№20・爪はがし機・3
しばらくメルランスが黙り込んでいると、拷問師はにっこりと笑った。
「おや、やっぱりお話してもらえない? 残念だなぁ。いや、よかったなぁと言うべきか。最初から吐いてもらっては僕の立場がないですからね」
かちかち、金属の音を鳴らしながら拷問師がそっと南野の手を取る。それは拷問師というより、姫君に忠誠を誓う騎士のような、丁重な手つきだった。
血が通っているのかと思うほど冷たい手。払いのけようとしても手枷が邪魔をして叶わない。拷問師は一本一本ていねいに南野の五指をベルトで固定していく。震えが伝播したのか、愉快そうに笑いながら。
「おや、怖いですか? 当たり前ですよね。これから生爪を一枚ずつゆっくりはがされるんですから。でも、安心してください。思ったより大した痛みじゃないです。なんたって、ほんの導入部なんですから」
爪をはがされる以上のこともされるということだ。拷問師ののほほんとした声音が余計に不安をあおる。この男は今、圧倒的な優位にある。『痛みを与える側』の余裕だ。
五指を固定されて、爪が台座の上に並んだ。すでに手のひらは冷や汗でびしゃびしゃだ。自分が今まで当たり前のように慣れ親しんできた爪。典型的な男爪で、最近切っていないせいで少し長くなっている。
これが今からはがされる。肉とがっちりつながった部分が、無理矢理の暴力でむしり取られるのだ。
当たり前だが、生まれて初めての痛みになるだろう。血も出るだろう。泣いて叫んで暴れるかもしれない。
平和ボケした日本に生まれて平凡に生きてきた南野にとって、それは想像しかできない痛みだ。しかし想像力は極度に肥大化し、まだやってきてもいない痛みに関してとてつもない恐怖を生む。
「さて、どの指からにしましょうか……」
焦らすようにそれぞれの指に金属製のヘラをあてがう拷問師に、南野は震える声で言った。
「……できれば親指から、順番にお願いします」
それを聞いた拷問師は初めてきょとんとした表情を見せた。そのあと、至極愉快そうに大爆笑する。
「あはははははは! あなた、面白いですね! 僕に爪をはがす順番について注文をつけてきたのはあなたが初めてだ」
「……順番に、整然と物事が運ばないと……どうしても気持ち悪くなるたちですので」
「ふふ、おかしなひと。いいですよ、その面白さに免じて、ご要望通り右の親指から行きましょうか」
拷問師はその言葉の通り右の親指にヘラを向けた。爪と肉との間に金属の硬く冷たい感触がもぐり込んでくる。その無機質な感覚に心底ぞっとした。
血の気が引いてしまって、頭がくらくらして吐きそうだ。
「ほら、メルランスさん、答えるなら今のうちですよ。まだこのひとの爪は無事なままですからね」
「……聞く必要は、ありませんよ、メルランスさん」
拷問師と南野、ふたりの声を聞いて、メルランスは歯を食いしばってうつむいた。彼女自身が拷問を受けているわけでもないのに、その小さなからだはふるふると小刻みに震えている。
「……そうですか。なら、ショウを始めましょうか」
あどけないと言ってもいいくらいの笑みを浮かべて、拷問師はヘラの取っ手に手をかけた。
少しずつ、少しずつちからが込められていく。最初は爪に違和感がある程度だった。しかしある一定のラインを超えると、徐々に痛みがやってくる。
み、み、と肉がきしむ。爪がだんだんとめくれていき、痛みは加速度的に大きくなっていく。
「…………っ!」
浮いた爪と肉の隙間から血がにじむ様がありありと見えた。肉とつながっていた部分がヘラによって強制的にこじ開けられ、熱い痛みが電撃のように神経細胞を駆け上がってきた。
いっそ一気にはがしてくれれば気が楽なのだが、拷問師はその点も心得ているらしい。あくまでゆっくりと、南野の親指の爪をはがしてくる。
「あ、ほら、もう半分くらいはがれましたよ。メルランスさん、しゃべる気になりましたか?」
ぎり、南野は歯を食いしばって痛みに耐えた。拷問師が言っていた通り、想像していたよりも痛みはない。だからといって痛くないわけではなく、常に肉から爪が引きはがされる痛みがびりびりと脳に届けられている。
「……南野……!」
「…………」
メルランスの呼びかけに答えたいところだったが、今声を出してしまったらそれは泣き声や叫び声に変わりそうで、それが怖かった。ただただ、奥歯を噛みしめて耐える。
「あ・そうですか」
メルランスの反応を見た拷問師は、その拳を振り上げて取っ手に振り下ろし、一気にヘラを押し上げた。
ぴ、とあっけなく南野の親指の爪が飛ぶ。