№16・詐欺師のマスク・3
「始祖様! 私は最近足が悪くなって……治していただけませんか!?」
老婆がひとり、手探りで祭壇の前までやってきた。右足を引きずっている老婆は懇願するように『始祖様』を見つめている。
男は鷹揚にうなずきながら、しゃがみ込んで老婆の足に手をかざした。
ぼう、と白い光がともり、老婆の足を包み込んでいく。
やがて光が収まると、老婆は足をさすっておそるおそる立ち上がった。
「……痛くない!」
両の足で立っている。もう足を引きずることもない。歓喜の表情を見せる老婆に、男はにこにこと笑いかけた。
「それはよかった」
しかし、老婆はそこで表情を陰らせた。うつむきながらぼそぼそとつぶやく。
「……そのぅ、お布施なのですが……始祖様に言われた『浄財』のために、全財産を教会に預けてしまって……今日食べるパンにも困っているんです。今回のお布施は……」
その瞬間、男は笑顔のまま老婆の頬を思い切り平手で打った。ぱぁん!と音がして、老婆がよろめき倒れる。打たれた頬を抑える老婆を見下ろしながら、男はにこにこし続けて告げた。
「『浄財』であなたが全財産を教会に預けたことは知っています。しかし、お布施もなしに導きを受けようというのは、いささか信心が足りないとは思いませんか?」
「でも、お金が……」
「手に入れて来なさい。盗んででも、春を売ってでも。そうでなければ、あなたは今後導きを受けることはできませんよ?」
「おお……!」
老婆は目いっぱいに涙をためて泣き崩れた。それから、治った足で聖堂を駆け抜け、外に飛び出す。
彼女はこれから何かしらの手段で金銭を手に入れてくるのだろう。おそらくは、非合法な手段で。
……なるほど。『浄財』と称して信者から全財産を巻き上げ、更には『奇跡』の対価としてお布施を迫る。悪徳新興宗教の典型的な手口だ。
しかし、ここにいる信者たちは微塵も男を疑っていない。ただただ、搾取されるだけだ。
「……キーシャさん、どうですか?」
一連の流れを見ていた南野がキーシャに尋ねると、彼女は、うーん、とうなって首を傾げた。
「印も切らずに呪文もなしに魔法を発動させることはできないと思うんです……けど、たしかに魔力の気配はあるんですよね」
魔法には手順が必要だ。だが男はそれを一切無視している。だとすると、本当にこれは『奇跡』なのだろうか……?
「バカ。種も仕掛けもあるに決まってるじゃん。あたしたちでそれを暴いてやらないと」
小声でメルランスが南野に喝を入れる。そうだ、ここでだまされてはいけない。
「さあ、次の方、どうぞ」
老婆を殴った直後とは思えない穏やかな笑みで信者たちに声をかけると、今度は少年が前に出た。
「始祖様! 死んだお母さんと話がしたいんです! お願いします!」
今度は死者を呼び出せと来た。これにどう『始祖様』が対応するのか、今度こそ見極めてやろう。
男はにっこりと笑って少年の頭を撫でた。
「いいでしょう。今からあなたのお母様の御霊を呼び寄せます」
ぱあっと少年の顔が明るくなる。男は軽く目をつむると、両手を天に向けて広げた。次の瞬間、がくん、と肩を落とす。
「お母さん? お母さん?」
「…………ああ、私のかわいいロン……大きくなって……今年で十二かい……?」
声が女のそれに変わっている。しかも少年の名前や年齢も当てている。
少年は丸っきりそれを信じ込んで泣きながら男の胸に飛び込んだ。号泣する少年を抱きしめながら、男は続ける。
「……お前の大好きなオニオンスープ……作ってあげられなくてごめんね……そうだ、クローゼットの奥に少しだけど私のお金が置いてあるわ……それを始祖様にお布施として渡しなさい……」
「わかったよ、お母さん!」
「……どうか、元気で……」
「行かないで、お母さん!」
少年の声もむなしく、男は彼のからだを離して顔を上げた。穏やかな笑顔を浮かべてまた少年の頭をなでる。
「お母様には会えましたか?」
「はい、始祖様!」
「それはよかった。お布施はお母様からいただきましょう」
うなずいて、少年は仮面のような笑顔のまま元の席に戻っていった。
「……今のは、どうでしたか?」
再びキーシャに尋ねると、またしても彼女は首をひねった。
「魔法を使えばなんとかなるんです。ネクロマンシーって言って……けど、やっぱり手順を踏んでないのに魔法が使えるとは……」
学生とはいえ彼女は魔法の専門家だ。その彼女が疑問を呈している以上、これは魔法ではない。
だとしたら『奇跡』そのものだということになるが……
『詐欺師のマスク』のせいだろうか、南野は男の『奇跡』を信じかけていた。もしかしたら、男は本当にこの世界の救世主なのかもしれない。たしかに手口は悪徳新興宗教だが、そのちからは……