№09・大蠍の尾・3
現れた左目は、右と変わらないなんの変哲もない碧色のきれいな瞳だった。特に魔神が封印されているだとか、ものもらいだとか、そういう気配は感じられない。
「なんだ、どうにもなってないじゃないですか。よかった」
ほっとする南野をしり目に、エルフの青年は、あ、だとか、う、だとか言葉にならない声を発してなにかを取り繕うとしている。
「いや、これは……これは! その……そうだ! 魔力のない人間には普通に見えるかもしれないが、ここにはたしかに魔神が……!」
「……なんも見えないけど?」
「見えませんねー」
追いついてきたメルランスとキーシャが続けざまに言う。魔力のある彼女らが言うからには、本当になにもないらしい。
「ぐ……! そうじゃなくて……! あの、違うよ? 魔力があっても同じ魔神のちからを宿していないと見えなくて……! ほら、魔神のちから同士は引かれあうから……! べ、別にそんなんじゃいから!?」
顔を真っ赤にして、ころころ言うことが変わる。そうかと思えば、はっとして右腕の包帯をほどき始めた。その下には、複雑な紋様のあざがあった。
「ほら! これ! ふ、ふっふっふ! 魔神イーグニットのちからに魅了された人間にはこの呪いの紋様が刻まれて……!」
「あ、これ剥がれる」
「シールですねー、おしゃれさんですねー」
「や、やめろぉぉぉぉぉぉ!!」
ぺりぺりと剥がれる紋様は、どうやらタトゥーシールらしかった。刺青ですらないらしい。
「こ、これは……」
ごくり、唾を飲む南野。エルフの青年は目に見えて慌てだした。
「ち、違うから! 俺は魔神イーグニットが欲するままに強者との戦いに明け暮れる修羅の道を行くもので……!」
間違いない。
「…………中二病だ…………」
「ちゅうにびょう? なにかの病気なんですか?」
尋ねてくるキーシャに、南野はわかりやすく説明した。
「俺の世界の……まあ、思春期にかかる病気といえば病気ですね。やたらダークな設定を自分につけてみたり、一匹狼を気取ってみたり、技に名前を付けたり……症状は様々ですが、要はカッコつけ病です」
『……あー……』
メルランスとキーシャはそろって心底残念そうな声を上げた。
「な、なんだよ!! いいだろ別に!! 実際俺が強いのはさっき見ただろ! これだからなんにもわかってない女は!!」
子供みたいに癇癪を起こすエルフの青年に、じっとりとした視線を向ける女性陣。
「……こういうのが『中二病』患者の逆ギレです……」
「ええとね、言っとくけど……エルフってだいたいこうだから」
「へ!? エルフって全体的に中二病なんですか!?」
「そう。だからパーティにいると扱いに困るんだよね」
「めんどくさいっぽいひとですからねー」
ねー、と顔を見合わせるメルランスとキーシャ。まさかエルフという種族が全部中二病患者だったとは。泉のわく森の最奥で静かにハープを弾いている優美なエルフ像が頭の中で音を立ててがらがらと崩れていく。
「エルフって……もっと落ち着いた人種なのかと思ってました……」
「俺はこれでも120歳だ!!」
「120年も生きてきてこの体たらく……」
「うるさぁぁぁぁぁい!!」
ついに地団太まで踏み始めてしまった。まるっきり小学生だ。
冷ややかな三つの視線にさらされて我に返ったのか、エルフの青年はこほんと咳ばらいをひとつして気を取り直した。
「じ、自己紹介が遅れたな! 俺は魔神イーグニットをこの身に宿し、修羅の道を行く男、エルフのキリテンシュタイン・フォン・リーグシュタット・バイデルセンだ。長くて呼びにくいならばキリトと呼んでくれていい」
と、キリトは自分的に最も決まると思っているであろう角度で流し目を送った。エルフらしく顔は整っているものの、すでに中二病の痛々しいひとだとわかっている女性陣の目は冷たい。
「ええと、俺は南野アキラと申します……わけあって異世界から流されてきて、『緑の魔女』のレアアイテムを集める旅をしていて……」
「あー、メルランスでーす。一応冒険者やってまーす。南野手伝ってまーす」
「ええと、教会学校で魔法学を専攻してます、キーシャです……卒業研究のためにおふたりについていってます……」
やる気のない自己紹介だった。メルランスに至っては髪の枝毛を探しながらだ。キーシャなどは初めて見てはいけない珍獣を見る目でちらちらとキリトを見ている。
「なに!? 異世界だと!? そして『緑の魔女』のレアアイテム!?」
食いついてきた。めんどくさいことになったなーと内心思いながら、南野は適当に説明し始めた。