわからないものだ、と牧人は腕を組む。セレンと違ってそこに妙な美しさは無い。
「君、何を言っているのだね? 其方が作ったとでもいうのかね?」
「そうだよ!」
わざわざ緑髪に合わせて古風な喋り方にしたというのに、子供はやはり空気を読めないらしい。否、牧人が一人でふざけているだけともいう。
ともかく少女は強く頷いた。
「僕が作ったんだよ!」
「ふうん、造ったのか……」
そうか、そうか……と牧人は幾度か頷き、
「はあ?」
と呆れ叫んだ。
(お前が作っただって? いやないないない。こおんな子供が作れるわけなあい)
すると緑髪の少女はすっと部屋の隅を指した。
「信じるかは、君にお任せだよ。だいたいこんな物、子供が作れるわけないもんね」
少女の指先をたどっていくと、そこには確かに蝋燭があった。いくつか蝋燭が積み上げられた上に、焦げた紙片が転がる。
紙片には、確かに何事か書かれていた。だがそれも燃え落ち、インキも乾いた壺があるばかりだ。
「つくる、か……」
牧人は手を伸ばし、インキ壺を手に取った。
(さっきまでこんなのなかったよな? てことはやっぱ悪役か!?)
飛躍とはこのことを言う。
一方セレンは、別のことを考えていた。
(この子が本当にここのすべてを作ったとしたら……)
「もしかしたら、この子は魔法使いを起こす方法を知っているかもしれない」とセレンは牧人に耳打ちした。
牧人も何度か頷くと、
「じゃ俺が仮に信じたとしよう」
「うん!」
「お前は何でもつくれるんだな?」
「そうだね」
「ではそんなお前を見込んで頼みがあるんだが」
「なに?」
「紙を作ってくれ。俺はこれでも物書きなんだ。本を書きたいから、紙と……できればシャーペンがほしいな」
牧人にとっては、マリアが起きていようといなかろうと、さして問題はないのだ。一つ問題があるとすれば背負うのが大変なことだけ。
セレンはぎょっとしながらも幼女演技中なので開口をこらえた。
緑髪の少女は、一瞬逡巡すると、へへっと笑って頷く。
「わかった! 紙と……、『シャーペン』? 『シャーペン』って?」
「ま、インキでいいや」
「紙とインキだね!?」
少女は勢い込んで尋ねると、牧人が頷いたのを見て即立ち上がった。
元気よく外に駆け出したかと思うと、その背中は風で搔き消えたように見えなくなった。
「ばか?」
少女がいなくなって開口一番、セレンは暴言を上品に吐いた。
「なぜ?」
「なぜってなにがですかぁ?」
一方牧人も執筆ができるということで上機嫌で問い返す。
「なぜ紙とインキなの?」
セレンとしては、紙とインキよりマリアを起こすことのほうが重要だ。
だが牧人は上機嫌に笑いながら言う。
「昼寝は大事だし」
「問題だ、って言ったのどこの誰?」
「言ってないし」
「このままじゃ魔法使い死ぬかも」
「構わないし」
はあ、とセレンはため息を一つ挟むと、疑問を問うた。
「じゃあなぜ、背負って歩いてるの? 捨てずに、一緒に背負ってきてるでしょ?」
「ええー-っ、背負ってるの俺だけじゃあないですかあ?」
「………」
「ええと、こほん」
セレンの眼差しに、さすがに身の危険を感じた牧人は、咳払いすると語った。
「まあ俺も紳士な英雄だからな」
セレンはもう一度ため息をつくと、「やはりこういう中二病は面倒くさい」と額に手をやった。
やがて緑髪の少女は戻ってくると、二人の前に正座した。
手には幾つかの瓶を持っている。
「こっちがインキだよ」
そのうちの一つを牧人に手渡すと、緑髪の少女はからからと笑った。
「いやあ随分昔につくったものなんだけど。葡萄酒を使ってインキが作れないものかと苦心していた時期があってさあ」
牧人が瓶の中に手を入れると、確かに黒い『インキ』が手についた。
「そしてこっちが紙だよ」
緑髪は壺の中から薄い羊皮紙を取り出した。
「これはシャツを薄くする方法を考えていた時に偶然できちゃって……。まあ普通の羊皮紙とあんまり変わらないから!」
牧人は指先についたインキを羊皮紙の上で滑らせてみた。すると普通にペンで書いたかのように線が浮かび上がる。
「すごい」
牧人は素直に称賛した。
すると緑髪は褒められたのに微妙な顔をし、やがてふぁぁと欠伸を漏らした。
「そんなのどうでもいいよね」
緑髪は伸びをすると、座りなおす。
「お兄さんたちが本当に聞きたいこと、教えてよ」
「ん? 俺は本当にこれがほしかったぞ?」
「そおっかあ」
少女はいやいやをするように首を振った。だがそうしながらも、目は底光りする奇妙な色をたたえながら、牧人たちを見てわらっていた。
「残念だなあ。条件によったら、お兄さんたちが望むものを与えられるのに」
牧人は両手に壺を抱え「わははは」と悪役声で高笑いしながら小屋を出た。
「これで小説がかける。小説が書けるんだ!」
「結局今日も物語は動いてないね」
「いやあ民が喜ぶ声が聞こえるようだ」
「ごめん気違いなの忘れてた」
少女は牧人が抱えきれない分を持ちながら「重いしこっそり降ろそうかな?」と牧人が聞いたら憤慨しそうなことを考えていた。
「そうだお前」
牧人はふと背後を振り返ると、隣のセレンに「先に行っといてくれ」と呟くように言った。そして背後の緑髪の少女に笑いかける。もっとも、この男は表情をつくるということがへたへたくそくそなので、表記としては「変顔」が一番正しいが。
いや先に行くも何もどこに行くか決まってないでしょ? という言葉を飲み込み、少女は取りあえず前方に向かって歩き出した。
少女の足音が遠ざかるのを待ち、緑髪は小屋から顔を出した。
「お兄さん、望みを叶えちゃおうか?」
「違うよ。望みは本が書ければ叶ったも同然だし」
緑髪は困惑顔で肩をすくめる。
「じゃあなあに?」
「いや……。なんというか、俺はリンだ」
突然何を言い出す、と少女は虚を食らった顔で瞬いた。
「お前とは、もう一度会うだろうさ」
「どうだろう? 私は旅をしているからなあ」
「会うんだよ」
牧人はやれやれとため息をついた。
「お前さあ、俺と会わないようにするとかできる?」
「そう言われると会いに行っちゃう」
「ぜーったい嫌だかんな? うっわー-うわー-うわうわうわうわひくわああああああああああああああああああ」
「うるさい」
「出会い頭に奇声あげてたお前が言います?」
少女は呆れると、ちろっとわらう。
「でもまあお兄さんがそういうなら、僕たちはもう一度会うんだね。……まあ嬉しいし。いつになるか分かんないけど、その時はよろしく」
いつか、じゃなくて、明日また会ってしまうんだよ、と牧人は重い気持ちで考えた。
そう、この少女は研究者肌の――リンの仲間だ。名を多く持ち、マリアに教えた『ケン』も彼女の名の一つだ。今まで思い出せなかったのだから、牧人がいかにこの人物をテキトーに書いていたかがうかがえる。
とにもかくにも、明日もう一度緑髪にあってしまえばおしまいだ。物語がレールを順調に進んでしまう。
「取り敢えず、絶対に会うなよ? わかったな?」
「ああうんうんわかったわかったあ」
緑髪は右手を差し出した。
「僕は……そうだね、ユエだよ。いや、スピカもいいかな?」
「じゃあケンで」
「なんでえ?」
「呼びやすい」
「ふぇっ、そんな理由で!?」
呼びやすいから、という理由で名前を付けられてしまったケンは、ゆっくりと牧人に背を向けて歩き出した。不満顔でぶつぶつ言い、やがて面倒になり「まあいっか」と投げ捨てる。
「まあ取り敢えず絶対に会うなよ?」
「わかったよぉぉ」
「右手差し出してたくせに。ありゃ握手だろ?」
「あ、友達になろうとしてたのバレた? ――なあんて嘘だよ。癖で出した」
「逆に傷つく」
じゃあねえとケンは手を振り、牧人にしか聞こえないほどの小声で呟いた。
「僕は、鳥でありそして、虜囚だよ」
んあ? 何言ってんすか――?と牧人が問い返した頃には、ケンは空気で掻き消えたかのように思われた。