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№15・マハジッカの媚薬・中

 次に感じたのは、すえた土の匂いだった。冷たい風に、木々のざわめき。


 目を開けると、そこはどうやら墓場らしかった。曇天の下、無数の墓標が立ち並んでいる。


「ここは……?」


 辺りを見回すと、ひとつの墓標の前に女性がたたずんでいるのが見えた。黒い服に黒いベール付きの帽子。白い百合の花束を墓標に捧げ、沈鬱な表情でうつむいている。真っ赤なルージュのそばには小さなほくろがあった。


 女性は南野たちに気付いたのか、驚いたような顔をして尋ねてくる。


「あの……あなたたちは?」


 問いかけになんと答えようかと考えあぐねていると、メルランスがずばっと言った。


「ここに『マハジッカの媚薬』があるって聞いたんだけど?」


「『マハジッカの媚薬』……ですか」


 女性が視線を逸らす。その視線の先には墓標があった。


「……どなたか、亡くされたんですか?」


 南野がおずおずと聞くと、女性は小さくうなずいた。


「主人を……つい先日」


「それは……ご愁傷さまです」


 見も知らぬ相手だが、未亡人にかける言葉としてはそれが最適だろう。軽く頭を下げると、未亡人はわずかに浮かんだ涙を真っ白なハンカチでぬぐった。


「恐れ入ります……私にはもったいないくらいのひとでした。主人も私にはとてもよくしてくれて……失礼、見ず知らずのひとにこんなことを話しても仕方がないですわね」


「いえ……」


「『マハジッカの媚薬』、でしたわね」


 未亡人が口にする。なにか言葉を発する雰囲気ではなかったので、ただひとつだけうなずいて見せる。


「主人が持っていました……私には必要ないものです。この先、主人以外の方と懇意になるつもりはございませんから……」


「でしたら、俺たちに譲っていただけませんか? わけあって、その媚薬が必要なんです。失礼でなければ……」


 丁寧に言葉を選んで申し出る南野に、未亡人は初めて控えめな笑顔を見せた。


「ええ、持って行ってください。主人もその方が喜ぶと思いますし」


「ありがとうございます」


「すぐそばに屋敷があります。そちらにご案内しますので、どうぞ」


 そう促すと、未亡人はようやく墓標の前を離れた。


 はらり、白百合の花びらが風に乗る。


 その行方を追ってたどり着いた未亡人の赤いくちびるを見て、南野はなぜかぞっとした。


 笑っている。


 未亡人はただただ妖艶に、心底から幸福そうに、笑っていた。


 その笑みの意味を知ることもなく、南野たちは屋敷へ案内された。


 


「いやー、今回は意外と簡単だったね」


 夕暮れ時の酒場でエールを流し込みながら、メルランスは小瓶に入った茶褐色の粉を揺らした。


「これが『マハジッカの媚薬』ですか」


 興味深そうに眺める南野に、メルランスがいつもの意地悪な笑みを浮かる。


「なに、これを使ってなにか良からぬことでも企んでんの?」


「はは、まさか」


「まあ、媚薬は男のロマンだからな。興味があるのもわからなくもない。俺にはまったく必要のないものだがな」


「あんたの場合は媚薬でも使わないと女の子落とせないんじゃないの?」


「し、失敬な! 俺はこのあふれんばかりのきらめく色香でどんな女も……!」


「はいはい」


 適当にあしらってエールを飲むメルランス。今日はいつもよりペースが早い。


 その日は夜まで飲んで、それに付き合わされたキリトは早々に潰れてぐーすかテーブルの上で伸びていた。


「あー、あたしちょっとお手洗い……」


 メルランスが席を立つ。メアもウエイトレスで忙しそうだ。そろそろお開きか、と南野もぐでぐでのキリトを担いで立ち上がった。


「今夜は俺の部屋で寝てもらいましょうか。ちょっとベッドに運んできますね」


「…………」


 立ち去る寸前キーシャを見やったが、なぜか口をつぐんで黙っている。さっきからそうだ。


 戻ってくると、ちょうどメルランスは席につくところだった。目が合うと、にこっと笑われた。


「なんか悪酔いしたみたい……あたしも帰るわ」


「あ、私も」


 メルランスに続いてキーシャも席を立つ。ふたりを見送って、南野は残りの雑用を済ませようと厨房へと引っ込んだ。


 雑用が済んだのは夜半過ぎだった。部屋に戻っても、キリトは起きる気配がない。よほど酔いが深いのだろう。


 ベッド代わりにと床に毛布を敷いて横たわる。


 今日はなんとも不思議な一日だった。


 ……あの未亡人はなぜあんな風に笑っていたのだろう。


 自分の主人を亡くして。


 燭台の明かりを消そうとした、そのときだった。


 こんこん、と部屋のドアをノックされる。


 主人がまた雑用を頼みに来たのだろうか、とうんざりしながら扉を開ける。

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