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№21・星屑・中

 最初に沈黙を破ったのは南野だった。


「……あの」


「なに?」


「これはあくまでひとりの年長者からの言葉として聞いてもらいたいんですが」


「……うん」


 まどろっこしい前置きをして、南野は深呼吸をした。


 彼女に伝えなくてはならないこと。


 それをひとりで頭の中で整理していても、どうしてもぐちゃぐちゃになった。


 しかし、言葉を選ぶことをやめようと思うと、そして彼女を前にすると、すっと口から出てくるようになった。


「……大切なものができると、人間は守りに入って弱くなります」


 彼女は言っていた。『自分は弱い』、と。


「なにも持っていない孤独なひとの方が強いに決まってます。だって守るものがないんですから……けど、『弱くなる覚悟』をしてまで手に入れた大切なものは、きっといつかかけがえのない財産になります」


 メルランスは星を見上げながら黙って南野の言葉を聞いていた。肯定も否定もしない。南野は続ける。


「大切なものを守る弱さと同時に、大切なものを守る強さも得ることができます。矛盾してると思いますが、これは裏と表なんですよ。そして、ひとによっては弱さに押しつぶされることもあるし、強さに助けられることもある」


「……うん」


「俺のいた世界には、昔こういうことを言ったひとがいました。『人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし』、って……大切なものは、とても重たいです。それを背負って長い長い人生を歩いていくことは、とても苦しいかもしれない」


「……気が遠くなりそうだね」


「ええ。最初の一歩はとても歩きにくいと思います。けど、二歩、三歩と歩いていくうちに、からだはその重荷に耐えられるだけの強さを育てていきます。苦しい一歩を重ねるごとに、足は鍛えられていって、よりちから強い一歩を踏み出せるようになります」


「案外マッチョなこと考えるんだね、あんた」


「ジャパニーズ・サラリーマンですから……メルランスさん」


「ん?」


 初めて星空から視線を下ろしたメルランスの目をまっすぐに見つめて、南野ははっきりとした声音で告げた。


「あなたは弱い。弱くて、強い。守るべき大切なものを持っているあなたは、弱くもなれるし強くもなれる。それはこれからのあなたの選択にかかっているんです。正しくても間違っていてもいい、どうか後悔のないように、自分が信じる道を進んでください。そうすれば、きっとあなたは強いひとになれる」


 どうか、と願いを込めて南野はメルランスの瞳を見つめた。


 メルランスはその言葉の真意を測るように目を細め、そして答えが見えたのか、苦笑とともにため息をついて言った。


「信じる道、か……たしかに、重荷を背負って行くんなら、せめて納得できる道じゃなきゃいけないよね」


 ふいに足元の小石を拾い上げると、彼女はそれを川に向かって放り投げた。ぽちゃん、と音がして、星空を映す水面に波紋が走る。


 波紋が鎮まるころに、メルランスは世間話をするように口にした。


「知ってた? あたしの名前、星空の女神ミルルーシュから取られたんだって。ミルルーシュの古代語での呼び名が、メルランス……あたしの母親、『緑の魔女』がつけてくれたらしいんだ」


 『緑の魔女』が母親……? 突然現れた意外な名に、南野は目を見開いた。


 メルランスは『緑の魔女』の娘らしい。


 あの魔女は到底メルランスほどの娘がいるような年齢には見えなかったが、見た目が年齢に釣り合わないこの世界のこと、さして驚くようなことではないのかもしれない。


 『緑の魔女』とメルランスの因縁は、こんなところでつながっていたのか。


 当の本人はなんでもないように笑って星空を見上げながら、


「母親、って言っても、生まれてすぐに孤児院に預けられたんだけどね。この短剣を添えられて」


 メルランスは冒険の相棒である短剣を抜いて星空に透かして見せた。よく使いこまれた、ところどころに装飾が施された刃。いつも大切にしていると思っていたが、そんなゆえんがあったとは。


 短剣を鞘に戻して、メルランスは続ける。


「孤児院時代は貧乏暮らしでね、その日のパンにも困るくらいだった。だからあたし思ったの、いつか必ずお金持ちになって、毎日お腹いっぱいご飯を食べるんだって。ふふ、あたしががめついのはその時のおかげってわけ」


「……なるほど」


「けど、貧乏な割に楽しかったなあ。孤児院にいる子はだいたい似たような境遇だったし、年上の子が年下の子の面倒をよく見てくれて、ときどき喧嘩もしたけどみんな仲間だった。あたしは小さいころから跳ねっかえりでね、男子どもを引き連れてお山の大将だったなあ」


「目に浮かぶようですね」


 想像して少し笑ってしまうと、彼女もつられて笑った。


 それから、星空を見上げて言葉を継ぐ。


「……あたしが孤児院を出て行く年齢のころ、『緑の魔女』がやってきた。すべてを知らされたのはそのとき……『すべて』ってわけじゃなさそうだったけどね。とにかく、母親だと名乗り出た『緑の魔女』は最後にあたしを抱きしめた。それで、『ごめんね』って泣いたんだ」


 まだ赤子のメルランスを捨てたのには、なにか事情があったらしい。それは『すべて』には含まれていなかったのだろう。ただ、なにかのっぴきならない事情があって、『緑の魔女』はメルランスと離れ離れになった。


 星空を見つめるメルランスのまなこが悲しげな色を宿す。


「最初は、あたしを捨てたクソ母親なんて罵倒して蹴り帰してやろうと思ってた。けど、いざ顔を合わせて泣きながら謝られるとね……ああ、このひとはあたしの『おかあさん』なんだな、って。今更憎み切ることも、かといって愛情を持つこともできなかったよ」


 事情はどうあれ、『緑の魔女』が彼女を捨てたことには変わりない。まだ若い彼女にとっては割り切れるものではなかっただろう。相当悩んだに違いない。


 そして彼女が出した結論は……


「結局、今のところあたしは『緑の魔女』を母親だと思ってるのかどうか、自分でもわからない。だからちょうどいい距離を保って付き合ってる……ケリがついてないんだ。全然決着がついてない。だから、あたしは誰かに対して愛情を抱くっていうことがよくわからないままでいる。愛ってなんだろうな、って考えてもわからない」


「……そんなの、だれにもわかりませんよ」


「一般論じゃないの。『ひとを好きになる』っていうのかな、そりゃたしかにいけ好かないとかウマが合うとかはあるよ。けど、こころの底から大切だって思えるひとがいない。正確には、『大切だ』ってひとの定義がわからない」


 普通のひとならば、生まれて初めての『大切なひと』は母親になるだろう。しかし彼女はそれを経験せずに成長してしまった。幼児期の愛着対象の不在は大人になってからもアイデンティティに大きく影響する。だから彼女は、ひとを好きになるということがわからない。

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