三十五話 《リンクの冒険書は傷だらけのデジャヴ》②
オレは今、転生の女神ルシルの祠の中にいる。
そのことが、何故かは分からないが、懐かしく感じられてならないのだ。
ここに来て、女神の声というものを生まれて初めて聴いた。
さらに女神さまとは思えぬほど、気さくに言葉を交わしていた。
そうせずには居られないほど、惨めな自分の生い立ちがあったからだ。
例えるなら、
飲み屋のカウンター席で一人酒。
「お隣、いいかしら?」
声と言い、容姿と言い、絶世の美女が不意に隣の席に着く。
背後のテーブル席は、いくらでも空いていると言うのに。
詐欺でもいい、美人局でもいい、一夜限りの甘い夢を見て天国に行けるなら。
別に出会いに飢えていた訳じゃない。
生きて来た人生の環境が、そのチャンスを恵んでくれなかっただけだ。
そんな冴えない男の前に、やっと現れた謎めいたの美声の持ち主。
それが、女神さまだ。
ただ、容姿をうかがうことは叶わないが。
オレは女神の祠の試練のため、ここへやって来る側の者で、女神もそのことを理解した上で言葉を交わしていく。
オレも、その他の者も、ここへやって来る目的が皆同じと言う訳だ。
その本当の目的とは、女神の告げた言葉通り、目の前に用意されていた二つの宝箱を一つ選んで、早々に立ち去るというだけの簡単なミッションなのだ。
行動だけを言えば単純作業なのだが、そこには並々ならぬ、心の葛藤が生じてくるのだ。
それは、選びに来た者が、二つの宝箱の中身を知っている為だ。
ならば何故、心の葛藤に至るのか。
それは、求める中身がどちらに入っているかを知らない為だ。
再び例えるなら、
一つは天国、もう一つは地獄。
自分が救われるには、正解の天国の箱を選ばなくてはならない。
そして、宝箱の中身を女神が知らないことも承知している。
だから、それを女神に問う事は愚問であり、時間の無駄なのだ。
答えを知らぬ者からの回答など無いのだ。
しかしながら、祠を訪ねた者が、二者択一で箱を選んで去って行くだけなら、何故、女神と言葉を交わす必要があるのか。
厳密には、来訪者は無言でも問題ないのだ。
己が為すべき事柄を踏まえた上でやって来ているのだから。
ただ、オレの場合は、物の弾みで会話に発展しただけなのだ。
顔も姿も見えないものだから、清らかな声の主に甘えて見たくなったのだ。
最も、来訪者が無言で居たとしても、女神の声は必ず聴こえる。
もしも聴こえなければ、そこが真実の女神の祠なのかが分からないから、女神は来訪者に宝箱の選択を促す役目を果たすのだ。
これらの知識は、錬金術師という者たちから紹介されたものだ。
つまり、オレは錬金術師と名乗る者たちに動かされて、ここへ来た訳だ。
「あいつらは元より、胡散臭い連中だった。だが、あの時のオレには、この選択肢しか無かったんだ。指示通りにここまでやって来たが」
女神の祠が、来訪者にとって、その先の人生を天国か地獄かに分かつ道となる事が、この時点で明確になっている。
そういう宝箱が、ここに存在している事も承知の上でやって来た。
「覚悟して来たつもりだったが、女神さまと交わした甘い会話が、断ち切れていなかった未練に再び、火を灯してしまった」
女神の祠の存在は、常人が易々と探知できるものではない。
勿論、あいつらだって場所を知っていても、容易くたどり着けないのだ。
たどり着けるのだとすれば、オレが踏まされた手順に矛盾点が出る。
「いや、単にオレが馬鹿だっただけかも知れないが……」
この世には、神の類、神と交流のある洗練された術師がいて、術師の場合は二種に分かれる。
錬金術師と高等魔術師になる。
その、いずれかの存在だけが女神の祠の在処を知る者達と言われている。
女神とは、様々な邪神と人類が対峙する折に、人類の味方として加勢する守護神だ。
人類が大いなる災いに苛まれる時、現れて、智慧を授け、勇気を奮い起こす助けとなって来た。
それが異世界シュートリアの歴史なのだ。
それ故、個人的な人生の壁の前に、女神が現れた歴史はない。
オレは先程、女神と話をした。
ここを訪ねて来る者が、結構な数になるのだと言う事も、会話の中で知ったばかりだ。人類の危機というものがそんなに度々起こり得るものなのか。
否! 否!
オレに関して言えば、全く個人的な流れでやって来たのだ。
『ここを訪ねて来る皆さん、同じことをなさいますから』
オレがお堂の中を覗き込んでいた時、女神様が言った台詞だ。
女神様の言う皆さんも、あの宝箱が目的ならば、全員、個人的な事情である。
その結果、どれだけの人が地獄に落とされたのかを考えただけで、ゾッとする。
たとえ天国を引けたとしても、その人生に元の自分は存在しないのだ。
「オレがオレで無くなるなんて、やっぱり嫌だ」
再燃した心の叫びが、一つしか無かった選択肢を、今、二つにした。
そして人類の大いなる危機でもないのに、女神様と声だけとは言え、接触していると言うとんでもない事実を今ここに確認している。
確実に言える事は、
「今、この世界におかしな事が流行している」
オレは、女神様に願い出た。
「この宝箱の選択をする試練を受けなくて済む方法が知りたい」と。
女神様は、オレとの会話の中で、多少なら便宜を図れるみたいなことを告げて、オレの心情をお探りになった。
「お探りになっとくだけなっといて、オレの純情を踏みにじるような事を……」
されるのではないかと、乙女心を揺さぶるように迫った結果、その望みが叶えられたのだった。
オレは、地獄行きを免れたのだ。
箱を選んいても正解を引いて、事なきを得ることもあったが、半々の確率だ。
運のある人生を歩んできた試しがないオレの事は、オレが一番知っている。
ただ、それで天国人生を引いた訳ではないのだ。
『この試練の失敗を見届けた、と闇の錬金術師には伝えておきます。その代わりにお兄さまには、私の従者になって頂き、別の任務に就いて頂きます。他に選択肢はありません、宜しくて?』
「はい、ありがたき幸せにございます! 女神さま」
◇
『リンク……』
『リンク…………』
『起きて……リンク』
『リンクっ! 起きて!』
「め、女神さまっ! お呼びですか!?」
うん? 女神さま。
今、オレのこと、リンクって言いましたか?
それは一体、誰のことっすか?




