№09・大蠍の尾・1
「『大蠍の尾』?」
朝食のBLTサンドを食べ終わり、指に残ったソースを舐めながらメルランスが怪訝そうな顔をした。
「ええ、次の獲物です」
モップを片手にページを開いた『レアアイテム図鑑』をカウンターの上に置く。
「なになに……『3メートルを超える巨大な蠍の尾。その尾には象をも一撃で昏倒させる毒が宿っており、しばしば暗殺のための毒薬として使用される』……なるほどね」
「私も知ってます、強力な魔法薬の材料としても使われます」
隣で市場で買ってきたらしいリンゴをかじりながら、キーシャが便乗する。
うーん、とうなるメルランスの顔の険しさを見て取り、南野は不思議そうな顔をした。
「なにか問題でもあるんですか?」
すると、メルランスは結い上げた金の髪を掻き、
「多分この毒がないとレアアイテムとは認められないんだろうね……この毒、大蠍が死ぬと活性を失うんだ。ってことは、生きた大蠍を仕留めてすぐに尾を切り離さないといけないってこと」
そう言って、メルランスはエールのジョッキをぐっと傾けた。
「さ、3メートルの大蠍を、ですか……?」
「そ。まあ、ある程度経験を積んだ冒険者ならそんなに難しい獲物じゃないけど」
「じゃあ、私が魔法でお手伝いします!」
「ダメ。あんたの場合は必要な尾まで爆砕させちゃうでしょ」
「ううう……!」
図星を突かれたキーシャは悔しそうにリンゴを噛みしめている。
「熟練の冒険者……だったら、メルランスさんがいれば大丈夫じゃないですか」
南野が言うと、メルランスはジョッキを干して深いため息をついた。
「……あたし、虫って苦手なの」
「……へ?」
「だってなんなの!? あのうじゃうじゃした脚とか、妙につやつやした外骨格とか、なに考えてるかわかんない複眼とか! そりゃあ、ダンジョンとかで遭遇したらきちんと倒すけど、あんまり積極的に戦いたい相手じゃないの!」
メルランスにも苦手なものがあるのか……となんとなく感慨深く感じた南野。とはいえ、相手はまだ年端もいかない女の子だ。虫くらい苦手な気持ちもわかる。今までずっと頼り切りだったが、彼女だって得手不得手くらいある。
「それは……といっても、キーシャさんに任せたら確実に尾まで爆散させるでしょうし、俺は俺でまさか3メートルの大蠍を仕留める腕もないし……」
頼るしかないのだ。己の無力さがいやになる。
助けを求めるようにメルランスを見つめると、エールを飲み干した彼女はまたため息をついた。
「大蠍の身は料理にも使われる。カニよりも芳醇な味わいで、市場に出回ることも少ない。ま、市場に売ればお小遣い程度の稼ぎにはなるでしょ」
「それじゃあ……!」
「やってやるよ。あんまり乗り気はしないけど」
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げた南野に、メルランスは思いっきり苦い顔をした。
「その代わり、あたしは近接戦闘はしないよ? あんなのに触れたくないし」
「ってことは魔法で?」
「そうなるね」
「じゃあ私が!」
「あんたは黙ってなさい」
「はい……」
しゅんとしたキーシャが引き下がる。メルランスは億劫そうに席を立ち、
「そうと決まれば行くよ。掃除ももう終わったんでしょ?」
「ええ。行きましょうか」
モップを片付けてから、三人は『レアアイテム図鑑』を囲んでその上に手を置いた。目をつむる。
次に目を開けたときには、三人は砂漠のど真ん中に立っていた。頬には乾いた熱風が吹きつけ、足元の砂を巻き上げている。遠くは砂煙で見えない。
「う、わ……!」
突如現れた壮観に南野が声を上げると、メルランスは腕で砂風をよけながら苦い顔をした。
「すっごい紫外線……暑いし。どうせここに転送されるってわかってたんだから、砂漠対策でマントでも持ってくればよかった……」
「わー! すごい! 砂漠って始めて来ました! 本当に砂ばっかり!」
キーシャは初めて見る砂漠にはしゃいでその辺をうろうろしては砂に足を取られて転んでいる。
「俺も鳥取の砂丘は行ったことありますけど、こんなガチの砂漠は初めてです……」
「とっとり?……まあいいや。ともかく、『レアアイテム図鑑』がここに送ったってことは、近くに大蠍がいるはずだよ。奴らは日中砂の下にもぐってることが多い。獲物が来たら突然襲い掛かってくるから、気を付けてよね」
「わかりました」