№02・魔王の名刺・下
「お気に召していただけましたか?」
「うむ、気に入ったぞ……して、対価にはなにを欲する? この世界の半分か?」
そこまで気に入ったとは。内心驚きながら、南野は首を横に振った。
「いえいえ、これは今後のお付き合いのためのわたくしからのプレゼントということで。当社からの粗品としてご査収ください」
「なんと!? なんの対価もなしにこの世にも愛らしい帯び飾りを!?」
ごう、と魔王の背後からプレッシャーが風圧となって襲い掛かる。南野は目を細めるだけで、涼しげな笑顔を作って見せた。
「ええ、粗品ですので。その代わりと言っては難ですが、今後とも、この石垣商事、いえ、この南野アキラをどうぞよろしくお願いいたします」
「南野アキラ……ふむ、よかろう。そなたの名、覚えたぞ。なんぞ困りごとがあればまた文を寄越すがよい。これもなにかのえにし、贈り物の対価程度のことはしてやろう」
「ありがとうございます!」
魔王との盟約を結び、南野は米つきバッタのように頭を下げた。
『魔王の名刺』は手に入れた。それどころか、魔王のバックアップまで取り付けた。取引としては大成功と言っていいだろう。
スーツの襟を正して、南野は改めて魔王に向き直った。
「本日は貴重なお時間を割いていただいてありがとうございました。実りのあるお話ができてよかったです。これからも、この南野アキラを何卒よろしくお願いいたします……お忙しいでしょうから、わたくしどもはこれくらいで」
「うむ、実に有意義な時間であった。行くがよい、南野アキラよ。衛兵、案内を」
魔王が指を振ると、先ほどとは違う爬虫類の頭をした衛兵が南野たちを導いて謁見の間から出るよう促した。もう一度深く頭を下げると、
「それでは、失礼いたします」
放心しているメルランスの背中を押して、南野は魔王の前を辞した。
……長いことなんの情熱もなく営業職をしてきたが、今日だけは全力で挑んだ。その結果が大成功だ。仕事は単なるコレクション費用を稼ぐための手段、としか考えていなかった南野が、初めて大きな商談を取りまとめることができた。
「……案外、悪くない気分だな」
衛兵に導かれて廊下を行きながらつぶやいて、南野は口の端を釣り上げた。
やがて城壁までたどり着き、南野は丁重に見送りにお礼を言ってから城外へと出た。
人目がなくなってから、うーん、と背伸びをする。
「いやぁ、意外とすんなり手に入りましたね、『魔王の名刺』」
「…………」
「魔王ともパイプができましたし、大収穫ですね」
「…………」
「……メルランスさん?」
口をぽかんと開けたまま穴が開きそうなほど南野を見つめるメルランスに声をかける。目の前でひらひらと手を振って、それでも反応がなかったので怪訝そうな顔をした。
「……あんた」
「はい?」
やっと口を開いたと思ったら、がしっ!と両手を握られた。呆気に取られていると、メルランスは途端に熱のこもった口調で、
「すごい、すごいよ! あの魔王相手に対等な取引ができるなんて! 大した度胸だよまったく! 誰もが恐れる魔王だよ!? あたしなんて今にも腰が抜けそうなのに!」
「あ、いや……魔王がどれほどすごいのかよくわかりませんが、取引相手のひとりであることに変わりはありませんし……ごく普通に、営業活動をしただけです」
「普通に商談ができることがすごいの! 異世界ではそれが普通なの!? っていうか、魔王が納得するほどのあの帯飾りなんなの!? あーもう、あんたすごいよ本当! 一体なにものなの!?」
「普通のダメ営業ですけど……まあ、言葉が通じる相手ですし、誠意を持って商談に当たれば話くらいは聞いてくれるかな、と」
南野にとってはなにがすごいのかさっぱりだったが、メルランスにとっては驚くべき偉業を成し遂げたらしい。ただ普通に営業の仕事をしただけだが、やたら感銘を受けた表情で握った両手を上下に振ってくる。
「気に入った!」
「え?」
「あんたのことが気に入ったって言ってんの! たしかに、剣も振るえないし魔法も使えない、この世界のことなんにも知らないド素人だけど、冒険者にとって一番大切なのは度胸だからね。あんたとなら、がんがん稼げそう!」
「あ、ありがとうございます」
「言っとくけど、『緑の魔女』が指定したアイテム以外のおこぼれは全部あたしのもんだからね! ふふふー、お宝お宝! お宝があたしを待ってる!」
どうやらすっかりやる気になってくれたらしい。ありがたいことだが、なにやら過剰に期待されているような気もする。その期待を裏切らないようにしなければ。
ようやく手を離してくれたメルランスは、打って変わって明るい口調で南野をせかした。
「ほら、『レアアイテム図鑑』! それで元の場所に帰れるんでしょ?」
「あ、はい。帰りましょうか」
来た時と同じように『魔王の名刺』のページに手を置いて目を閉じると、奇妙な感覚の後ふたりは元の酒場に戻っていた。空間転移の魔法は珍しくないのか、見ていた店主も『おかえり』と軽く手を振ってくる。
「さてと。これであたしはあんたのパーティの一員だからね。冒険者ギルドでいろいろと登録してこないと」
そう言って、メルランスは上機嫌でギルドの受付へと向かっていった。
「……これからどうなるんだろう……」
メルランスという心強い味方を得られたことは僥倖だが、前途多難なことに変わりはない。今回は話が通じる相手で助かっただけだ。これから先、この剣と魔法とモンスターの世界でレアアイテムを蒐集しなければならない。
それでも、『集める』と決めたコレクションをあきらめることはできない。残り98個、集めきる。
改めてそうこころに決めた南野のもとに、登録を終えたらしいメルランスが戻ってきた。
「おまたせー。あんたのことも登録しといたよ。運が良ければ腕のいい冒険者が協力してくれるかもね」
「ありがとうございます。なんだか疲れましたね。ご飯でも食べて宿でも……」
「そうだね、じゃ、あたしはこれで」
「えっ? 俺のご飯と宿は……?」
「勘違いしないで」
戸惑う南野に、メルランスはびしっと指を突き付けて言った。
「いくらパーティの仲間だからって、あたしのお金はあたしのもの。完全別会計。あたしのお金は銅貨一枚だって他人のためには使わない」
「そんな……!」
「甘えないで。自分のことは自分で面倒見て」
「俺はどうやって生活すれば!?」
「さあね。また酒場の雑用でもやってれば? それじゃあ、あたしはこれで」
追いすがろうとする南野を置いて、メルランスはひらりと手を振ってその場を後にした。
「……とんだ銭ゲバだ……」
がっくりと肩を落とす南野の背中を誰かが叩いた。救いの手を期待して振り返ると、店主が『ご愁傷様』といった風な顔をして、片方の手にモップを持っている。
雑用はさせてくれるらしい。
「……お世話になります……」
モップを受け取って、南野は思わず深いため息をこぼしてしまった。