№12・バカには見えない服・中
「あの……」
「おぅあ!?」
南野が男に声をかけようとすると、キリトが驚いたような声を上げた。入り口付近で男を見て固まっている。
「なになに、どうしたの?」
「見つかりましたかー?」
「ま、待て! 貴様らは見ない方がいい!」
ばっと両手を開いて目隠しをするキリトの脇から中を覗くふたり。
「…………なんだ、普通のひとじゃん」
「これのどこが普通だ!? というか、貴様ら女子のくせに恥じらいとかないのか!?」
「…………なにを恥じらえばいいんですか?」
不思議そうにするふたりに、キリトは、ぐぬぬ、とひるんだ。
「だって……だって……フルチンだぞこいつ!?!?」
「ふっ、ふるち……!」
「ちょっとやめてくれるそういう下品な言動は!?」
メルランスに責められて、キリトはまた、ぐぬぬ、と言いよどんだ。
そこでようやく男が顔を上げる。その表情はくたびれ切ったようなものだった。
「……もしかして、あなたたち私の服が見えるんですか?」
驚いたような顔をする男に、南野がうなずき返す。
「ええ、ばっちりと。素敵なお召し物です」
「どこかのお屋敷の主人みたい」
「立派です!」
答える三人をよそに、キリトだけは変態を見るような目で男を見ていた。
「くっ、来るな露出狂め!」
「……これは気にしなくていいので」
南野がとりなす。すると男はぱあっと顔色を明るくして立ち上がり、南野に歩み寄ってその手を両手で握りしめた。
「よかった……! まだ私の前には見えるひとがいる……!」
「あの、よかったらお話を聞かせてください。なぜあなたのような紳士がこんなスラムで生活しているんですか?」
「その前に服を着ろぉぉぉぉぉぉ!!」
「だから着てるじゃん」
平然と言い返すメルランス。
「もしかして、見えないの?」
にやり、意地の悪い笑みを浮かべてキリトを見やる。キリトもやっと気づいたのだろう、取り乱した態度を改めて、平静を装ってふっと笑う。
「ふ、ふふ……俺にも見えてきたぞ」
明らかに嘘をついているのが丸わかりだ。キーシャがじいっとキリトを見やる。
「……じゃあ、どんな格好してるか言えますか?」
その問いかけに、キリトは明らかにうろたえた。目が泳いでいる。
しばらく遠い目をしてから、キリトは大変胡乱げな言葉で答えた。
「ええと……その、なんだ……あれだ、あれ。ちょっとおしゃれな……その、あと防御力が高そうな……」
「そういうあいまいなのは答えになってません」
ぴしゃりと言い放たれて、キリトはひるんだ。それから、捨て鉢のように大声を上げる。
「革鎧だ! 戦士にふさわしいいでたちだな! そこかしこに施された装飾が職人の技を……」
「はいハズレー。やっぱ見えてないんじゃん」
「……と、いうのは嘘で、燕尾服だな。シルクハットまでかぶって実に紳士らしい……」
「またまたハズレー。やっぱあんただけがバカだって確定だね」
「くっ、くきぃぃぃぃぃぃぃ!!」
白々しい嘘がばれてキリトが奇声を上げながら地団太を踏む。
それから、なぜか南野に縋り付いてきた。
「俺はバカじゃないよな!? な!?」
「いや、見えないってことはバカなんじゃないですか?」
「言う!? お前までそんなこと言う!?!?」
至極冷静な南野の返答に、キリトは泣きそうな顔で体育座りをしてうずくまってしまった。
「話がそれましたね。なぜあなたがこんなところにいるのか、聞いてもいいですか?」
南野が水を向けると、男は重々しいため息をついた。
「少し話が長くなりますがいいですか?」
「ぜひ」
うなずくと、男はゆっくりと口を開き始めた。
「もともとは、祖父の遺品なんです。『これを着ていれば、お前が付き合うべき人間がわかる』と言われて。遺言でも、これをずっと着ているように言われました。だから、私はいまだにこの服を脱げずにいるんです」
「それで、なぜスラムに?」
問いかけると、男は爆発したように頭を抱えて大声を上げた。
「世の中、バカが多すぎるんです! 街で暮らしていると誰も彼もが私を全裸の変態扱いする! 別れた妻でさえです! 私は次第に家に引きこもるようになった。そして、それも限界になって、隠遁生活を送るためにここに住んでいるんです」
「なるほど……けど、一部には見えるひともいたんでしょう?」
「一部はね……しかし、その一部の人間も次第に寄り付かなくなってきた。変態の仲間と呼ばれるのが怖かったのでしょう。実際、私も彼らに会うのが怖くなった。いつ彼らも見えなくなってしまうのかと……」
「……お察しします」
誰もが沈鬱な表情になっていた。
話をすればだいたいの相手の知性というのは計れるが、それが可視化されるのは相当辛いものがあるだろう。特に、男のような知性的な人間にとっては。
男は両手で顔を覆って絞り出すようにつぶやいた。
「私は、バカは嫌いなんです……それに、祖父の遺言だ、この服を脱ぐことなど……」
「いいじゃないですか、脱いで」
さっぱりとした口調で南野が言う。男は顔を上げ、南野をじろりと見やった。
「……できないんです」
「そうやって自分を縛ってしまうこと、亡くなったおじい様がお望みとお思いですか?」
「それは……」
「それに」
言いよどむ男に、畳みかけるように南野が続けた。