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第三章

 マリアは草原と建物一つを隔てた影で、泣き崩れる子供たちを何とか宥めていた。

「とおちゃんが…とおちゃんが……っ」

「とおちゃんはきっとすぐ戻ってくるわ。ユーリ姉ちゃんが今、凄く強い救援を連れてくるから」

 断定的な口調でそう言う彼女は、ユーリ姉ちゃん、の部分に力を込めて言った。マリアは三つ編みにしたオレンジ色の髪が急に鬱陶しく感じられた。子供は泣き止もうとする努力などしない。

 マリアの周りにいる十人に満たない子供は皆幼く、襲われでもしたら役に立たないうえにすぐ死んでしまうだろう。一番下は三つ、上は四つ、マリアは十五だ。

「ユーリ姉ちゃんが、きっと、すぐ助けを連れてきてくれるわ」

 それでもユーリ姉ちゃんという言葉を聞くと、少年少女はそろって強く頷いた。まだ泣きべそをかいてはいるが、無理に今父や母、仲間たちが戦っている場所へ行こうともどこかへ逃げようともしない。子供はすぐふらふらとする生き物でこういう時は特になのだから、ユーリ姉ちゃんという言葉は凄い、魔法のような言葉なのだ。

「ユーリ姉ちゃん、早く来て。私が子供たちをまとめられてるのも、長くは続かないわ」

 背後では、廃墟一つ隔てていたとしても獣の低い唸り声や仲間たちの喚き声が聞こえてくる。十五であるマリアさえ、いつ不安になりここを飛び出してしまうかわからない。かといってここから一番近い建物までは五十メートルある、移動中に獣に見つかって食われるのがおちだ。


 ユーリの後について走っていた牧人は、眼前の景色に眉を顰めた。

「これは……、戦争の跡か?」

 草原にところどころ建つ石造りの建物は全壊しているもの、半壊しているものと一目で廃墟だと分かるものばかりだ。

「いや、災害が起こったんだ。原因不明でな、突然爆発音がしたと思ったらこの有様だ。周辺に住んでた人は骨も残らぬものが殆どだった。土砂崩れか、はたまた隕石かといわれている。見てたものは全員死んでいるからな、真相は分からない」

 遠くで獣の唸り声や人間の罵声や怒号のような激しい声が響いている。

「隕石、か……」

 牧人はひとりごちた。

「そんなことはいい。近いぞ、もうすぐだ」

 ユーリは息が上がっているようだった。息が上がっていないのと言えば、牧人と少女だ。

「お前は良いよな、全然疲れないよな」

「私はそもそもついていくとは言ってない」


 三人がマリアの元に駆け寄ると、マリアはほっとしたような表情を見せた。だが当然すぐ険しい顔になり背後を見る。

「ではユーリ姉ちゃん、この子達を頼むわ。少年、少女、君達が助けに来てくれたのね。ありがとう。では戦おう」

 そういうとマリアは素早く廃墟から草原へと躍り出、眉を顰めた。

(30点ね……。少女の方はなかなかだけど少年はどこにでもいるモブかしら。普通過ぎて30点、戦えるかも不安だわ)

 少女を背負っている牧人も廃墟の近くに転がる瓦礫から大きいのを二つとると、広い空の下抜けるような広大さを誇る草原へと飛び出した。いや、別に誇ってはいないだろう、あるのは廃墟と獣とそれに襲われる人間だけなのだからドドド田舎にもほどがある。

「まさか、あのガキが男に点数つけるとは思えないけど」

「お前はあの魔法使いを貶してんのか、かばってんのかどっちなんだよ」

 まずは全体把握と牧人は戦場をじっと見据えながら小走りをした。十一頭の健康なリーパーに対し、重症患者五名プラスの負傷者十名だ。これはリーパーの圧倒的優勢とみて間違いない。

(だが戦況は救援によって変わるのが王道ってやつなんだよ)

 牧人は自身の身長の二倍はある瓦礫を高々と掲げ、リーパーの前足に振り落とす。

 二本の大きな角と深紅の目、暗黒の毛を陽光の下光らせる四足歩行の巨体は、しかし牧人の攻撃にピクリともしない。

「あーー。よくない?」

「よくないね。これはアランを倒すとか店員に追いかけられる前に、これに倒される方がはやい。まあ英雄も巨大な獣の前じゃあえなく倒れるってやつ?」

 あはは、と乾いた笑いを洩らした牧人の頭上が巨大な影で覆われ、リーパーが牧人をじろりと見下ろした。


「……と、思ったんだけどなあ」

 牧人は五匹目の頭上にこぶしをお見舞いしたかと思えば地面に着地した。地響きを起こし、背後で巨体が地に伏した。

「やばいな」

 今やリーパー六頭は全て牧人の相手だ。これで助けるべき人間を助けたことになるが、牧人はぐっと顔を顰め、今や瓦礫もどこかに行ってしまった両手を擦り合わせる。

「なぜ」

「だってそうだろ。これじゃあ圧勝だろ、そしたらマリアが俺に惚れるだろう」

「そう?」

「そーなんだよ。『あらまあなんと勇敢でお強いのかしらぁ?』ってなるだろ!? そしたら物語がレールに乗っちまうだろ!」

(強すぎで圧勝な時点で少なくとも勇敢さはゼロでしょ)

 そして次々と倒れていく巨体をみた。呻きながら逃げ出そうとした獣を、やはり牧人は容赦なく斬り、殴り、捨てている。



 マリアは体を震わせていた。呆然と他の仲間と共に戦いを見ている。

「強い……」

 仲間が伝言ゲームでもするかのように呟く。


 強い

 強いぞ

 あんな強い奴初めて見た

 マリアより強いんじゃないか?


 口々に強いと囁かれる中、マリアの表情だけがあかるい光を失っていく。

「私より、強いわ」

 口の中だけで呟くマリアは地面に吸い寄せられるようにへたりこんだ。



「やばいぞこれは、苦戦だ苦戦。牧人、お前なら苦戦できる」

 牧人は自分に言い聞かせていた。

 だが事実、できもしないのだ。彼が振るうこぶしは、必ず的確にかつ強烈に響く。

「そうだ」

 黒い毛を獣から毟り取り、牧人は頭上に声をかけた。

「お前、そこから転がり落ちてくれ。お前守りながらだと俺も絶対苦戦するぞ」

「嫌」

 牧人はちぇ、と舌打ちをし、気付けば最後の一頭になっていた。

「リーパー、せいぜい苦しめよ」

 地面を蹴ったかと思うと少年の体は宙を舞い、黒い獣へと吸い込まれていった。


「はあい、圧勝しましたあぁ。ええと、次にやるべきことはあ?」

 牧人は少し遠巻きにしている人々の方を見る。

 重症患者五名、負傷者十名、魔法使い一名。

「いや、圧勝じゃないか……」

 重症患者のうち四名を人々は囲い、泣き、その様子から牧人も理解していた。

「四人、死んだ」

「いえ、五人」

 五人目は、まだ生きていた。だが牧人が歩み寄ったころには息を引き取り、安らかな顔で眠っている。だだっ広い草原には獣の血だけでなく、人間も血を流し、死んで行っていた。

 マリアは俯いて、廃墟の裏側にいる姉に報告しに走った。

 暗がりで子供たちをまとめ、面倒を見ていた姉に、妹はただ一言「おわったわ」という。その口調でおおむねは察せられた姉は、「そうか」と俯いただけだった。

「みんな、ここでまってるんだ。いいな?」

 ユーリの口調にただならぬものを感じたのか子供は押し黙った。

 やがてユーリが廃墟から歩み出ようとすると、いやだ、と一人が呟いた。

「いやだ。いやだよ、だってきっとお父ちゃん、死んじゃったんでしょう」

 ユーリが廃墟から顔を出し、はっとなる。

「だってお父ちゃん、今にも、死んでしまいそうなっ、あんな弱って……」

 確かに、そう言った子の父親ルシューレは死んでいる。遠目でも分かるほどはっきりと息を引き取っていた。

 だがユーリは子どもを振り向くと、にこりとわらってみせた。

「お父さんなら、獣にかじりついて踊っているよ。カナと、ルイと、マイと、ジルのお父さんも一緒にさ。あんまり格好悪いから、みないでやってくれ」

 ユーリが愉快そうに笑うが、名を呼ばれた子供たちは不安げにきく。

「本当に……?」

「本当に。おれが嘘をついたためしはないだろ?」

 そう言われると、子供たちは目に光をともし、力強く頷いた。

「お父ちゃん踊ってるって」

「あはは」

「かっこわるぅい」

 ユーリもあははと笑うと、妹に目で合図をした。

(子供たちにばれないよう、弔ってくれ)

(わかったわ。……ユーリ姉ちゃん、)

(大丈夫、おれは大丈夫だ)

 マリアは俯き小さく頷くと、駆け足で戦場だった場所へと戻った。


 五人は急ぎ丁重に弔われた。マリアと牧人少年が掘った穴に五人は埋められ、そのうえで火が焚かれた。彼らの服に火をつけ、燃えだしたところで消し止めた。普通は燃え広がるまで待ち、消火をする。だが何せ草の上なので焼き野原にするわけにもいかず、取り返しがつかなくなる前に急ぎ消火をしたと言うわけだ。

「ではそろそろ日も傾いてきたね、もう帰ろう。少年、少女、帰るときに護衛をしてもらってもいいかしら。獣がよく出るものだから」

 暗い顔をしたまま、赤い空と地面を背景にマリアは笑みを浮かべようとした。だがうまくいかず、苦笑のような、泣き笑いのような表情になり、つんと顔をそむけた。草が地平線からどんどん燃えるようだ。

「そういえば少年、名前は?」

 牧人、と答えようとし、少年は一瞬思いとどまる。

「あーー、リン?」

 しまった、と直後牧人は気付く。

(リンって主人公の名前じゃん! なんで咄嗟に思いついたのがリンなんだよ!)

「へえ、リン……。そっちの少女は?」

 マリアはさして興味がなさそうに相槌を打つ。

(リンかあ、やっぱり30点ねえ…)

 少女はしんと沈黙を着、牧人の後ろに隠れるようにする。

「あ?」

 少女を振り向く牧人に少女は何も言おうとしない。

「お前、名前は?」

「ある、けど」

「言いたくないのか?」

「いえ」

 なんなんだよ、と牧人はあきれ顔をした。

「覚えてない」

「あーね。………は?」

 少女が記憶を失っていることを少年は知らない。

「名前、もしかして言いたくない?」

 マリアは少女の目線に合わせるように腰をかがめた。

「うっ……。おおきいひと、いっぱい…。けものも、いっぱいいた…。こわい」

 少女は高い声を出した。泣き出しそうな子供の声に、マリアは狼狽える。

「うそつけ」(ぼそっ)

「ううん? お兄さん聞こえないよーー?」(ぼそっ)

 マリアは狼狽し、助けを求めるように遠くの廃墟を見る。

「ご、ごめん。ええと、では今から帰ろうかしら。おうちに、帰るのよ」

 しばらくおろおろしていたかと思うと、マリアは先頭に立ち歩き始めた。男たちが獣の一頭を協力して運び、ゆっくりとした足取りで廃墟へ向かう。

「ユーリ姉ちゃん、帰ろう」

 影の濃くなっていた廃墟に着くと、マリアはユーリに声をかけた。隠れて泣いていたのだろう、ユーリの目がわずかに赤みを帯びている。

 頷くと、ユーリは子どもたちをまとめ上げマリアと並び先頭に立った。

「お父ちゃんは?」

「お父ちゃんはね、獣を食べると、旅がしたいって言い始めたんだそうだ。獣を狩ったり、色々な国を回りたいって、急に。それで何人かがついていった」

 マリアは震えを微塵も感じさせない力強い声で背後の子供に言った。

「へえ。お父ちゃんらしいなあ……私を、置いて…」

 背後の子供は啜り泣き始めた。それに伝染したように、何人かが泣き声を上げる。

「ちょっとまって、私も泣く系?」

 牧人の頭上で少女が思わずといったふうに漏らす。

「お前空気読めるか?」

 今度は自分が呆れてやる番だと牧人があきれ顔を作る前には少女も啜り泣き声を作っていた。しかも牧人のぎこちないおかしな顔より何倍もマシな泣きまねである。牧人でさえ一瞬本当に少女が泣き出したのかと思いギョッとした。

「お前、こわいな」


 やがて一行は草原の草を踏み、ぽつんぽつんと建つ廃墟を横目に一枚上の存在感を放つ廃墟の前へとたどり着いた。草原は永遠のように続き、振り返ろうが廃墟と空以外は見えない。

「今日はここで野営だ。普通に走ればすぐ着くだろうが、それを持ってだとな」

 ユーリはちらりと後ろに視線をやった。男たちが数人がかりで、黒く鋭い光を放つ獣を背負い息切れをしている。一行のスピードが遅いのは、子供がいるからというのではなくこれが主な理由だ。男たちはそれをきくとほっ、と息をつき、鈍い音をたてながら獣を下ろした。

「いや……。野営じゃないな」

 男どもはピクリと肩を震わせる。

 ユーリは丸い筒状の三階建ての廃墟に目を向けた。直径百八十九メートルの廃墟は茶色い土でできており、等間隔に半楕円や四角の穴があいている。

「今日はここで泊まろう。昔は格闘場だったと言うし、地下に動物の檻だのがあったと言うからな。安全だと良いんだが……」

 男はそれに大声で歓声を上げた。

「そうしよう」

「今日はここで泊まろう」

「いい案じゃあないか」

 牧人は首を回し、少女を見た。

「こいつらって、思ったより単純?」

 少女は答えない。

(牧人少年、逃げるなら今しかないけど。気付いてない、これは知らせるべき?)

 少女は悩み、思考を投げ捨てるように首をふった。

(私には関係ないし)

 そんな少女の心中も知らず、牧人は建物をただぽかんと見上げるばかりだった。


「これさ、コロッセオだよな?」

「なに?」

「いや、コロッセオはコロッセオだよ」

「そう」

 そんな意味のない会話を繰り広げている二人のもとに、ユーリが駆け寄った。

「今マリアが肉を焼いてくれてるから、きてくれ。夕餉にしよう」

 少女と少年は格闘場の舞台である中央の台で、数時間前から座り意味のない会話で時間を消費していた。そんな中に突然意味のある会話が投げ込まれたのだから、当然二人の反応は決まっている。

「え?」

 と呟き振り返ることだ。

 もうすっかり夜は天幕を世界におろし、星ばかりが闇の中に光っていた。そのうちひときわ目立つ、夜を切り取る月の淡いぼんやりとした光が二人の目に映る。そして上から下へと視線をずらし、しゃがんだユーリの顔が目に入った。

「夕餉だ。おれ達にとっては、もう何日ぶりかの夕餉だ」

 ユーリの声に牧人は立ち上がり、その背に少女が乗る。

 牧人は痺れる足を何回か回し、廃墟の外を見た。

 外では、数時間も前から肉の解体が行われ、干し肉やら毛皮やらが協力して作られている。それが終わったのだろう。

「ああ…」

 少女は納得した声を出した。

(牧人少年がさっき『もう帰る』と言わなかったのは、このためだったんだ…。どうせ帰っても一文無しにご飯は無いし、じゃあ獣を連れた一行に奢ってもらおうと。なるほど)

 対し、少年は闇に隠れてにやにやと笑っていた。

(ラッキー! まじか、夕餉をいただけるとは……。ああぁぁ、神様ありがとおおおおっ! 今日はもう食べられないものだとばかり思ってたああぁぁぁ)

 少年は単に、逃げるタイミングだということに気付けていなかっただけだ。


 肉を焼いていたマリアは、仲間たちに囲まれながらこっそりと何度目かの溜息を吐いていた。

 うつろな火が、時々爆ぜては光片となり宙に吸い込まれるように消えてゆく。炎が揺れれば、視界もゆがみ、揺れる。

「マリア―!」 

 だがユーリの声を聞くと、マリアはにっこりとした笑顔を浮かべた。ユーリは軽い足取りで後ろに少年と少女を引き連れて火の前に来ると腰を下ろした。生存している仲間全員がこうして大きな火を囲っている。三歳は流石に寝ながらだが、四歳のうち二人は眠そうにこっくりしながらも火を見つめている。

 マリアはユーリの足音を聞くと、だんだんと心が浄化されるような気がした。だがそれも一瞬で、ユーリが見えなくなれば、反動のように先より大きな闇が心を覆うのだろう。

 マリアは肉を一人一本ずつ渡した。人のふくらはぎより少し太く、大きな肉を配り終えると、自分も骨を持ちかぶりついた。肉の生臭さと、焼けて少し硬くなった肉を噛む。久しぶりの夕餉にマリアは唾が大量に出てくるのを感じつつも、食べきるのがもったいないような気がした。

「いただきます」

 牧人が小さく呟き肉にかぶりつくと、少女とマリアは同時に目を瞬いた。

「それは?」

 少女が代表したようにきく。

「あー…」

 牧人は数瞬考えたのち、

「リーパーへの感謝、だな。あと、リーパーを解体したみんなや、焼いてくれたマリアへの」

 マリアは肉を凝視した。

「私が、やいた、肉……、ね」

(私じゃなくても、焼けるわ)

 マリアは暗い表情をして肉にかぶりつく。

 だが牧人はそれをみて少女に小さく囁いた。

「あれさ、俺に恋してる表情? 感動しちゃった、俺の言葉に?」

「ちがう」

「でもさ、この流れ、そうじゃん? これで『一緒に旅してくれるかしら?』ってなったら大変だよな。ちょっときいた方が良いか」

 牧人は立ち上がると対面に座るマリアの方へ火を回っていった。

「マリア、お前、俺と旅したいとか思ってる?」 

 マリアはあと少しでむせそうになる。

(え、こわ。30点なのに、こわいわ。こういうの過大評価っていうのかしら? 自信ありすぎ? 自分の顔さわってみたことないんじゃあ?)

「な、ないわよ」

 その答えに牧人は、本当は思ってるんだな、と受け取った。

「そういうのこっちから願い下げだからな? 間違っても言いだすなよ?」

 声を低めて二人は話すと、牧人は少女の隣に戻った。

「あるってさ」

「なにが?」

「いや、絶対恋してるだろ」

「ない」

 少女は即答し、あきれ顔で牧人を見るマリアの顔を、見る。

(あれはどっちかというと牧人少年を嫌ってる顔)

 だが牧人少年は頭を抱えている。

「ああぁぁあ、物語がレーンに乗っちまうぅぅぅぅ」

 少女は少し息をつくと周りを見た。

 わいわいと、一つの火を囲み楽し気に語らう人々に、仲間を失った憂いは見えない。今の瞬間だけは、かなしみを忘れているのだろう。それかまたは、忘れたふりをしているのか。

「ああぁぁぁ、次は何考えればいいんだぁ?」

 苦しい表情をしているのは、牧人少年だけである、ある意味。

「ええと、この後は旅しましょうって話になるんだよな? そこで『いや、俺はこの町に残る』とかって言えばいいか。で、なんで旅に出ることになったか……、リンが話を持ち掛けたのか! じゃあ間違ってもそんな話をしてはいけない…。おしまあこれでいいな」

 ぶつぶつと低い牧人の声は、喧騒に紛えて消える。

(思考を口に出さないと死んじゃう人なの?)

 少女は呆れながらも香ばしい火と肉の匂いを肺いっぱいに吸い、歯を剥き出しにしてそれにかぶりついた。

 

「では寝ようか。地下に動物の檻があると言うが、そこには何があるかわからない。安全を考えるとむしろ交代で見張りをして外で寝る方が良いかもしれない。中心の台で寝よう」

 ユーリは話しながら立ち上がり、手近な瓦礫を被せて火を消した。ふっ、とあたりが暗くなり、空では星が、先より眩しく光る。

「見張りの順番は……、」

 ユーリが慣れた手際で指示を出す。

「それで、お前たちはやってくれるか?」

 最後にユーリが少女と牧人を指した。

 牧人は当然のように首を振る。

「じゃあ今指示したとおりだな。全員、ついてきてくれ」

 ユーリについていき廃墟に入ると、早速牧人は台の端で寝ころんだ。隣には少女がいて、上は星空が飾る。星は綺麗というが、こうも沢山あると一概にはそうとは言えない。多すぎると言うか、ごちゃごちゃというか。

 いつもの違う環境で、しかし牧人は吸い込まれるように深く眠りについた。少女はゆっくりと眠り、やがて見張りのユーリ以外が眠りについたとき、一筋の星が頭上を流れ赤い奇跡を残し、燃え尽きた。


「うぅ……」

 最後の見張り番のマリアは、皆が寝ているのをいいことに嗚咽も気にせず泣きじゃくった。

「30点のくせに、30点のくせに……っ。リン…っ」

 うわーんとなくと、それにピクリと反応し、牧人が起き上がった。

「え、30点て、俺?」

 低くね?と牧人は呟いてさぞ驚いたような顔をする。

「な、なんで起きてるのよ!?」

 少女は背後に牧人がいたことに驚き、半分呆然と叫んだ。泣くのも忘れ、目を大きく見開く。

「んなことどうでもいーの。それより30点て何? 低くない?」

「いえ正当評価よ」

「いやいやいや……。あそうか、平均がそもそも低いのか」

「私が知る限り、あなたが一番最低点数よ」

 しん、と空気が凍った。

 直後、うおおおおぉぉっ、と呻きながら牧人が頭を抱える。

「いやまさかね。まさかまさかまさか」

「それはどうでもいいわ。リン、一体いつから起きてたの?」

「…いやまあ? 今までの生活習慣上3時くらいには起きてしまって?」

 さんじ、と聞きなれない言葉をマリアは口の中で反復した。

「それで」

 牧人は立ち上がり、伸びをしながら少女を見た。

「なんで泣いてるんだ?」

 

 しん、と空気が凍り、直後慌てたようにマリアは顔を擦り、涙を拭きとった。

「なんでって……」

 あんたが悪いのよ、とマリアは脳内で怒鳴る。

 それを見透かしたように牧人は聞いた。

「俺、なんか怒らせることしたかな?」

 マリアは黙った。

(そうだ、リンは悪くない。悪いのは……)

「いいえ。私は、私に、怒っていたのよ」

 マリアは子供のような幼い顔で、牧人の顔を見た。

 牧人は、紺色の瞳でマリアを見ている。澄んだ瞳は、モブのような色をしながら、しかしモブではないと思わせるどこか謎を秘めた光を放っている。

 暗がりで上から向いている牧人の表情を、マリアは見ることはできない。想像も。

 だがしかしマリアは、その瞳を見ると『話してみよう』という気になった。不思議と心の固い氷が溶け、発言を促す自分がいた。

「私ね……」

 だが怖がる自分もいた。話したら、どう思われるか。

 そんなどうでもいいことで泣いているのか、と呆れられるかもしれない。悩んでなにかあんの事実だろう、と冷たく斬り捨てられるかもしれない。

(でも、まあ所詮たった一日の仲よ。きっと、もう会わない。なら話しても別にいいんじゃないかしら?)

 自分の心には、色々な自分がいる。だがマリアは全ての『自分』の発言を聞く前に、言葉を紡ぎ始めた。始めれば、あとは勢いだ。

「私、何もできない。なんにも、できないの。ユーリ姉ちゃんみたいな統率力もなければ、子供たちを泣き止ませるのすらできないわ。肉の解体もできない」


 マリアは洪水のように言葉を続けた。

 マリアはもともと、裕福な家の子供だった。文字の読み書きも、食事のマナーもそこそこできていた。優秀な兄や姉がいた。マリアは十歳の当時、それらを誇っていた。

 だが十歳の夏、飢饉や災害、仕事の失敗で家はどんどん貧乏になっていった。その時食べる口を減らすため、マリアは捨てられることになった。マリアは行方不明ということにされ、町の貧民層の裏通りにこっそりと捨てられた。

 泣きじゃくるマリアに声をかけたのは、ユーリだった。当時酒場で働いていたユーリがブラブラと散歩していた時、マリアの泣く声が聞こえたのだ。ユーリはマリアに「どうした?」ときき、マリアはすっかりすべてを話した。ユーリはマリアを連れ、酒場で一緒に働こうと言ってくれた。ユーリのような貧民も、マリアのような富豪も同じ待遇で受け入れてくれる、珍しい店だった。マリアはユーリを姉と慕うようになっていった。

 だがマリアが働くようになり数か月で店はつぶれてしまった。

 ユーリや酒場仲間たちと一緒に働き口を探すが、この大人数を受け入れてくれる場所ほとんどなかった。人数的には受け入れてくれる一部の店はしかし、所作から明らかに身分が高いマリアをこわがり、結局は受け入れてくれなかった。

 そんなわけで、一行は結局狩りをして暮らすことになった。狩りをし、獲物を売り、仲間の増減のたびに泣き、笑い、時を過ごした。


 そうして、今に至る。

「最初はね、私の知識や所作が、たった一つの自信だった。でも、私に身についている教養は、ここでは何の役にも立たなかったわ。それどころか、それは短所だったの。

狩を始めて、私の強さが、自信となった。私たちの中では強い方なのよ。――でも、私は強くなんてなかった。私はリーパー一頭でさえ戦えない…。何人もの仲間が、今日私のせいで死んでいったわ」

 マリアをまっすぐに見下ろす牧人の表情こそ見えないが、それでもマリアは牧人が無表情なのを感じた。

「お前は、仲間を死なせたことで泣いているのか、それとも自分が何もできないから泣いているのか?」

 マリアは目を伏せた。この二つでは、意味するところが天と地ほど異なる。

「…………」

「お前が、仲間を死なせたことで泣いていたのなら。確かに、お前はあの十五人を救える力があるのに、五人を死なせてしまった」

「……」

「それか、お前が何もできないと泣いているのなら……それは、間違っている」

 マリアは、自分が牧人の表情を読み違えていたのを感じた。マリアの脳内には、片頬をあげて微笑む優し気な牧人の姿が思い浮かべられた。

 まあ実のところを言うと、牧人は少々だるそうな表情なのだが、それはマリアの知るところではない。

「あなたは、知らないわ。私について、何も知らないじゃない。私は、本当に何もできないのよ」

「違うね。お前は、人を救えるんだ」

 救う、とマリアは口の中で繰り返した。

「どうやって……?」

「魔法だ」

 この瞬間、マリアの脳内では二つの未来を考えた。

 一つ、私はまじめな話をしているの、と怒る。

 二つ、牧人を本気で嫌いになり何もかも忘れて眠る。

 だがマリアは、どちらもできずただ「まほう…」と鸚鵡返しをしただけである。

「そうだ、魔法だ。お前は治癒魔法が使えるんだ。戦うとか、呪うとか、そんなんじゃなくて、治癒だがな」

「魔法…、治癒魔法……」

(そんなの、物語の中だけよ?)

「いや、お前は使えるんだ。今はまだ軽い怪我くらいしか治せないが、いつか重症者だって生き返らせられるようになる」

 マリアは息をのんだ。

「それじゃあ、ルシューレたちも」

「死んだ奴は、無理だ」

「そんな……」

 ふいに見えた光を、見失ったような喪失感にマリアは囚われた。

 ついに俯いてしまったマリアの前に、牧人も屈みこむ。

「だがお前はその力で、これから死にゆく仲間を片っ端から救えるようになる。分かったな?」

 マリアは頭の上に何か大きく温かいものを感じた。マリアが顔を上げると、相変わらず得体のしれない瞳が二つ浮かんでいた。


「起きて!」

 何か固いもので手を殴られ、牧人は飛び起きた。視界には青い空が広がり、少し視線を下げると廃墟の壁が大きく映る。黄土の壁と広い空というのはさながら砂漠を見ているようだが、壁の穴からは草原がのぞいている。

 周りを見るといるのは牧人と少女の二人のみだった。少女は手に瓦礫を持っており、どうやらそれで殴られたのだなと牧人は理解した。

「お前さあ、起こしてくれんのはいいんだけど起こし方ってものがあるだろ? 怪我でもしたらどうする」

「怪我はしない」

 確かに瓦礫を食らって擦れ傷ひとつついていないのだから牧人は黙った。

「もう昼。起きるの遅い」

「二度寝は大敵とはこのことか」

「二度寝って……。一回起きたの?」

「もっちろんだ。というか起きていなかったら二度寝とは言わないだろう?」

「そう」

「んで、マリアたちはどこだ?」

 少女はぱちくりと瞬いた。

(『魔法使いたち』じゃなくて『マリアたち』なんだ…)

 と思いはしたものの、はっきりどうでもいいのでそこは無視する。

 その時、噂をすれば影さながらマリアが廃墟に飛び込んだ。飛び込んだオレンジ髪は、二人の前まで駆けるとぱんぱんと手を叩く。

「ほら二人! 出発よ!」

 マリアの目には涙の痕跡はなく。眩しいほどの笑顔で二人に笑いかけた。

「え、もう? お昼は?」

「ご飯は一日一食なのよ! ほらほら、立ってちょうだい! もう他の仲間は準備できてる!」

 牧人は少女を背負い、重い腰をあげながらマリアを見て口を開いた。

「朝食べないと頭も体も働かないって教わらなかったか?」

「そんなの知らないわ! いいから出発するのよ、護衛よろしくね!」

 それだけ言うとマリアは廃墟から走り出た。

「勝手だな」

 牧人はおいしょ、と少女を背負いなおしながら遠ざかるマリアの背中を見た。

 そして少女の方に顔を向けると不満を顔で表そうとするが、表情を上手く動かすことが出来ず結局は変顔になった。

「お前さあ、自分の足で歩けないか?」


 それから数分後、一行は草原をゆったりとした足取りで歩いていた。ユーリが先頭に立ち、その後ろに小さい子供が続く。その後に少女を背負った牧人と、マリアが並び、そのまた後ろからおばさんが数人続く。最後に男が大きな獣一頭を皆で持ちながら続いている。

「あの後ろで獣持って歩いてるけど、あれって何とか浮かして運べばいいんじゃないか?」

「あんな重いもの浮かせられないわ。それに、物を浮かすのって体力が結構いるでしょう? リンなら運べるかもしれないけど、常人にあなたのような体力はないの」

「ふうん。魔法って思ったより自由じゃないんだな」

「魔法? 魔法じゃないわ」

 後ろの男は、はあはあと息をしながら重い足音を響かせ歩いている。

 そういえば、とマリアは牧人を見た。

「リンって、もしかして『悪夢の化け物』なの?」

「あくむのばけものおぉ?」

 悪夢の化け物とは、牧人と同等ほどの中二病ぶりだ。そして異様にネーミングセンスが悪い。

「なんだそりゃ?」

「あの強さは『悪魔の化け物』よ。私達の仲間がリンを襲ったことがあるんじゃない?」

「あー、あったあった」

「やっぱり。…リンは、あの周辺に住むグループから『悪魔の化け物』って呼ばれてるの。敵になれば最後、命は無い。小さくて、どこにでもいそうな姿をしているが、本当は冷酷な化け物だ、って」

「そうなのか」

「まあでも、リンは本当はそんなんじゃないのよね。強さとどこにでもいそうな見た目は本物だけど、リンって優しいじゃない」

 はあ、と少女は内心溜息を吐いた。今のマリアは牧人に好意的であり、一夜でこうも変わるものか。

 だが事実マリアは一夜で変わり、物語はレールに乗った。

 牧人としては「まあ一緒に旅しようとはならないだろう」と思っている。また、牧人はマリアが自分を嫌っていたとは思っていないので、牧人の中の事実は変わっていない。

「あの時は悪かったわ」

 マリアが謝り、その時、後ろで運んでいた男のうち一人が叫んだ。

「ユーリ、休憩にしよう!」

 からからに乾いた叫び声にユーリは振り向き、大声で皆に指示を出す。

「では休憩だ!」

 ほっ、とした顔で男達は獣を下ろし、草原に寝転がった。


「まずは、水だが……」

 ユーリは自分の服の中から木製の入れ物を取り出すと、左右に振って見せた。

「もう空になってしまっている」

 それには、おばさん達もううんと唸り、やがて青髪の男が口を開いた。

「それなら、もう少し先に井戸があるはずだよ。……ただ、もう枯渇していそうだけれど」

 緩く円を描いて寝ころびながらも真剣に話し合うマリア達をよそに、そして牧人と少女も真剣にちょうちょを数えている。

「六匹か……。なんだか不穏な感じだな」

「ふうん」

 ふぁぁ、と緩い溜息と吐きながら寝転がる少女に、牧人がいささか呆れた視線を送る。

「もっと真面目に数えろよ」

「なぜ?」

 その疑問はもっともだが、牧人も牧人でもっともなことを言っていると感じていた。

「うほん……。蝶はな、だいたいアニメのエンディングとか重要なシーンとかで舞ってるんだ。んで、6というのは悪魔の数字と言われている……つまり、これは悪い出来事の前兆だ」

 大袈裟な身振りで語る牧人の元に、すっくと立ちあがったマリアが駆け寄った。

「ねえ、何の話?」

「蝶の話だ」

「どうでもいいわね」

 それより、とマリアは少女を見ると、

「これから出発するのよ。もう少し先に行ったところに井戸があるかもしれないから、行ってみようって話になったの」

 とゆっくりゆっくりと話し掛けた。

 少女の目線に合わせて少し屈んだマリアを相手に、少女は怯え顔を作って見せる。

「この子難しいわね。…リンには随分懐いてるけど、他の人はなかなか難しそうね」

 マリアはふっ、と息を吐く。

「それよりさ、マリア。少し先の井戸っていうのは枯渇してるんじゃなかったか」

 少女に背中を向けて屈みながら、牧人は訝しむような眼でマリアを見た。マリアはひるむでもなく堂々と頷く。

「そうよ。だけど、行ってみないと分からないじゃない。ここでぐずぐずするよりは速く進みたいわ」

 そうか、と少女を背負った牧人は立ち上がり、はやくも体力を回復したらしい男たちを見やった。

 ユーリを先頭に一行は数刻前と変わらぬ並びで歩き出す。いくらか速足になっている行列の中で、牧人は廃墟に時々生える青白い花に注目した。ひとつみつかれば二つ三つと見つかる。

 いくつもの離弁花をぎっしりと纏め上げる茎は濃色で染め上げられ。柱頭も雌蕊も雄蕊も持たぬ花は青白く瓦礫の中で咲いていた。だがその美しさにどこか寒いものを感じた牧人はそれから目をそらして深く呼吸を繰り返した。

 そしてふと廃墟を見渡す。

「ここ、ってさ。どういう場所だったんだ?」

 マリアに向けた質問に、ユーリが前方で首をかしげる。

 マリアも首を傾げ、ちらりと廃墟を見渡して口を開いた。

「さあ? 貧民町だったとも、貴族町だったとも言われているわ。ただ……」

 そこで呼吸を止めたマリアを、少女が凝視した。

「ただ?」

 上手く話せない(設定の)少女の心の声を代弁しようと牧人が代わりに聞く。

「いいえ、なんでもないわ」

 心持速足になったマリアを、牧人は内心首をかしげながらも追いかけた。

(俺、なんか変なこと聞いたかな? まあいっか)


「ほんとにすぐ着いたな…」

 牧人は井戸の前で座り込んだ。

 同じく井戸に背をつけている少女がぼそりと呟く。

「枯渇してるけどね」

 そう、この井戸はカラッカラで水滴一つよこさず、いまや朽ちたでかい置物と化している。

 マリア達女性陣と子供たちは水の代わりになる植物を探す旅に出ていて、男性陣はぐったりと眠っているので、少女も何も気にせず話せた。

「大分歩いたね」

「お前は歩いてないだろう」

「歩くと疲れる」

「だから歩いてないだろう」

 ふあぁと欠伸すると、寝る、と言って少女は井戸を頼りに眠り込んだ。もうどこから突っ込めばいいか分からない。

 少し先にはもう町が見えているが、このペースだとあと一時間は余裕でかかる。実は牧人――というかリンーーの右耳には川のせせらぎが小さく聞こえているが、今はどこにいるのやらの人々をさがして言うのも面倒に思え、ふああと自らも欠伸をした。

「えーと、蝶々が一匹、蝶々が二匹、蝶々が三匹、蝶々が……」

 100を数え終わる前には、牧人は深い眠りについていた。

 普段、数学社会国語理科やその他の授業で睡眠学習をしていた彼にとっては、寝る、というのは簡単なのだ。


 牧人と少女が揃って寝ていた頃、マリア達は一つの木を囲んでいる。

 大きな巨木は、まるでここ一帯の生物の生命力を吸って生きているかのように、あまりに生き生きとし過ぎていた。幹は樹齢百年は軽く超えるであろう太さで堂々と立ち、根は固い土を破って所々出ており、その上では苔一つない。百はあるであろう枝が四方に伸び、そこからまさに冠としか言いようがない葉がわっさわっさと茂っていた。梢に鳥が乗っている気配はない。変に生物をひきつけ、また妙に生物を遠ざける木だ。

「実が、生ってるわね……」

 マリアは、木に触れてよいものか迷いながら、幹から下がる無数の黄色い『それ』を指さした。

「ああ」

 ユーリも微妙な顔で頷く。

「採っていいかしら?」

「まあ、いいのではなかろうか」

 微妙な言い方をしたユーリに、おばさん達も同じ気持ちらしく、微妙な顔で頷く。

「やめとこうかしら」

 それにもおばさん達は頷く。

 はあああぁぁ、と全員揃って溜息を吐くと、ユーリの後ろにいた子供たちが歓声を上げるのは同時だった。

「どうした?」

 とユーリが聞くと、子供たちの何人かがある場所を指さす。その場所は、なんと、『川』である。

「木に意識を奪われて、それも見えていなかったの……」

 だれかが呟いた言葉に女性陣は、はああぁぁぁぁぁぁ、とまた深い息を吐いたのだった。

 

「ほら水よ」

 木の筒を牧人に差し出しながら、マリアは不満な顔をした。

(なぜ寝てる)

 はあ、と溜息を吐くと取り敢えず水は引っ込め代わりに隣の少女をみた。

(この二人は、なんなのかしら……?)

 髪色が似ていることから兄妹ともとれるが、この顔の似てなさではなんとも頷きがたい。

(まっ、まさかっ)

 この二人は昔から共に行動していたのだろう、とマリアは思っていた。したがって、思いついたのは一つ。

(い、いえ。まさかね。…そもそもこの少女はリンよりだいぶ年下だわ。身長は似てるけど、話し方じゃあそうね)

 不安を拭いきれないマリアは、取り敢えず少女を起こしてみることにした。だが揺すれど揺すれどいっこうに起きる気配はない。実際は起きていたのだが、マリアと話すのが面倒で少女が寝ているふりをしていたと言うだけである。

「ううん、もう! リン起きなさいよ!」

 わっ、と叫んだマリアの声に、弾かれたように牧人が起きた。

「はい! まだ解き終わっていません!」

 これぞ長年の修行で身に着いた、安定な睡眠学習を守るための反射能力だ。だが、こんなところでそんなものは通用しない。というかそもそも誤魔化す必要がない。 

「な、なによ」

 困惑するだけのマリアをぽかんと見、えへへと苦笑いで誤魔化すと牧人はポン、と隣の少女の肩を叩いた。

「う、うぅん……」

 また半分眠りかけていた少女は身じろぎをすると、細く片目をあけた。 

(わっ、私の時は、身じろぎ一つしなかったのに……)

 マリアは強く首を振った。

「もぉ、これ、水よ。飲んでちょうだい」

 ふん、とマリアが水の入った筒を差し出したとき、牧人の耳に空気を裂く音が届き、背後で悲鳴があがった。

 

 はっ、と振り向いた三人の目に、倒れた誰かの血が映る。直後、それがユーリの血だと分かる。

 抜けるような空には、数羽の鳥が浮いていた。鋭く空を裂いた巨鳥は、一匹二匹と落ちるように地面に近付く。ユーリを裂いたのはリーパーだった。黒光りする毛が鮮血で染められ、陽光を反射したかと思うと唸り声をあげる。低い唸り声に呼応するように四方から獣の唸り声がする。リーパーのものだ。

(囲まれたか……) 

 牧人はちっ、と舌打ちをした。

「妙」

 牧人の隣で少女が小さく呟いた。

「なにが?」

「こんなになるまで、誰も、物音ひとつ聞こえなかった」

 牧人も喉の奥で唸った。

「お前、逃げるぞ」

「逃げる?」

「取り敢えずここにいちゃあ死ぬからな」

 おいしょと背中を向けた牧人に、少女はだんまりする。

「生きたい?」

「そりゃあもちろんだ」

 んん、と身動ぎをした牧人を置き、少女は立ち上がった。

(そういうことなら……)

 少女はゆっくり深呼吸をすると、大きく口を開いた。

「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」

 空気を張り咲かんばかりの声に、牧人が振り返って大きく目を見開く。

「お前、なにし……」

 少女は大きく伸びをした。

「生きたいなら、これが良い方法」

「はぁ?」

 ここは町中かいなと牧人は呆れるが、少女は知ったこっちゃないという顔をつくる。

 はあ、と溜息を吐いた牧人の耳に、マリアの擦れ声が届いた。

「ね、姉ちゃん……。ユーリ、ねえ、ちゃん……」

 眉を顰めてマリアを見た時には、彼女はもうその場を飛び出していた。張り裂けんばかりの声でユーリに近づきながら、わっ、と泣き出す。

「マリアお前馬鹿か」

 牧人は悪態をつきながら立ち上がった。

「お前、逃げるぞ」

 だがしかし牧人はマリアに駆け寄るではなく少女に声をかける。

 少女は小さく溜息を吐くと、打って変わって真剣な表情で『戦場』を指さした。

「あなたは、ユーリを助けて。私は全部倒すから」

 はぁっ!?と叫んだ牧人を無視し、少女は一人混戦状態の場所へ踏み出した。男も女もあるものは拳を上げ、あるものは呆然としている。そこを獣たちが貪り食うか、薙ぎ倒す。獣同士も争っていた。獣が獣で血を洗い、人間も倒れてゆく。

 だがユーリとマリアのみ、円を描くように獣たちは避けていく。

 それは少女に対しても同じだった。

「なんなんだよ」

 牧人はひとりまた悪態をつくとマリアに駆け寄った。

 数メートルを走り、ねえちゃんねえちゃんと泣き喚くマリアの横にしゃがむと、マリアの右肩をつかんだ。

「マリア、ユーリはまだ死んでないぞ!」

 叫ぶと、マリアははっとしたように振り向き、押し黙った。嗚咽は漏らすがそれ以外は何も言わない。

 

 牧人はユーリを手で示すとなおも叫んだ。

「こいつはまだ息をしているだろう!」

 確かにユーリは、肩で激しく喘いでいる。

「三分だ」

 牧人は左手の指を三つ立てると、右手でマリアの両手をユーリの前に掲げさせた。

「遅くとも三分以内で死ぬ。だからその前に魔法で治せ」

「魔法……?」

 不安げなマリアの声に、牧人は強く頷いた。

「どうやって魔法を使うのよっ!?」

「使えるんだよ」

 牧人は真っ直ぐとマリアの目を見た。

「治せると確信すれば、治せるんだ。だから治せ、マリア!」


 

 少女は一瞬戦場を見渡すと、深く深呼吸をした。

 少女の脳内には、二十六個の勝ち筋が見えていた。

(何人かは死んでしまう。でもこれが一番確実……) 

 すっ、と息を吸うと、少女は叫んだ。

「おばさんは子供を連れて木へ! 男は廃墟に入って、できればリーパーかなんかの骨を持って! オレンジ、緑はそこで待機!」

 巨鳥も獣も人間をつぶすより、互いに潰しあう方に力を入れている。ならば、

「リーパーをできればひきつけて、廃墟に入ったら空から見えるとこまで上がって!」

 全力で潰しあってもらえばいい。

「巨鳥を見つけたら羽の付け根…首の横に骨を刺して! 投げてもいいし、直接刺せればよりいい! 巨鳥が落ちてきたら青髪は降りてきて、その他は待機!」

 男女とも一瞬目を瞬いたが、すぐに動いた。

 リーパーと巨鳥が遭遇し、潰しあって全滅すれば一番良いが、そうはならないだろうと少女は思っている。遭遇するのも、廃墟の中になるか、もしくは外かもしれない。いや、上手く遭遇したとして草原の上が多いだろう。巨鳥はひたすらに先ほど少女が言った場所に弱いので、きっと墜落するが、さて墜落してどうなるか……。

(上手くいかなければプランBに移行。いえ、十中八九うまくいかない、こんな野蛮な策。でもいけばCに移行)

 少女はふっ、と息を吐くと、死に物狂いで廃墟に入る男達を見、次に背後の井戸を見た。

(『あの手』は使いたくないけど……。いざとなったら、しょうがない)

 抜けるような空が、戦場を照らしていた。


 こんなに、上手くいくものか……。

 少女は口中で呟き、眼前の景色に目を見張った。

 戦場は少女の思惑通りに進んでいく。男達もその殆どが廃墟に上り、そこから鳥を落としている。落とせなかった鳥も、仲間を襲うリーパーめがけて突進し、混沌とした戦場で敵は確実に数を減らしていた。

 少女が真ん中に立っているのもあってか、草原で戦おうとするものはなかなかに希少だ。獣達は少女とマリアを避ける。

「青髪は降りて! 下から攻撃! 上の人は骨を投げて!」

 廃墟での戦いは無事すべて決し、それにより骨もたっぷり補充されたことになる。獣同士で消耗し、そこを人間がついた。男達もなかなかに投擲がうまかった。

 草原の希少獣の戦いもほぼ決しており、残りは三頭。一頭が弱って痙攣をしている巨鳥、残りはリーパーだが、それももう負けたも同然だ。

「今!」

 少女の掛け声で、上組と下組で一斉攻撃をした。

 そして案外呆気なく戦いは終わった。

 ふっ、と少女は息を吐く。そしてこの戦いでプランCのために元々下にいてくれた二人と、廃墟に入れなかったり、獣に押しつぶされてしまった人々を見る。四人が、死んでしまった。

 透き通る空に、勝利の叫び声が響いている。


 この人数で勝ったぞ!

 こわかった……

 あの少女、何者?

 おれ達だけで倒したんだぁ!


 こんなに圧勝なら、死なない方法も選べた。

 だが過ぎたことだ。

 少女は軽く伸びをすると、マリアと牧人の方を見た。男たちは、もう獣の解体に取り掛かろうとしている。


 

「……だめ」

 二分経っても、何も変わらなかった。

 マリアが伸ばした手に、なにも変化はない。

「お願い、治ってよ……、ユーリ姉ちゃん!」

 背後では、着々と戦いが進んでいる。

 少女の命令で、男達が廃墟に上っていた。

(私には、やっぱり何もできないのよ……。家でも一番馬鹿で、だから捨てられたのは私だった。ユーリ姉ちゃんが拾ってくれて、でもそこでも迷惑をかけっぱなし。おまけにリーパーとも戦えないわ。ユーリ姉ちゃんを救えない)

 マリアは歯噛みした。一筋の涙が頬を伝う。

「私には、やっぱり何もできないわ。治せない……」

「俺ができるって言ってるんだから、できるんだよ」

 俺、作者だしな、と牧人は心の中で付け加えた。

「そうだわ」

 マリアは目をつぶった。

(初めに会ったとき、リンが本当に戦えるのか、不安だった。でもこの少年は驚くほどの戦闘力を持っていた。それに、昨夜の目。

この人が言うなら、そうなのよ)

「リンが言うんだから、本当よね。私は、ユーリ姉ちゃんのけがを、治せるの」

 マリアの手が光った。

 さっ、と目を開いたマリアには、その光が当然のことのように思えた。

 薄いオレンジ色の光は、徐々に濃さを増し、その場に円を描き始めた。ぼんやりとした複雑な幾何学模様になった光は、徐々に輪郭をはっきりとさせ、大きさを増す。

「おおーーっ」

 感嘆の息を洩らしたのは牧人だった。

(マジかーー。転生してきてよかったなーー。こりゃあ凄い)

 やがて光の膨張が停止したと思うも束の間、牧人の体もひかりはじめた。

(おっ、おっ? なんだなんだ? ええと、俺の光が魔方陣に吸い込まれて……)

 そして光は膨張を続けた。一メートル、百メートルでは飽き足らず、一キロほど光ったころ、膨張は止まった。

「いやなんだこれ? 魔方陣ってレベルじゃあないだろう。いや普通なのか? ていうか普通ってなんだ」

 キョロキョロと周りを見渡し、牧人は少女と目が合った。少女は二回瞬いて見せると、私関係ないもんとそっぽを向く。

「んんんんんん……。取り敢えず、よくない?」

 その時、バーンッと破裂音がするかのような勢いで魔方陣が収縮し、光の破片となって散った。

 オレンジの破片は一つ余さずユーリに降り注ぐ。光の雨、というか隕石を食らったユーリは、ゆっくりと目を開けた。ユーリの傷は余さず治っている。

「えっ?」

 呆然としながら起き上がったユーリに、マリアが飛びついた。

「ユーリ姉ちゃん! ユーリ姉ちゃんっ!」

 うわああああんと泣くマリアの顔をきっちり3秒間見たかと思うと、牧人を見て一つ頷いた。

「マリア、少年。二人が私を治してくれたんだな。ありがとう」

 俺は何もやってないけどな、と思いながらも牧人は取り敢えず偉そうに頷いておく。


「そぉんなわけでしたぁぁ」

 井戸の前で戦闘が終わるのを待っていた牧人は、少女が歩いて来るのを見てさっさと一部始終を話した。

「そう」

「んでさあ、あの魔方陣って普通なのかな?」

「さあ」

 少女も牧人の隣に腰掛ける。

「ああんな大きさなのかー、魔方陣って」

 悪魔の炎みたいだ、と両手をいっぱいに広げる牧人。

「そんなじゃなかった。このくらいだった」

 少女は呆れたように手で大きさを示して見せた。ドーナツ四つ分くらいのそれに、牧人がいやいやと首を振る。

「そんな小さくなかったって」

「いえ。本当にこのくらい」

 はあ?と首を捻る牧人たちの元に、マリアが走ってきた。

「ねえ、少女。ちょっと気になったのよ。……いえ、その前にお礼ね。倒してくれてありがとう」

「おっきくて怖かったけど、おじさんたちが倒してくれた!」

 えへへと笑う少女に目線を合わせ、マリアもにこりと笑う。

「いいえ。少女が指揮をしたのよ。……少女、普通にしゃべれるのよね?」

「………あ」

 マリアは少女と牧人を順にみて、より笑みを深めた。

「別に怒ってなんかいないわよ。なんだか騙された気分だけど……」

 ふふふ、と笑うマリアに、少女もにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。

(本当に二人の関係って何なのかしら?)

(殺気を感じる……。いやもう言い逃れはできないし。はあ、少年がなんとかしてくれるわけもなし)

 少女はこくりと頷くと、いっそすがすがしいほどの開き直りっぷりを見せた。

「そうだけど」

「…………」

 そう返されるとは思っていなかったマリアは、目を見張り沈黙する。

 少女は一秒もたたずに次の言葉を31通り思いついた。そしてそのうちの一つを言うため口を開き――

「そうだそうだ。お前、なんで普通に喋れるのを隠してたんだ?」

 間抜けな牧人の声に、31個の選択肢を捨てた。

「だってあなたが『お前は幼いふりをしておけ』って言ったんでしょ」

 少女はさも当惑した演技で答えた。

「む、そうだったかも?」

 少女の演技の上手さによって、一瞬頭の中に偽の記憶を埋め込まれた牧人は、ついそう答えた。そして、数瞬後気付く。

「お前」

「そ、そうだったのね。よくわかったわ。ふうん」

 牧人が少女を非難する前に、マリアは早口で言うとその場を去った。

 否、去ろうとして振り返った。

「そういえばリン。治癒魔法って、上達するための練習法とかあるの?」

 その質問に、牧人はううんと考え込む。

(あった、あった。ええと……。魔法の上達のためには……)

 そしてむっ、と眉を寄せる。

(そうだそこら辺の設定面倒くさいから、全部読者の想像におまかせサービスだった。ああもうなぁんでそんなことしたかなあ? いやまてまて、ええと確か……)

「ケンに会えば分かるな」

 うんうんとすっきりした顔で何度か頷くと、牧人は少女を振り向いた。

「どうだ? 多分一瞬しか出ていないであろうキャラの名前を憶えていたぞ」(ボソッ)

「そう」(ボソッ)

 へへっ、と胸を張った牧人に、マリアはもう一つ質問をした。

「その人には、どこで会えるのよ?」

「ええと……。旅の途中で会ったと思う」

 うん、とマリアは満足げに頷くと、ユーリの方へ駆け寄っていった。

 マリアが遠ざかって暫くすると、少女が小さく漏らした。

「多分今の、よくなかったよ」

 牧人は小さく眉を寄せる。

「どこが? 乙女の質問に律儀に丁寧に答えたんだ。これは真摯的だろう?」

「あなたは『旅の途中で会ったと思う』と言ったでしょ」

(ええと。どういうことだ? 旅の途中、ってことはマリアは旅をしたくなるだろう? 『リンと行くーっ』ってなるだろう? 俺もかわいい子と一緒じゃあ嬉しいし……)

 はあ、と少女は溜息を吐いた。

「物語」

 ボソッとした少女の一言に、あ……と牧人は漏らす。次いで、きっと周りの人には意味不明な言葉を叫んだ。

「レールに乗っちまったあぁぁああああああぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!」

 やがてその声は、半径一キロ先まで届いたとか。



 その後は何事もなく進んだ。牧人と少女は、無事ユーリ一行を安全に護衛し終わった。予定より時間はかかり、着いたのは夕日が見える頃になってしまったが、牧人曰く『まあいいだろう』。

 

「本当に、ありがとう。このお礼は、いつか」

 路地裏で、ユーリは牧人に頭を下げた。一瞬土下座されるのかと思った牧人は、ほっと息を吐いた。

「いやまあそりゃあお礼はもらうさ」

 『礼はいらない』が勇者の台詞だが、牧人にとっては知ったこっちゃない。

「そうだな。……チョコパフェが食べたい」

 『ちょこぱふぇ』?とユーリ達が眉を顰める。

 少女は内心で軽く溜息を吐いた。

 マリアはにっこりわらうと、牧人に手を差し出した。

「リン、少女、二日間ありがとう。私たちは本当に、リンと少女に感謝しているの」

 それをきくと、牧人はごくりと唾を飲み込んだ。

(ここが正念場……。絶対にミスるなよ、牧人)

「ごほん。ええと……。一緒に旅をしようってことなら、お断りだからな?」

 大真面目にそう牧人が言うと、マリアは驚いたように一瞬固まった。

(え。考えてもみなかった。……でも、いいね、リンたちと旅って……。憧れる)

 ば、バカか…と少女は思わず漏らした。

 マリアはユーリを一瞬みると、そっと首を振った。

(私は、ユーリ姉ちゃんの怪我を治せるようにそばにいよう。…でも…旅をすれば、魔法も上達……)

 ユーリはそんなマリアの心情を読み取った。そしてにっこりと笑うとマリアの肩を叩く。

「おれ達のことは気にするな。旅をしたければ、してきていいぞ」

 マリアの心は一瞬ぐらりと揺れた。言葉も少し震える。

「でも、私、ユーリ姉ちゃんとずっと一緒に……」

 でも、でも……

 マリアは数回繰り返すと、ゆっくりと顔をあげてユーリを見た。

「私、絶対帰ってくる。そうしたら、また一緒にいさせてちょうだい」

「ああ、勿論」

 二人の様子を見て、牧人は頤に指をあてた。

(あれ、なんかおかしいぞ?)

 「リン」とマリアは太陽のような笑顔で牧人を見る。そして手を差し出した。

「これから、よろしくね」

 その笑顔に一瞬ほうけた牧人は、反射で手を握り返す。

「ああ」

 言って、数瞬後、気付く。

(あ。やば)

 がしかし。時もうすでに遅い。

「やったー!」とマリアは飛び跳ね、少女は呆れたように牧人を見る。

「ああ…。ああね。つまり」

 牧人はそれだけ呟くと、がっくりと肩を落とした。

(どおしてこおなんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!?)


「よろしくね」

 再度言ったマリアに、牧人も力なく頷く。

「あらためて、私、アリアよ」

「ああ。俺は、ま……リンだ。こいつはセレン」

 ん、と少女は驚いた顔をした。

「せれ……」

 噛みしめるように何度か呟くと、雨上がりの花のような笑顔を浮かべる。

「私も、よろしく」


 こうして物語はレーンに乗ったのだった。

 


 



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