№06・スライムゼリー・2
時折罠を感知した彼女に歩き方を指示されたりしながら、特に強力なモンスターにも出会わず第二階層へと続く階段を降りることになった。
相変わらず石造りの厳めしい廊下を歩きながら、ふたりは黙って辺りを警戒する。
「この辺りからだね、スライムが出そうなのは。水場に近づけば出てくるでしょ」
「水場?」
「スライムは95%が水分でできてるからね、水を好むってわけ」
「ああ、そういう……」
きゅうりみたいなものだな、とのんきなことを考えながら、南野はメルランスに続いて角を曲がった。
その先で、ぷぎぃ!と何かの鳴き声がする。ぼろきれをまとって刃こぼれした斧を持った、豚に似た二足歩行の生き物。前にも見たオークだった。今回は三体いる。
「三体か……仲間を呼ばれると厄介だから、ここでケリをつけるよ」
斧を構えて臨戦態勢のオークたちを前に、メルランスは素早く印を切って口早に呪文を唱えた。
「『第百二十五章の音色よ! 創生神ファルマントの加護の元、空を切る透明な刃の旋律を解き放て!』」
短剣を振り下ろすと、ぶぅん、と音がして、風がないはずのダンジョン内に強い風が吹いた。厚みのある風は見えないカマイタチとなってオークたちに襲いかかり、その緑色の皮膚を浅く切り裂く。
ぷぎぃ!と悲鳴を上げてひるむオークたちの中に飛び込んで、メルランスは短剣を振るう。一匹の頸動脈を切り裂くと、紫色の血しぶきが上がった。
残った一匹が振るった斧は鈍重な一撃だった。短剣でそれをいなすと、回し蹴りでそのずんぐりむっくりしたからだを吹き飛ばす。吹っ飛ばされたオークは壁に叩きつけられた。
最後の一匹が飛びかかってくる。このオークという生き物、素早さはあまりないらしく、子供の喧嘩のような勢いだ。メルランスはそれを簡単にかわすと、すり抜けざまに心臓に短剣を突き立てる。ブーツの底でからだを蹴り飛ばすと短剣が抜け、オークは血を吹きながら転がった。
壁にたたきつけた一匹はまだ床でもがいている。その背中に容赦なく刃を突き立てると、最後の一匹も動かなくなった。
「……ふう。こんなもんかな」
ところどころ紫色の血にまみれながら、メルランスは額の汗をぬぐった。
「……よく躊躇なくやれますね」
対して、南野はなんとか吐き気をこらえていた。モンスターとはいえ、目の前で生き物が血を吹き出しながらあっけなく殺されたのだ。たとえ動物相手とはいえ殺す殺されるなどとは無縁だった世界に生きていたせいで、こればかりは慣れない。
「当たり前じゃん。やらなきゃやられる。もう慣れっこだしね」
「それはわかってるんですけど……」
「甘っちょろいこと言わないで」
煮え切らない南野に、ぴしゃりとメルランスが言い放つ。
「向こうがこっちを殺そうとしてかかってきてるってことは、そいつはこっちに殺される覚悟もしてるってこと。それはモンスターも野盗も同じ。あたしだって最悪殺される覚悟くらいしてる……だから、やれる」
これが冒険者というものか。たしかな覚悟に裏打ちされた自信。非情なまでの合理性。これを強さと言うのなら、なるほど、メルランスは強いのだろう。
そして、南野は弱い。
己の無力さを痛感しながら、南野は唾を飲み込んで吐き気をこらえた。
「……そういえば」
話題を変える。
「ここに来るまで、モンスターの死骸や冒険者の死体なんかがなかったですね。こんな風に危険な場所だから、そういうのがあちこちに転がってるような気がするんですけど」
「ああ、それね。ダンジョン攻略に気をつけなきゃならないことのひとつ」
メルランスが短剣を鞘に戻しながら人差し指を一本立てた。
「『掃除屋』だよ。って言っても、ちまちま死体回収する業者とかじゃないからね。『掃除屋』はダンジョンの通路に定期的に出現する、すべてを飲み込む暗黒空間。それに飲み込まれたものは塵も残さず消滅する。意志もなにもない、ただの現象」
「それって、生身の人間も飲み込まれたらまずいんじゃ……?」
「だね。だけど、定期的に現れるから出現ポイントの予測はできる。それを避けていけばいいだけの話だから、飲み込まれるマヌケはそういないよ」
その辺りも冒険者にとっては常識なのだろう。それこそ、南野ひとりでダンジョンに挑んでいたら飲み込まれて終わりだったに違いない。改めてメルランスの存在に感謝する。
「さ、行くよ。水場まであと少し」
「はい」
返事をして、南野はまた歩みを再開した。
時折巧妙な罠を避けながら、ふたりはやがて水場に到着する。獅子のレリーフからきれいな水が湧き出ている水場だった。辺りにはモンスターの気配はない。
「この辺りだね。近くにスライムがいれば熱源に反応して近寄ってくるはず」
そう言ったメルランスは、一休み、とばかりに水場の一角に腰を下ろす。
南野も少し休憩したかった。