№08・オーロラスパイス・1
「げbぶしゃああ!!」
「ぼぶrrっら!!」
「おbgぶぅぅぅ!!」
抜けるような青空の会場に、審査員たちの嘔吐音がこだまする。あらかじめ用意されていたバケツに胃の内容物をぶちまける審査員たちに、観客たちは、ごくり、と生唾を飲んで青ざめた。
『こ、これは……!』
実況者すら息をのみ、言葉も出てこない。
「…………すごいな」
ぽつり、南野がつぶやく。壇上にいるキーシャは涙目になっていた。
なぜこんなことになったかというと……
「『オーロラスパイス』?」
朝からカウンターでリブステーキとエールを飲んでいたメルランスが首をかしげる。南野はそれをうらやましそうに横目で見ながら、視線を『レアアイテム図鑑』に戻した。
「『どんなにまずい食べ物でもこれを振りかけると途端に至上の美味に変わる』……らしいです」
「なんだか、料理人の立場がなくなる一品ですね!」
今日もキーシャは身もふたもないことを元気よく口にする。
「そうですね。けど、希少なものですから料理人の仕事はなくならないと思います」
「だったらよかったです!」
「あー、それはいいんだけど、そんな便利なもの所有者がやすやすと手放すとは思わないなあ」
リブステーキの骨をぽいっと投げ捨て、メルランスがエールを飲みながらぼやく。
「そこはまた、あんたの交渉術次第ってことになるね」
「うう、自信はないんですがなんとかやってみます……」
泣き言じみたことを口にする南野の背中を、ばーん!とメルランスが叩いた。
「さあ、善は急げだよ。さっさと片付けよう」
「私、その『レアアイテム図鑑』の転移魔法も気になってるんですよね……!」
「それはまた今度。さ、行こう」
「はい」
三人は開いたページに手を置いて目を閉じた。
目を開けて最初に目に入ってきたのは街のざわめきだった。どうやら高級住宅街らしく、あちこちに豪奢な一軒家が立ち並んでいる。三人がいるのは、ひときわ豪華な大豪邸の前だった。
「ここですか……」
「まあ、そんな『おいしい』もの、オカネモチが持ってるに決まってるよね」
メルランスが肩をすくめる。
「一体いくらふっかけられることやら……」
「不吉なこと言わないでくださいよ」
「まあまあ、とりあえず話だけでもしてこようよ。もしかしたら前回みたいに条件付きで譲ってくれるかもしれないじゃん」
メルランスにせかされて屋敷のドアノッカーを叩く南野。すぐにメイドが出てきて、要件を聞いてきた。
「お忙しいところ恐縮ですが、こちらに『オーロラスパイス』というものがあると聞きまして……」
「はあ……」
「その『オーロラスパイス』について、ご主人にお話を伺いたいのですが」
「少々お待ちください。あるじに取り次いでまいります」
メイドは奥に引っ込んでいった。しばらく待っていると、中に案内される。どうやら話は通ったらしい。外観と同じくお金がかかっていそうな内装の中を歩きながら、どうしたものかと出てこない策を練る。
通されたのは応接間だった。年代物らしいふかふかのカーペットには革張りの高そうなソファが置かれている。あるじはそのソファに座りながらパイプを吹かしていた。やせ細った老人だ。『オーロラスパイス』で食事を楽しんでいるならもっとでっぷり太っていてもよさそうなものなのに。
「初めまして、私、石垣商事の南野アキラと申します」
頭を下げながら懐から取り出した名刺を渡す南野。あるじは物珍しげに名刺を見つめると、それをテーブルの上に置いた。
「この度は貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。今日はご主人が所有されている『オーロラスパイス』のことについてお話を……」
「あれか……」
定型句を遮られて南野は目を丸くした。見れば、あるじは青白い顔をして肩を落としている。
「なにか?」
「あれは……私には毒だ。このからだの有り様を見ればわかるだろう」
両手を開いてあるじはガウンに包まれたやせ細ったからだを示して見せた。
「……お話を伺いましょう」
「長い話になる、座ってくれたまえ」
ソファを勧められて三人はふかふかの応接セットに腰を下ろした。が、不思議なことにお茶の一杯も出てこない。
あるじはパイプを吸い終えて、ぜい、と重いため息をついた。
「なにから話したものか……私はもともと貿易商でね、一代で財を築いた。南の小島に不思議な逸品があると聞いて取り寄せたものが『オーロラスパイス』だ」
かちかち、柱時計が時を刻む音だけがしばらく鳴り響く。
「試してみたら本物だった。どれだけまずい食べ物だろうと、極上の美味に変わった。私は食べることが好きだった、最初のうちは歓喜して様々な料理に振りかけてその美味を味わったものだよ。満ち足りていた」
「それが、なぜ?」
南野が促すと、あるじはまたため息をつく。
「毎日毎日毎日毎日、うまいものを食べる。しかしね、どんなにうまいものでも、続けば飽きが来る。うまいものを食べ飽きたのだよ。シェフは『オーロラスパイス』に頼り切りで、うまいものしか出てこない。私は初めて知ったよ。行き過ぎた満足は不満足のきっかけに過ぎないと」
「なるほど、おいしいものを食べ飽きて、食べることが億劫になった、と」
「その通り」
あるじがうなずく。そして、ずいっと身を乗り出した。
「私はね、『まずいもの』が食べたいのだよ。それも、極上の不美味をね」
「それはまた……変わった趣向ですね」
「それができるのならば、あのようなものは君たちに譲ろう」
極上の不美味……南野は考えた。おいしいものなら工夫すればいくらでも見つかるだろう。しかし、絶世のまずいものといえば、どう用意していいかわからない。
しばらくうつむいて考えて、ふと思いついた。
「では、こうすればどうでしょう?」
南野も身を乗り出して提案する。
「この街で『不美味選手権』を行うんです。審査員と賞金を用意して、どれだけまずいものを作れるかを競う大会です。おいしいものを競うならそれなりの準備が必要ですが、まずいものならすぐにでも開催できますよ。そのなかで一番まずいものをあなたが食べる。これぞ至上の不美味です」
「おお、それは……!」
グッドアイデアだったらしく、あるじの青白い顔が少し明るくなった。
「すぐにでも手配しよう。今日の昼頃には開催できるよう告知して……執事! 早速手配しろ!」
そばに控えていた執事に告げると、執事は大慌てで部屋を出ていった。
「ああ、やっと、やっとまずいものが食べられる……! 南野さん、期待しているよ」
「それはもう」
にっこり笑って南野は鷹揚にうなずいた。