№18・恋慕のドレス・中
奥の部屋は衣裳部屋になっているらしく、扉を開いた瞬間乾いた布のにおいがした。ずらりと並んでいるのはどれもフリルやレースがあしらわれた色とりどりの豪奢なドレスだった。ワンピースにブラウス、スカート、いろいろある。
「わぁ……!」
メアの顔がたちまち輝いた。部屋に飛び込んで、早速あれこれと検分し始める。
「すごいのう! このドレスなんて、ピンクに白のレースで、刺繡がしてあって、ごっさかわいい!」
「あら、わかる? それも私のお気に入りなの。あなた案外見る目があるのね」
「こっちは!? わぁ、熊さんが描かれとる! これにこの白いフリルのブラウスを合わせて……!」
愛らしいティディベアが描かれたジャンパースカートとブラウスを手に、大きな姿見の前であれこれ合わせてみるメア。サイズもぴったりだ。赤い姫袖のブラウスに黒のレースが美しいジャンパースカート、緑のストライプのシンプルなワンピース、いろいろととっかえひっかえ夢中で選んでいる。
「どれも私の小さいころのお気に入りだわ。あなたって本当に私の好みと似てるのね」
「かわいいもの好きなのは全乙女の共通事項じゃ!」
「ふふ、頭ものやソックスもあるから夕方までゆっくり選んでね……さ、あなたは私といっしょにお茶するのよ! こちらへいらして!」
「えっ、俺は……」
「いいから!」
お嬢様に強引に腕を引かれて、南野はひとり部屋を後にすることになった。
「そんじゃ、あたしらは別の部屋で待ってることにするわ」
メルランスたちが手を振る。
それから夕方までお嬢様と長話をする羽目になった。
そこでわかったのだが、お嬢様はさすがにお嬢様というだけあって、所作が気品に満ちていた。ティーカップひとつ傾けるにしてもがさつなメアとはまったく違う。話題も上品で、笑い方はエレガントだ。
もう少し年を取っていたら南野も惹かれていたかもしれない。これが恋に恋する乙女というものか、恐ろしい。取引相手を不快にさせるわけにもいかず、南野は延々とお話に付き合った。
そして訪れた、夜が訪れる寸前の夕方。
お嬢様に腕を組んで導かれてたどり着いたのは、屋敷のパーティルームだった。蝋燭で照らされた薄暗がりでは着飾った男女たちがグラスを片手に談笑しており、明らかに安物のスーツ姿の南野は浮いている。それでもお嬢様がいっしょなのでつまみ出されることはない。
「さあ、楽しみましょう♪」
お嬢様に腕を引かれて飲み物を飲み、豪勢な料理を食べる。どうにも尻が落ち着かず、ド庶民の自分を思い知った。
お嬢様はあちこちに挨拶をしてはたまに男性に抱き着いたり、逆に男性から手の甲にキスを受けたりしてご満悦だ。『恋慕のドレス』の効力は伊達ではないらしい。
「おや、あの少女は……?」
男がひとり、扉の方を向いた。つられて何人かがそちらを見やる。
そこには、メアが立っていた。
瞳の色によく似合う真っ赤なレースをあしらったミニ丈のドレスを着ている。足元は二―ハイソックスをはいており、よく見ればヒールのある靴も履いていた。頭には花をふんだんに飾った同じ赤のハーフボンネットをつけている。
「おお……!」
「なんと愛らしい……」
「このようなご友人がいらしたとは」
口々にメアを褒め称える男たちに、お嬢様は少し不機嫌そうな顔をした。
メアが会場に向かって歩き出す。慣れないヒールの靴とあってよたよたと歩きにくそうだ。転びそうになったところで男がひとり、手を差し伸べた。
「お嬢さん、よろしければ私とお話を……」
「おう、よか!」
その可憐なくちびるから飛び出した剛毅すぎる言葉に、男はさすがに目を見張った。
「なんの話かのう? 組の抗争の話でもするか?」
「あ、いえ……」
「なんじゃ、つまらんのう。男なら武で語るもんじゃい!」
「わ、私はこれで……」
そう言うと、男はすごすごとその場を後にした。まわりのざわめきが大きくなる。
「よく見れば角が生えてるわ、あの子……」
「ハーフオーガ……?」
「やだ、野蛮よ野蛮」
旗色が悪い。南野はお嬢様から離れてメアのもとへと向かった。
「メアさん」
「おう、南野か。どうかしたんか?」
南野はメアの耳元でこしょこしょとささやいた。
「ここは紳士淑女の社交の場です。メアさんもレディとしてふるまわないと……」
「れでぃ?」
「なんかこう、お上品にするんですよ。気品ですよ気品。いくらかわいい見た目でも、中身が伴ってなければ誰も声をかけてくれませんよ」
「気品か……よし、やってみるけん、見とれよ」
すう、はあ、と深呼吸をし、メアはまたよたつきながらテーブルへと歩んでいった。グラスを取ると、洗練された所作でくちびるに飲み物を運ぶ。料理には手をつけず、甘いものを選んでつまみ、時折物きょとんとした小動物のような表情をした。
あざとい……!が、理想形だ。まわりの男たちも次第にファーストインパクトから脱しようとしている。
何人かの男がメアに声をかけ、メアはくすくすと笑いながら会話を楽しんでいる……ように見えた。しかし、内心はかなり無理をしているのだろう。
「お嬢さん、私ともお話をしてくれませんか?」
男に囲まれているメアに、まわりを押しのけるようにしてひとりの男が声をかけた。盛装をしているがでっぷりと太っていて、にやにやとあまり品のない笑みを浮かべている。
「ええ、結構ですよ」
「いえ、そうではなく……できれば、ふたりきりで……そうだ、私の客室に上物のワインがあるのです、いっしょに飲みませんか?」
……ロリコンだ。
下心を隠そうともしない申し出に、メアの作り物の笑顔が一瞬揺らいだように見えた。だが無下に断っては角が立つ。メアはにっこりと笑いながら、
「私、もう少しこの場を楽しみたいの。なので、せっかくですが……」
あからさまにフラれて、男の態度が急変した。ふん、と不快そうに鼻を鳴らすと、一気にグラスの中の酒を飲み干す。すでにかなり酔いが回っているらしく、顔が赤いことに気付いた。
「ハーフオーガの分際で、私の誘いを断るつもりかね?」
「…………」
メアはにこにこと笑い続ける。まわりの男たちがフォローしようとしようとしたが、男は苦々しい顔で続けた。
「野蛮なハーフオーガにこの場は似つかわしくない。だから私が連れ出してやろうというのに」
「…………」
「どうせ子作りといくさしか能がない種族なのだろう? だったら私が協力して……」
パァン!とメアの手の中にあったグラスが爆発した。握りつぶしたグラスからぼたぼたと飲み物が零れ落ちる。
「まあ、大変……!」
お嬢様が慌てて止めに入ろうとするのを、南野は手で制した。
メアはグラスを握りつぶした手を振り上げると、そのままテーブルのひとつに振り下ろした。ダァン!と音がして、盛大に粉々になったテーブルから料理が落ちる。
「ひっ……!」
中年男は真っ青な顔で腰を抜かし、後ずさりする。
メアはヤンキー座りで中年男に迫り、据わった赤い目をを近づけてささやきかける。
「おう、オッサン。ワシをバカにするんはええけどな、ウチの組までアヤつけんのはいかんやろ? 幼女にしか手が出せん変態ロリコンのくせに、口だけは一丁前じゃのう。表出るか? おおん?」
完全に元のメアに戻っている。中年男は転びそうになりながらも立ち上がり、そのまますたこらとパーティ会場から消えていった。
しん、とその場が静まり返る。誰も彼もがメアを恐れていた。こうなったらもうご破算だ。
「……邪魔したの。ちょっとはれでぃができて、楽しかったわい……」
少しさみしそうに苦笑しながら、メアもゆっくりと会場をあとにしようとしたそのときだった。