№11・龍神の逆鱗・下
案外あっさりと剥がれた鱗を急いでリュックにしまって、龍神から距離をとる。
龍神はしばらくの間、瞳から光を消して静かに固まっていた。嵐の前の静けさを感じ取って、ぐびりと唾を飲む。
変化は一瞬だった。
瞳に真っ赤な光が宿ると、龍神は高らかに咆哮した。ごうごうと洞穴内の空気を震わせる地鳴りのような叫びだった。あまりの圧と迫力に背筋が凍る。
「来るよ……!」
ぐねり、と龍がからだをひねり、尾を跳ねさせた。とぐろを巻いていた状態だったので気付かなかったが、からだを伸ばすとこの洞穴いっぱいになりそうなくらいの巨体だ。
怒り狂った龍神は吠え猛りながらこちらに突進してきた。慌てて隠れた岩を頭突きで粉砕すると、今度は鞭のようにしなる尾をひらめかせ、叩きつけてくる。
「おわぁぁぁぁぁぁ!!」
逃げ遅れかけたキリトが悲鳴を上げるが、メルランスに首根っこをひっつかまれて寸前で尾をかわした。
「トロい! そしてうるさい!」
「ぐ、ぬ……!」
状況が状況なので言い返せずに黙るキリト。
龍神は暴れに暴れ、ぶつかった岸壁ががらがらと音を立てて崩れていく。下手をするとこの洞穴が崩れてしまう可能性もある。そうなる前に脱皮が終わればいいのだが。
「なにか様子がおかしいです!」
キーシャが声を上げる。低くうなる龍神のそばに、黄金色の球体が三つ、出現した。ふよふよと浮かぶそれは紫電をまとい、その光は加速度的に大きくなっていく。
「防御魔法!」
とっさのメルランスの掛け声に、キーシャが詠唱を始めた。キリトはもとから防御魔法が使えないらしく、それでも細剣を交差させて様子を見ている。
やがて、メルランスとキーシャの呪文が重なった。
『『第八十六楽章の音色よ! 創生神ファルマントの加護のもと、空を突きそびえる光の城壁の旋律を解き放て!』
きん、と音がして、四人を包むようにしてドーム状の光の防壁が二重に展開した。
龍神の攻撃が来たのはその直後だった。
爆音を轟かせ、極太のいかずちが防壁を直撃する。
「くっ……重い……!」
稲光を散らしながらのしかかる雷光に、メルランスが印を切った手首を抑えながらくちびるを噛んだ。それはキーシャも同様だった。
「外側の防壁は、もう持たない……!」
メルランスが張った防御魔法にひびが入り、ガラスが割れるような音を立てて崩れ去る。残るはキーシャの防壁だけだ。
「正直、こっちも、もう……!」
苦痛の表情を浮かべるキーシャだったが、雷光はようやく収まってくれた。その時点でひびが入っていたので本当にぎりぎりだったのだろう。
ぜいぜいと息を乱すふたりに、龍神は大きくあぎとを開いて迫った。
「させるかっ!」
すかさずキリトが細剣を交差させて防ぐ。が、龍神の膂力に負けて吹っ飛ばされ、崩れかけた岸壁にたたきつけられた。
「キリトさん!」
「くっ……これくらい、なんとも……!」
もがいて立ち上がろうとするが、それもならない。エルフは魔力の代わりに肉体的に脆弱だと聞いたことがあるが、その通りなのだろう。
そうこうしている間に、龍神の周りを浮遊していた金の球体がまた雷光をまとい始める。
「まずい、今度こそ防ぎきれない……!」
「私も、限界が近いです……!」
歯噛みしながらもふたりは再び防御魔法を構築していく。
『『第八十六楽章の音色よ! 創生神ファルマントの加護のもと、空を突きそびえる光の城壁の旋律を解き放て!』
重なったふたりの防壁が完成すると同時に、またしても極大の雷撃が直上から襲ってきた。ふたりとも手首を抑えて短い悲鳴を漏らしている。
さっきよりもずっと早い段階で外側の防壁に亀裂が入った。間もなく音を立てて砕け散る光の防壁。
「く、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ……!」
内側を担当しているキーシャが歯ぎしりしながら必死に耐えている。しかしそれもむなしく、亀裂はどんどんと広がっていった。
「ごめんなさい、も、もう、持たない、です……!」
消え入りそうな声が聞こえた、そのときだった。
ばり、となにかが引き裂かれる音が聞こえた。
雷光は収まり、龍神のまわりの球体も消えていた。
ばりばりばり、と音は続き、龍神の外皮がはがれていく。
ちょうど蛇の抜け殻のように龍神そのままの形の皮がばさりと地面に落ちた。
「ま、間に合った……」
見守ることしかできなかった南野がほっとした声を漏らし、その場にへたり込む。
あわやパーティ全滅といったところで脱皮は間に合ったようだ。
皮を脱ぎ捨てた龍神は以前にも増して黄金色に輝いており、理性も取り戻したようだ。目には元の厳かな光が戻っている。
『よくやった、ようだな……人間』
「ぎりぎりでしたよ……」
ため息のような声で答えながら立ち上がる。龍神は機嫌良さそうに笑った。
『ひとの身で、なかなかできることではない……私の怒りによく耐えた。逆鱗は持っていくがいい』
「ありがとうございます」
南野が一礼する。
「あー、あと、抜け殻も持って帰っていい? 黄金龍の抜け殻は結構高く売れるんだよね」
倒れていたキリトを助け起こしていたメルランスが問いかけると、龍神は軽く頭をもたげた。
『ひとの子は妙なものに価値をつけるものだな。いいだろう、持っていけ』
「いいって言ってますよ」
「やったー!」
ガッツポーズをするメルランス。早速抜け殻を担ぐと、キリトといっしょに戻ってきた。
「……タフですね、メルランスさん……私、もうへとへと……」
「鍛え方が違うんだよ」
膝に手を突いて荒い息をするキーシャに、にやりとメルランスが笑いかけた。
『さあ、行くがよい、人間たちよ。私はもうひと眠りするとしよう』
元のようにとぐろを巻く龍神に再度お辞儀をして、四人は『レアアイテム図鑑』を広げて手を置き、目を閉じた。
酒場に戻って来て、大荷物を担いだメルランスに昼飯時の冒険者たちの注目が集まる。
「こりゃまたずいぶんと大物を持って帰ってきたもんだな!」
「黄金龍の抜け殻じゃないか! まさか脱皮の瞬間に立ち会ったのか?」
「俺も見たかったなぁ」
「へへっ、これもあたしくらいの実力があれば当然よ」
誇らしげにするメルランス。それから少しはにかんだ笑みを見せて、
「……今回は仲間にも助けてもらえたしね」
そう、今回は誰が欠けても成功しなかっただろう。このパーティだからこそできた芸当だ。
改めて、南野はこの仲間たちを心強く思った。
「……うう、あばらが痛い……死ぬ……」
「大げさな。とっとと医務室に行きなよ」
青い顔をするキリトにぴしゃりと言い放ち、メルランスは抜け殻を置いて早速カウンターに腰かけた。
「喉乾いちゃった! エール持ってきて!」
「本当、タフですねー……」
感心したような、呆れたような声を漏らすキーシャ。
それをよそに、ぐびぐびとやってきたエールを飲み干すメルランス。
医務室からうなり声を響かせるキリト。
みんな、自慢のパーティだ。
その縁が自分につながったことに、南野は心底感謝した。
「あの、俺も喉乾いて……」
「お金ないんなら水でももらってくれば?」
少し甘えようとした南野に、メルランスは無慈悲に言い放った。
……やっぱり、ちょっと問題はあるパーティかもしれない。
がっくりと肩を落として、南野は厨房へと水をもらいに行った。