№08・オーロラスパイス・3
『まず最初は! ロメイユさんの作ったカレーからいただきましょう!』
景気の悪い顔をしたさすらいのコックのロメイユさんは一歩前に出て審査員席に皿を配った。銀のふたを開けると、そこには……
「ほう、これは……」
「い、一応カレーの形はしていますわね」
色も形もカレーの体裁は保っている。審査員たちは一安心したようにほっと溜息を漏らした。
『それでは、実食たーいむ!!』
司会の掛け声でスプーンを口に運ぶ審査員たち。口にした瞬間、眉根をひそめる。
「これは……野菜くず?」
「下水で煮込んだのか?」
「この舌に絡みつくような甘さは……?」
「くさい、とにかくくさい」
散々な言われようだった。ロメイユさんは『またか……』とばかりにがっくりと肩を落としている。
そんな中、味帝王だけがぱくぱくとカレーを食べている。会場中の驚嘆の視線が集まった。
『さ、さすがは味帝王! ちょっとやそっとのまずさではびくともしません!』
カレーを完食した味帝王は、ふう、と息をついてまた腕を組んで瞑目した。やはり大物の貫禄だ。
『ロメイユさん、くさい野菜くずという名のカレーを作りました! 一応はカレーです! これでは味帝王のこころはつかめません!』
ロメイユさんはコック帽を握りしめて涙ながらに退場していった。
『続いては主婦のミレッタさん! 今度はどんなカレーが飛び出してくるのかー!?』
審査員たちの隣に並んだミレッタさんは笑顔で皿を供していく。もうここまで届くほどのむせかえるような悪臭が胸やけを誘った。
「みなさん、私の特製カレー、召し上がってください」
にっこり微笑んで銀のふたを開けると、そこには……
『こっ、これはぁぁぁぁ!?』
司会が吃驚の声を上げる。
それはもはやカレーではなかった。紫色の液体から緑色の泡がこぽこぽと立ち上り、皿からは触手のようなものがはみ出ている。ライスはなにで染まっているのか真っ赤になっており、時折どこからか『ぎぎいいいいい』と悲鳴じみた声が聞こえてくるような気がした。
「うっ……!」
「なんてこと……!」
これからこれを食べる審査員たちは今すぐにでも逃げ出したい気分だろう。しかし、引き受けた以上、そして群衆たちがそれを期待している以上、逃げるわけにはいかない。すえたようなすっぱい悪臭に鼻を覆いながらも、審査員たちは果敢にスプーンをカレー(?)に沈めた。
一口、ほおばる。
「ぐぶっ!?」
「おぼっ!?」
腹に強烈なボディブローを食らったかのような声を上げ、審査員たちが一斉にカレー(?)を吹き出した。急いで大量に用意されていた水を飲み、ぜいぜいと真っ青な顔で喘鳴を上げている。
味帝王は一口カレー(?)をほおばると、おもむろにスプーンを置いた。そして、かっ!と目と口をかっ開き、
「ま・ず・い・ぞーーーーーーーー!!!」
叫びながら開いた目と口から怪光線を発した。
『で、出ましたー! 味帝王の『まずいぞ』! これはかなりのまずさと見ました!』
「……ゲロの味がする……」
「……スパイスで鼻の奥が痛い……」
「あらあら、お口に合わなかったかしら?」
この惨状を作り出したミレッタさんはあくまでのんきに首をかしげている。
ごくり……と会場中の人間が生唾を飲み込んだ。どこまでまずいのか。そもそもあれはカレーなのか。問題は哲学的にまで発展しそうになっている。
そそくさと皿を引くミレッタさんを見送り、司会は気を取り直してキーシャを呼んだ。
『さあ、最後の一人です! 果たして先ほどのカレー(?)を越えられるのか!? 教会学生のキーシャさん作のカレーです!!』
「はい! うまくできました!」
元気よく答えて審査員席に皿を配るキーシャ。今のところ異臭などはしていない。もしかしたら、キーシャは実は料理できるのでは……?と隣のメルランスと顔を見合わせるが、なにが出てくるかはわからなかった。
『それでは、実食です!!』
銀のふたが開く。中に入っていたのは……
『……これは??』
それは、正方体の形をした真っ黒い固形物だった。それがちょこんと皿の上に載っている。もはやカレーという概念を覆す代物だ。キーシャは照れくさそうに笑いながら、
「ただのカレーだとインパクト薄いと思って……だから、カレーゼリーを作ってみました!」
カレーゼリー……嫌な予感しかしない。カレーをゼリーにしようという発想それ自体が狂気じみている。
『形状はユニークですが……特に悪臭などはしませんね』
「そりゃそうですよ! 普通にカレーを作ったんですからね!」
ぷりぷりするキーシャ。その『普通』が一体どれほど『普通』なのかはまだ定かではない。
『そっ、それでは! 審査員のみなさん、実食です!』
緊張の面持ちでカレー(?)にスプーンを差し込む審査員たち。『それ』を口に運び、咀嚼して……数秒後。
「げbぶしゃああ!!」
「ぼぶrrっら!!」
「おbgぶぅぅぅ!!」
抜けるような青空の会場に、審査員たちの嘔吐音がこだまする。あらかじめ用意されていたバケツに胃の内容物をぶちまける審査員たちに、観客たちは、ごくり、と生唾を飲んで青ざめた。
『こ、これは……!』
実況者すら息をのみ、言葉も出てこない。
「…………すごいな」
ぽつり、南野がつぶやく。壇上にいるキーシャは涙目になっていた。
げえげえと内臓まで吐き出しそうな勢いで嘔吐する審査員たち。もらいゲロをする群衆まで出てきた。
『ちょっとおおおおおお!! 毒物劇物魔法薬の使用は禁止って言ったじゃないですかあああ!!』
司会がキーシャに詰め寄る。彼女はふるふると首を横に振りながら、
「使ってませんよぅ! 普通にカレーを作っただけです! ちょっと隠し味と、自家製ハーブで味付けしただけで!」
『じゃあなんなんですかこのあからさまな身体拒絶反応は!? ちょ、担架! 担架持ってきて! 審査員医務室に運んで!!』
司会が声を上げると、どこからともなく担架を持ったスタッフがやってきて、ぴくぴくと痙攣する審査員二名を医務室へと運んで行った。
「そうだ、味帝王は……!?」
南野が視線を向けた先には、カレー(?)をもぐもぐと食べる味帝王の姿があった。スプーンを置いて、腕を組み、大物の貫禄でうなずき、
「……ぎゃぶらぼ」
謎の奇声を口にして、そのまま椅子ごと、ばたーん!と後ろに倒れてしまった。
『あ……味帝王が……!?』
完全に気を失った味帝王まで担架で運ばれていき、会場中がしんと静まり返る。
「あ、あの……?」
戸惑うキーシャの腕をさっと取り、司会が絶叫した。
『優勝はキーシャさああああああああん!!』
「ええっ!?」
目に涙を浮かべて混乱するキーシャに、ぱちぱちぱち……とまばらな拍手が送られる。
壇上から降りてくるときは、群衆が真っ二つに割れて道を作った。もはや凶悪なモンスター扱いだ。
「や……やったじゃん、キーシャ。おめでと……」
「……おめでとうございます」
「なんでふたりとも微妙に距離を取るんですか!?」
ちょっと離れたところで出迎えたふたりに、キーシャが噛みつく。南野としてもメルランスとしても、なんとなく近づくと呪われそうで怖かった。
「と、とにかく! このカレー(?)を持ってあるじのところへ行きましょう! これなら間違いなく納得してくれます!」
「そうだね! きっと卒倒して喜ぶよ!」
喜びで卒倒するわけではないのだろうけど。
三人は阿鼻叫喚の会場をあとにして、そそくさと屋敷へと向かった。