№08・オーロラスパイス・2
交渉が成立して部屋を出ると、屋敷内はばたばたとあわただしく動いていた。外に出ると、もうすでに『本日14時、まずいもんコンテスト開催!!』とのビラがあちこちに張られている。
「よっぽどまずいものに飢えてたんですね……」
「あたしにはちょっとわかんないな。オカネモチの考えることって」
例によって、メルランスはオカネモチ相手には手厳しい。呆れたようなため息をついてやれやれと肩をすくめる。
「けど、おいしいものならともかく、まずいもので誇らしげに大会に出場するひとっているんですかね?」
「誇らしげかどうかはわかりませんが、あのあるじのことです、それなりの賞金を懸けるでしょう」
「なるほど、それに釣られて選手が集まるんですね!」
「そうだ、キーシャ、あんたも出てみれば?」
「ええ!? 私ですか!?」
いきなり水を向けられて、キーシャは裏返った声を上げた。
「この際だから賞金もいただいちゃおう。大丈夫、あんたならできるって! 前の『スライムゼリー』の出来栄え、なかなかのものだったじゃん。ね?」
視線で発言を求められ、南野は深々とうなずいた。
「……あれは、思い出したくないくらいの素晴らしい……いや、なんというか、素晴らしい出来栄えでしたね……」
「うう、これでも魔法薬学の成績はいい方なのに……!」
「薬学と料理は違いますよ」
「けどけど! これって優勝しちゃったら、私の料理はまずい!ってことになるんでしょ!? それって乙女的にすっごくフクザツなんですけど……」
「細かいことは気にしない! まずい料理を作れるって誇ればいいじゃん! ってことで、早速エントリーしに行こう!」
「うううううう……!」
メルランスは会場となる公園へと不服そうな顔をするキーシャを引きずっていった。
……そして迎えた午後二時。
会場にはそれなりの観客が集まっていた。ほとんどが物珍しさの野次馬だろう。
『さーあ、やってまいりました、『まずいものコンテスト』! この街で一番まずい料理を作れるのは誰だ!? 栄えある優勝者には金貨10枚が贈られます! みんなー! まずいものが食いたいか!?』
『…………』
やたらテンションの高い司会の声に答える群衆はいなかった。それはそうだろう。
『そ、それでは気を取り直して! まずは審査員の紹介から! この街で三ツ星レストランのグランドシェフを務めるアッケンマイヤーさん!』
審査員席でコックコートを着たひげの大きな男が黙って頭を下げる。
『そして! 美食家として有名なマダム・レイナー!』
「ホホホ、よろしく」
扇子で優雅に顔を仰ぐマダムが目礼をする。
『さらに! 大物です! 美食界から通の呼び声高い男! その名も味帝王!!』
白いひげを蓄えた背広姿の老人はうんともすんとも言わず、ただ目をつむって腕を組んでいる。大物の貫禄だ。
『以上三名が審査員となります! この方たちをいろんな意味でうならせる料理は果たして出てくるのか!?』
うおおおおお!と群衆が歓声を上げる。案外盛り上がっていた。
『では、続いて出場者の紹介! 潰した店は50軒以上! もらったクレームは数知れず! 街から街へと渡り歩くさすらいの料理人! ロメイユさん!』
設置された壇上に上がるのは、コック帽をかぶった貧相な男だった。疫病神でもついていそうな面立ちだ。ぺこり、とお辞儀をすると、群衆が沸いた。
『そして! 『飯がまずい』と離婚されること5回! 家庭料理の概念を覆すなら私に任せろ! 三人いる子供はあまりのまずさにそうそうに家出! 主婦のミレッタさん!』
「みなさん、よろしくお願いします!」
エプロン姿の平凡そうな中年女性が手を振ると、また群衆が盛り上がった。
『さあ、今度は学生さんだ! 教会学校からの出場! 劇物の取り扱いならお手の物! その調子でまずいものも作れるのか!? キーシャさん!』
「よ、よろしくです……」
壇上のキーシャがお辞儀をすると、なぜか群衆から拍手が起こった。
「どうですかね、キーシャさん」
「いいところまで行くんじゃない? あんたは身をもって知ってるんだし」
「それもそうですね……」
『スライムゼリー』の味を思い出して、南野は、うっぷ、と胃液がせり出してくるのを感じた。たしかに、あの味は未体験のまずさだった。からだが拒絶反応を示すほどのまずいものを食べたのは初めてだった。
『さあ! さあ! ルールは簡単! 劇物毒物魔法薬の使用は禁止! あくまで食材のまずさだけを引き出してくださいね! さて、今回のコンテストのお題は……!』
司会が声を上げると、今まで沈黙を守っていた味帝王がすっくと立ちあがった。そして、巻物をはらりと広げる。
そこには、達筆で『カレー』と書かれていた。
『カレーです! みなさん大好き、まずく作る方が難しいカレー! 挑戦者たちはこのお題にどう立ち向かっていくのか!?』
わああああ!と群衆が歓声を上げる。誰も嫌な予感に気付いていないのが異様だった。
挑戦者たちがキッチン台に立って、ゴングが鳴った。
『それでは調理開始です!』
各々が食材のテーブルからカレーの具材を選び、包丁を入れ鍋を火にかける。全員、動きだけはてきぱきと手慣れたものだった。
しばらくすると、会場じゅうに、ぷーん、とにおいが漂ってきた。『ぷーん』には良い『ぷーん』と悪い『ぷーん』があるが、これは明らかに後者だ。ドブを煮詰めたような悪臭と化学薬品のような刺激臭に、気分を悪くして退場するものまで出てくる。
やがて料理は完成したようだった。各々が銀のふたをかぶせた皿を持って審査員たちの隣に並ぶ。審査員たちもすぐ間近にある悪臭に耐えかねて顔色を青くしていた。
『さあ! 料理が完成したようです! それでは早速審査員のみなさんに実食していただきましょう!』
きっと審査員たちはこの場に呼ばれたことを後悔していることだろう。群衆でさえ『死人が出るぞ……』などと不吉なことをつぶやいている。司会だけが元気いっぱいだ。