№17・ヤードラの槍・4
肩で荒く息をしながら、キリトが告げる。ようやくマントを振り払ったヤードラじいさんは、なんとかこの事態を打開しようと槍を握りしめたが、やがて槍を下ろしてため息をついた。
「……儂の負けじゃな」
勝負は決した。キリトの勝ちだ。
息を整えている間に、ヤードラじいさんは槍の炎を消して振り返った。穴の開いたマントを拾い、キリトに差し出す。
「やるな、若造。まさか儂の渾身の突きを見切るとはのう」
しかしキリトはなぜか額に脂汗を浮かべながら、マントも受け取らず硬い表情をしている。
「どうしたんじゃ? お前の勝ちじゃよ?」
「……んこ……」
「は?」
「……うんこ、したい……トイレ貸してください……」
「……そこの家に入って突き当りじゃ」
それだけ聞くと、キリトは内またでよたよたと歩きながら家屋を目指した。
「……まさか、うんこがしたいから早めに勝負に出たんですか……?」
キリトの場合、それは大いに考えられる。
しばらくして、今度は非常に晴れやかな笑顔でキリトが戻ってきた。
「いやぁ、危ないところだったな!」
「さすが、フンバルト・ヘガデル・ミモデル……」
「うるさいぞ女ぁ!」
メルランスに噛みつきながら改めてマントを受け取り、元通り着けるとばさりと翻す。
「勝負は俺の勝ちだ。その『ヤードラの槍』、もらうぞ」
「好きにせい」
『ヤードラの槍』を渡し、ヤードラじいさんは、かはは、と豪胆に笑った。
「いや、楽しかった。久々に昔を思い出したわい。若造、お前は筋がいい。いい魔法剣士になる。これからも精進せい」
「言われなくとも」
槍を受け取ったキリトは、つん、とそっぽを向いて答えた。
すべてが終わって、槍を持ったキリトが一同のもとに帰ってくる。
「約束の品だ」
「キリトさん!!」
槍を受け取る間もなく、南野はキリトの手を握りしめて声を上げた。
「な、なんだ!? あ、ごめ、手ぇ洗ってない……」
「俺、てっきりあなたのこと、ただのバカでヘタレでビビりで口だけで根性なしだと思ってました!」
「……貴様はもうちょっと歯に衣を着せるべきだと思う……」
「けど!」
キリトの目を見つめながら、南野は続けた。
「あなたは強い戦士だ。俺の見込んだ通りの。たしかにバカでヘタレでビビりで口だけで根性なしだけど、あなたの技もこころも本物の戦士だ。表面だけ見てた自分が情けないです」
「わ、わかればいいんだ。それより、早く傷治して……」
「キリトさん! これからもよろしくお願いします!」
手を握りながら頭を下げる南野に、キリトは照れたような顔をして口を尖らせた。
「……もともと俺はお前についていくと決めたんだ。そ、それに血沸き肉躍る冒険なんて、俺のような気高い戦士にぴったりじゃないか!」
無理をしていつものように振舞っているが、顔は赤い。
照れ隠しを目の当たりにして愉快そうに笑いながら、南野はつくづくキリトが仲間でよかったと思った。
キーシャに傷を癒してもらいながら、キリトは早速大げさに武勇伝を語っている。
「おい、若造」
ヤードラじいさんがキリトに声をかけた。
「……もし、お前たちの旅が終わったそのときは……リターンマッチをしてくれんかの? 儂も負けたままでは気分が悪い。今度は普通の槍で、お前を倒してやるわい」
「望むところだ。旅が終わったら、必ず戻ってくる」
キリトが、にっ、と笑いかける。すると、ヤードラじいさんは子供のように満面の笑みを浮かべた。
元傭兵とはいえ、今は畑仕事のひとりのさみしい老人だ。こうして次の約束があれば、生活に張りも出てくるというものだろう。
キリトという男の意外な器の大きさを改めて感じて、南野は心底満足そうな顔をした。