№02・魔王の名刺・中
声をかけて数秒後、城門の脇にある小さな通用口らしき扉が開いた。てっきり巨大な城門がごごごごごごごと音を立てて開くと思ったので拍子抜けした。
中から出てきたのは豚の頭をした甲冑を着込んだ兵士だった。手には巨大なハルバードを持っている。言葉は通じるだろうかと懸念していると、豚頭の衛兵はぺこりと頭を下げてきた。
「お話は聞いております。遠いところからわざわざご苦労様です。本日はよろしくお願いいたします」
「いえいえ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
へこへこと頭を下げる南野と衛兵を見て、メルランスはこの世の終わりでも見たかのように口をぱくぱくさせた。
促されるまま通用口から中へと招かれ、南野は城内に足を踏み入れる。
「ほら、なにぼうっとしてるんですかメルランスさん、行きますよ」
「……あ、ハイ……」
完全にたましいが抜けている状態で、言われるがまま南野に付き添うメルランス。そのまま連れ立って魔王の城へと入っていった。
城内はいかにも魔王城といった風情で、石造りの冷たい床には血のように赤いカーペットが伸びている。ところどころに燭台の明かりがともっている以外は暗闇だ。石の壁にはなにか得体のしれない赤黒い汚れがついていたり、かけられた絵画の目が動いたりしている。
ときおりすれ違うのは巨大なトカゲのような生き物だったり、鱗のついた緑の肌に真っ赤なドレスを着込んだ婦人(?)だったり、ものものしい武装をした兵士だったりと様々だ。
話は通っているのか、廊下を行く南野たちを見とがめるものは誰もいない。たまに向けられる会釈には頭を下げて返す。いつもの取引と同じだ。
気楽な足取りの南野に対して、メルランスはおびえたように南野の安スーツのすそをつかんで離さない。
そうやってどれくらい進んだだろうか、豚頭の衛兵はやがて大きな扉の前で立ち止まった。
「魔王様の謁見の間です。どうぞ、ご無礼のないように」
「それはもう」
南野はにっこりと笑って頭を下げる。衛兵は別の兵士に何事か告げると、その兵士が扉を開く。
巨大な石の扉が重々しく開くと、そこは広大な広間になっていた。蝋燭の火が揺らめき、玉座につくものの影を踊らせる。
『それ』が魔王なのだろう。身の丈は三メートルほどだろうか、とにかく大きかった。見た目はタロットカードの死神に似ていて、骸骨のような体躯をしている。その威容に重厚な黒のローブを着込んでいて、手には細工の施された錫杖を持っていた。全身をおどろおどろしい宝石のようなもので飾っており、さすがはモンスターたちの王といった風格だ。
「殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される……」
真っ青な顔でぶつくさつぶやくメルランスを置いて、へこへこと頭を下げながら南野は玉座へと一歩近づいた。
「この度は貴重なお時間ありがとうございます。石垣商事の南野アキラと申します」
「ほう……そなたが文を寄越した男か……」
地の底から響くような声音を発する魔王が、玉座のひじ掛けに肘をつき、興味深そうに深紅の瞳を光らせた。
「はい、今回はぜひとも魔王様のお目にかけたい商品がございまして、馳せ参じた次第でございます」
「……そなた、この現世のものではないな?」
「いやぁ、ご慧眼です。わたくし、つい昨日別の世界から流されてきたばかりでして、右も左もわからない若輩者で……このメルランスに案内してもらっているところなのですよ」
ほら、挨拶、とメルランスの背を叩くと、強制的に一歩前に出された彼女は、今にも泣きだしそうな顔をして裏返った声を出した。
「め、メルランスと申します……」
「ほう、これはなかなか愛い娘ではないか」
「ありがとうございます。彼女はいわばわたくしの杖でございまして……」
「娘、我が妾になる気はないか? その暁にはそなたにも領地を与えるぞ」
「滅相もございません! 彼女はまだ年若いですし、とてもとても、魔王様に釣り合うようなものでは」
「そ、そうですよ! ああああ、あたしなんか、その辺の犬のうんこみたいなもんですから!!」
がくがく震えながらうんことまで言い出したメルランス。今にも漏らしそうだ。あまり長びかせるのはかわいそうだと思った南野は、早速本題に入ることにした。
「あ、失敬、わたくしとしたことが……」
と、急いで安物のスーツの懐から自分の名刺を取り出す。それを両手で差し出すと、頭を下げながら、
「わたくし、こういうものでございます」
名刺には、『石垣商事 営業部 南野アキラ』と書いてあった。
魔王はそれを両手でつまむように受け取ると、同じように深々と頭を下げる。
「これはこれは、ご丁寧に……アンソニー君、こちらも名刺用意して」
近くの衛兵に声をかけると、すぐに名刺を持ってきてくれた。魔王は南野と同じようにそれを両手で持つと、頭を下げながら差し出してくる。
「こちらはこういうものです……」
「ああ、どうも、ご丁寧にありがとうございます」
互いに頭を下げあいながら、魔王の名刺を受け取った。
名刺を差し出されると自分も名刺を返したくなる。サラリーマンの習性、『名刺交換の儀』である。
魔王の名刺をちらりと見やった。力強い筆文字で、『代表取締役魔王 サダナルカ・フォン・ディクタル』と書いてある。さすがに電話番号やメールアドレスはないが、住所は書いてあった。名刺ケースに丁寧にそれをしまうと、南野は考えた。
『魔王の名刺』は手に入れた。これ以上ここにとどまる必要はない。しかし、建前上はビジネスに来たのであって、なにもしないで帰ったとあれば怪しまれるに違いない。
「して、お目にかけたいものとは……?」
魔王にも促されて、南野は商談を続けることに決めた。
「はい、こちらでございます」
スーツの懐から取り出したのは、南野が必死こいて蒐集していたカップ麺の公式キャラクターのストラップだった。黄色いヒヨコがウインクしている。通常はウインクしていないものが出回っているのだが、レアものとしてウインクバージョンが存在しているのだった。南野はそれを保存用、実用と手に入れていたので、ひとつ手放すのはたいして惜しくはない。
恭しく差し出したストラップを、魔王の長大な腕がつまみ上げる。横から下からしげしげと眺め、魔王はいぶかしげな声を上げた。
「これは……?」
「わたくしの元いた世界で珍重されておりました帯飾りでございます。その鳥は見たものに幸運をもたらす吉兆とされておりまして、大変縁起のよいものです。その鳥を、我が世界の最先端技術を凝らした素材で帯び飾りにいたしました」
実際はただのカップ麺のマスコットキャラクターのウレタン製ストラップなのだが、ものは言いようである。嘘は言っていないので詐欺罪には当てはまらないだろう。
魔王は物珍しげにストラップのヒヨコを巨大な掌に載せ、骨の指先でちまちまとつついてはじっと見つめる。
「これは……」
さて、どう出るか。固唾をのんで見守っていると、魔王は重々しいため息をついてつぶやいた。
「……実に、実に愛いな」
「そうなんです! かわいいんです! ふにふにですし、触り心地もいいでしょう」
「ふむ、癖になるな……」
小さなマスコットを大きな指で懸命にふにふにして、すっかり夢中のご様子だった。