№10・歪曲する運命の魔導書・中
「ここが国立図書館の禁書区画……」
つぶやいて見渡せば、辺りには無限とも思える書架が乱立していた。そのすべてにみっちりと古びた分厚い本が詰め込まれており、背表紙にはタイトルらしい読み取れない文字が連なっている。
「本来なら立ち入り禁止区画なんで、静かにしててくださいね」
しい、とキーシャがくちびるに指を当てる。うなずき返して歩き出すと、青白い光球も四人についてきた。
「ここにあるのはどれも希少で危険な禁書ばかりです。充分に注意してください」
本を傷つけないように、と、むやみに動かないように、と両方の注意を促しているのだろう。南野たちはそろそろと書架の森を進んだ。
「古代文字で書かれてますからわかりにくいんですが、種別と音列で判断するとこっちの方です」
「あんた古代文字が読めるの?」
「ええ、学校で少し習いました」
「すごいじゃない。あたしなんて学がないから無理だもん」
「そ、そんなことないですよ! 私が学んだのはあくまで机上の学問で、メルランスさんたちみたいに実地で経験したことなんてほとんどなくて……」
ぼそぼそとしゃべるキーシャは謙遜と、自信のなさを込めているように見えた。その経験不足を補うために南野たちについてきているのだろう。勉強熱心なのはいいことだ。
しばらく進んでみると、ぽつりと一冊の本が落ちていた。ぼろぼろに朽ちかけた雑誌のような体裁の書物だ。表紙には色っぽい女性が描かれている。
ああ、こういうの小さいころに見たことがある。
河原とかに落ちている出所不明のエロ本だ。
「気を付けてください。ああして落ちてる本もたまにありますけど、ろくな魔導書じゃありませんから」
「わかってますよ。多感な中学生じゃあるまいし、エロ本なんかには興味ありませんから」
その本の前を素通りしようとする。しかし、キリトだけはなぜか歩調を遅くして一行の後ろを歩いていた。
「? どうしたんですか、キリトさん?」
「い、いや! なんでもないぞ!」
取り乱した声を必死に抑えているような気がする。が、南野たちは怪訝そうに思うだけで先を急いだ。
キリトは他の三人に気付かれないよう、落ちている本をずりずりと足で引き寄せる。
「ちょっとだけ、ちょっとだけ……」
はぁはぁ言いながらちらりとページをめくった瞬間、ピンク色の煙がキリトを取り巻いた。
「ぎゃああああ!!」
「キリトさん!?」
悲鳴を上げるキリトに、先行していた三人が戻ってくる。キリトはエロ本を広げたまま盛大に鼻血を吹き出し、ぴくぴくと痙攣しながら倒れていた。何日も断食したようにげっそりとしている。
「これ……『サキュバスの手引書』!」
閉じた本を慎重に取り上げると、キーシャが目を見開く。
「どういう本なのこれ?」
「サキュバス……淫魔の魔力がこもった魔導書です。異性を惑わせて精気を吸い取るという……もう! なんで開いたんですか!!」
本気で怒るキーシャに、息も絶え絶えのキリトがつぶやいた。
「……だって……おとこなら……きょうみもってとうぜん……」
忘れていた。中学生マインドを持っているキリトがパーティにいることを。河原のエロ本に狂喜乱舞する思春期ハートを携えたダメエルフがいることを。
「ったく、こいつもう使い物にならないじゃん。モンスターもトラップもないし、置いてく?」
「それはさすがに……俺が背負っていきますから」
暗闇にひとり取り残されて半死半生など怖いだろう。南野は異様に軽くなったキリトのからだを担いで歩き出した。
「ああもう、なんで勝手に行動するんですか!」
「……エロかった……」
うわごとのようにつぶやくキリトにはなにを言っても無駄だと悟ったのか、怒ったようなため息をついてキーシャは黙った。
「ともかく、どれだけ誘惑されてもむやみに本を開かないでくださいね! どんな魔法がかかってるかわかりませんからね!」
語気も強く注意するキーシャについて、慎重に書架の間を歩いていく。途中落ちていた『お金が無限に増える本』にメルランスの足が止まった気がしたが、さすがに彼女はそこまでチョロくないらしく、ぐっとこらえて先を急ぐ。
「たぶん、この辺だと思うんですけど……」
書架の一角で立ち止まって、キーシャは上から下まで本の背表紙を目でたどる。下段までたどり着く前に、南野はふと背後にある書架の一冊に目を奪われた。
「『世界の珍品目録』……!」
目録。それは蒐集狂にとって聖書のごとき存在だった。しかも世界の珍品と来た。魔導書探しに夢中になっているキーシャの背後で、南野は葛藤した。
いくら魔導書とはいえただの目録だ。目録に魔法がかかっているとは考えにくい。きっと希少な方の魔導書だ。ちょっとだけなら、ちょっとだけ……
完全にエロ本に魅了されたキリトと同じことを考えて、そろそろと書架から目録を抜き取る南野。
「あった!」
キーシャが声を上げる。その裏表紙に書いてある文言を読み上げた。
「『この本はフェイクです。本物は向かいの書架の『世界の珍品目録』に偽装されています』……」
はっとして振り返ったキーシャの目には、目録を開こうとしている南野の姿が目に映った。
「その本、開いちゃダメです!!」
キーシャの鋭い声が書架の間にこだまする。
しかし、時すでに遅しだった。
「え?」
南野の手の中で開かれた書物はぼんやりと発光し、やがて……