№04・サバラの泉・1
「…………」
「……なにさ?」
「…………」
「……あー、もう!!」
持っていたナイフとフォークを放り出して、とうとうメルランスが声を上げた。その手元には湯気の立つ鉄板の皿が置いてあり、その上にはいまだに油を跳ね上げるベーコンステーキが乗っている。
血走った目でそのベーコンステーキを見つめながら、南野はじゅるりとよだれをすすった。
「なんなのさっきから!? そんなに見られてちゃ食べにくい! 言いたいことあるならさっさと言いなよ!」
びし!とナイフの先端を南野に突き付けて、メルランスは苛立たしげに言った。
南野が返答するより先に、ハラの虫がぐう、と鳴る。
呆れたようにため息をついて、メルランスはカウンターに肘をついて南野に語り掛けた。
「……どれくらいお肉食べてないの?」
「……こっちの世界に来てからずっと、パンと野菜のスープだけです……」
「あんたね……そんなに甲斐性ないとこの世界じゃ死ぬよ?」
「おにく……オニク……タンパク質……」
とうとう片言になった南野は、穴が開くほどベーコンステーキを見つめている。たしかに死にそうだ。
そんなみじめな南野を見やって、メルランスはふっと微笑んだ。
「まったく、しょうがないなあ」
「ああ、メルランス様……!」
狂信者ばりの輝く眼差しでメルランスを見つめて、南野は目に涙を浮かべる。とうとう肉が、お肉様が口の中に……!
しかし、肉に切れ込みを入れたメルランスのフォークが向かった先は、彼女自身の口の中だった。
「んー、おいしーい! やっぱりブランチは肉に限るわ!」
頬に手を当てて肉汁を満喫するメルランスを目にして、南野の目から光が消えうせる。
「あああああああああああああああ!!」
そのまま頭を抱えてスツールから転がり落ち、床をのたうち回った。そしてがくがくと痙攣して動かなくなる。
「おーい、生きてる?」
肉を噛みしめながらつま先で南野のからだをつつくメルランスに、がばっと立ち上がった南野は縋り付くような格好で半狂乱になった。
「ひどくないですか!? ひどくないですか!?!?」
「ひどくないもーん。あたしはお金持ってる、あんたは一文無し。経済力の圧倒的勝利ってやつだね」
「マルクスは死んだ!!」
「まるくす……?」
頭を抱えて叫ぶ南野に、メルランスは不審そうな目を向けた。
今にも泣きだしそうな南野だったが、この守銭奴性悪女には泣き落としは効かないだろうとあきらめて涙をぬぐう。
「それで、今日の獲物は?」
肉をひとりで平らげたメルランスは、満足げに腹をさすりながら問いかけた。いまだに恨めしげな視線を送りながらも、南野は『レアアイテム図鑑』をカウンターの上に開く。
開いたページの上にぼやりと浮かんできたのは、水汲み場のような風景だった。
「……『サバラの泉』。『その泉は枯れることなくわき続け、その水を浴び、飲んだものはどんな病も傷も治癒するという』……」
「ああ、ここ。有名だよ。たしか西のダンジョンの中にあるっていう」
「ルルドの泉みたいなものか……」
「るるど?」
「俺のいた世界にもあったんですよ。どんな病気も怪我も治す奇跡の泉が」
「へえ、どこの世界にもあるもんだねえ」
感心した声を上げるメルランスに、南野はうなずき返した。
「とにかく、今回はバケモノとかそういうのが相手じゃなくて助かりました」
「……そうは言ってられないかもよ?」
「え、それってどういう?」
「ま、行ってみればわかるでしょ。ほら、行くよ」
メルランスに促され、南野は図鑑のページに手を置いて目を閉じた。
……次に目を開けたときには、荒野に立っていた。
正確には目の前には古びた遺跡のような入り口が開いており、下へと続く階段が見える。湿気や瘴気が立ち上ってくるようで、思わず口元を抑えた。
「あちゃー、やっぱり……」
「やっぱり、って?」
途方に暮れたように額に手をやるメルランスに尋ねると、彼女はうんざりしたような口調で説明してくれた。
「ダンジョンに張られてる結界だよ。『緑の魔女』の転移魔法も、結界に阻まれてダンジョンの入り口までしか運んでくれない。つまり、ここから先は『サバラの泉』まで自分たちの足で行かなきゃいけないってこと」
「ああー、なるほど…………ってことは、ダンジョンの中のモンスターとか罠とかは自分たちでなんとかしろってことですか!?」
「そゆことー」
絶望的な声を上げる南野に、メルランスは気楽げに返した。
「どうするんですか! ダンジョンって言ったらあれでしょ!? ゾンビとか動く鎧とかが襲い掛かってきて、凶悪な罠がそこら中に仕掛けられてて、最下層までたどり着いたはいいけど薬草もポーションも切れちゃってああもうこのダンジョンの奥深くで俺たちは朽ち果ててゆくのみ!みたいな!」
「薬草とかぽーしょん?がなんだかわかんないけど、おおむねそんなとこだね」
「ああああ! 終わった!」
しかしメルランスは、希望を手放そうとする南野の肩を叩き、握りこぶしを作って見せた。
「なぁに言ってんの! こちとらそれなりに場数踏んでる冒険者だよ? ダンジョン攻略だって何回か経験あるし。落ち着いて挑めば平気平気!」
「……本当ですか?」
「舐めてもらっちゃ困る。それに、西のダンジョンは初心者向けだよ。出てくるモンスターもたかが知れてるし、罠だってわかりやすい。そんなに怖がることないよ」
なだめるように言うメルランスに、南野は途端に勇気づけられた。絶望に打ちひしがれていた背中をしゃんと伸ばして、表情を改める。
「……わかりました。ここはメルランスさんにすべて委ねます」
「それでよし。まあ見てなよ。ちょちょいのちょいと片付けてやるから……それに、『サバラの泉』を持ち帰ることができたら、売りさばいてそれなりのお金が手に入るしね」
「結局はそれですか……」
呆れたようにつぶやく南野をよそに、メルランスはずかずかとダンジョンの入口へと入っていった。南野も慌ててそのあとに続く。