№21・星屑・上
翌日、昼になってもメルランスは酒場に現れなかった。
「……遅いですね、メルランスさん」
オレンジジュースを飲みながらキーシャがつぶやく。
「寝坊でもしているのだろう。たるんでいるな!」
そう言うが、キリトもどこか心配そうだ。なにせ、昨日あんな大変なことがあったのだから。
「今日はやめとくかのぅ……」
昼過ぎなのでメアも起き出している。今までメアよりもメルランスが遅かったことはないのに。
「…………」
雑用をとうの昔に終えた南野は、カウンターで頬杖を突きながらぼんやりしていた。
昨日の衝撃的な体験。初めての拷問と、『緑の魔女』を突け狙う『ギロチン・オーケストラ』。この世界の闇を見た気がして、南野も気分がすぐれない。
当事者であるメルランスにしてみれば、もっとすぐれないことだろう。外に出たくなくなるのもうなずける。
しかし、いつまでも引きこもっているわけにはいかないのだ。蒐集の旅にはメルランスのちからが不可欠だし、それにひとりでずっと部屋でうずくまっている彼女を思い浮かべると胸が締め付けられる気分になった。
自分には、彼女に伝えるべきことがあるのではないか?
『あたしは弱いよ』と悲しげにつぶやいた彼女に、なにか言うことはないのか?
「ほいで、今日の獲物はなんじゃったんじゃい?」
メアが尋ねると、南野ははっと我に返って『レアアイテム図鑑』を開いた。
浮き上がってきたのはきらきらと光る流星の絵だった。
「『星屑』……『空を走る流れ星が落ちてきた星のカケラ。常夜の星降る丘に落ちてくる。美しく光るそれはやがてただの石ころになるが、空の魔力を宿している』……だそうです」
「わあ、なんだかロマンチックですね!」
歓声を上げるキーシャに、キリトが付け加えた。
「星降る丘か……たしか、北の方にあると聞いたことがある」
「まあ、今回は荒事にはならんじゃろ。観光気分で行くのもええのう……じゃが、メルランスがおらんことにはのぅ」
メアがつぶやく。今日はお休みにしようという空気が一団の間に漂った。
それから夕方までメンバーはメルランスを待ったが、彼女はついに酒場にやってくることはなかった。南野が解散を呼びかけると、三々五々、それぞれのねぐらに帰っていく。
騒がしくなり始めた酒場でひとり水を飲みながら、南野はただひたすら考え事をしていた。
しかし考えても考えても思考は堂々巡りをして、形にならない。
「……ええい!」
もどかしくなって声を上げると、椅子を蹴って立ち上がる。酒場で酒を飲んでいた客が何人か視線を向けたが、すぐに元に戻っていく。
南野はたまらず酒場を飛び出していた。そのまま、夜の道を走り出す。たしか、メルランスの定宿はこっちだったはずだ。
全力疾走で息が上がり始めたころ、小さな宿屋が見えてきた。
中に入ると、受付を素通りしてメルランスの部屋を目指す。
二階の一番奥、そこがメルランスがこの街で取っている宿だ。
上がった息を整える暇もなくノックをする。しかしこれは形式だけのことだ。返事を待たず南野は鍵のかかっていないドアを開けた。
「……南野?」
メルランスはベッドの上にいた。部屋着らしいワンピースを着て、毛布をかぶって膝を抱えている。一日しゃべっていないせいで声はかすれていた。
呆然とこちらを見つめるメルランスに構わず、南野は無遠慮にずかずかと部屋の中に入っていった。
「今日、ごめん……って、え?」
そのまま強引にメルランスの手を引くと、開いておいた『レアアイテム図鑑』に自分の手といっしょに乗せる。
突然のことになんの抵抗もできなかったメルランスとともに、空間を越えた。
その先でまず感じたことは、肌を刺す空気の冷たさだった。たしか、キリトが北の方にあると言っていた。
目を開けると、そこは夜の川べりだった。冷たく澄んだ水がさらさらと流れている。
その水がきらきらと輝いているのを見て、南野は視線を空に向けた。
「わあ……!」
驚嘆の声を上げるメルランスとともに目を見開く。
そこには満天の星空が広がっていた。川のきらめきは空の星を映し出していたものだったのだ。
時折、光の尾を引いて流れる星が見えた。数えきれないくらいの星が夜空を彩り、音を立てずにしずかにきらめいている。
しばらく星空に目を奪われていたふたりだったが、メルランスが部屋着の袖を寒そうにさすっているのが見えた。南野は慌てて安物のスーツのジャケットを脱ぎ、彼女の肩にかけてやる。
「……すいません、急にこんなところに連れ出してきちゃったりして……」
冷静になってみれば、えらいことをしたものだ。申し訳なさそうに言う南野に、メルランスは苦笑して返した。
「あんたってたまに妙に行動力あるよね……けど、すごいきれい。こんなたくさんの星、見たことない」
大事そうにジャケットの襟元をかき合わせながら、メルランスが星を見上げる。白い息を吐きながら広大な星空を見上げる彼女は実に絵になっていた。
「そうですね、俺も見たことないです」
言いながら、南野はただ空を見上げながらぼうっと突っ立っていた。
しばらくの間、ふたりの間にしずかなときが流れる。その間も星はきらきらと瞬き、ささやかなともしびとなってふたりを照らしていた。