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ペトリコールの語り草

作者: 春乃和音

「なにをしてるの?」

駅のロータリー広場。

わざわざ屋根のない場所で、若い女性が佇んでいた。

彼女は僕に目もくれず、かといって何を見つめているでもなく、傍から見れば呆然としている様子だった。




 女性のことに気がついたのは、今から一時間前のこと。

駅向かいのカフェでコーヒーを飲みながら、なんの気なしに外を見たら彼女がいた。

最初は待ち合わせをしているのかと思っていたが、それにしたって駅中で待てばいい話だ。

それなのに、ずっと同じ姿勢で突っ立っている。

傘からわずかに除く横顔が、いまにも消えてしまいそうなほど儚く見えてしまい、とうとう声をかけてしまった。




「雨を見てるんです」

彼女はそう答えた。

抽象的なのか、比喩なのか。

聞いただけではわからない。

その言葉の意味するところを聞いてみたかったが、ここはぐっと堪えて質問を変える。

曖昧な返答に対して深く掘り進めようとしても、結局曖昧な返答が続くだけというケースが仕事柄多いからである。

「どうして雨を見てるの?」

「母が悲しいときはそうするように言っていたので」

すると、明瞭な答えが返ってきた。

アプローチは間違っていないようだ。

「じゃあ、君はいま悲しんでいるということ?」

「ええ……その母が亡くなったんです。 それで別居中だった父と住むことになってしまって」

別居中の父親と住むことになった。

ここまで言うということは、母親が亡くなったことよりも、そっちの方に不安を感じているように思える。

だが、これ以上深堀しても仕方がない。

恐らく聞いてもどうにかできることではないから。

いまの彼女との関係性では、の話だが。

「住むってこっちの方に?」

彼女は頷いた。

「君は……たぶん学生だよね。 転入試験とかはもう……?」

「はい。 ここから一番近い高校に」

一番近い高校って、県内で最も偏差値の高い学校なんだが。

そんな頭の良いこの子が雨を見ている理由、いや母親に雨を見させられている理由はなんなのだろうか。

それがわからなければ、この子を屋根の下に移動させられない。

「お母様が雨を見るようにおっしゃった理由は知ってる?」

「いえ、それがわからないんです。 ずっとこうしてるんですけど」

そのずっとが一時間とどれくらいなのかわからない。

「どんなときにその言葉を言われた?」

「いまと同じような感じです。 雨の日に出かけるときは、いつも決まってこの話をしていました。 だから、雨に打たれている状況なら思いつくかなって」

「そのときって、お母様の様子はどんな感じだった?」

彼女は少し思い出すような素振りを見せた。

「えっと……。 いつもより優しい声色でしたね。 元々穏やかな人でしたけど」

だったら、娘を思っての言葉だったに違いない。

悲しいという状態を良くするための言葉だったはずだ。

そして、恐らく娘であるこの子はそれに気づいている。

もう少し違うアプローチはないものか。

そういえば。

この子が、不安だが父親に引き取られるということを思い出した。

「もしかして、母方の祖父母も既に?」

「はい。 そうです」

なるほど。

ということであれば、ある程度予想はつく。

「祖父母の話って聞いたことある?」

「ええ、もちろん」

「それってどんなときに?」

「……あっ。 そうです。 いつも雨の日でした。 出かけて、家に帰ってきて。 そのタイミングでした。 そっか、そういうことだったんだ」

結論から言えば、辛い時は母のことを思い出して、っていうことだと思う。

母は親と雨についての思い出があり、雨を見るたびに親を思い出していたんだろう。

もしくは、この子と同じように親に雨を見るように言われていたのかもしれない。

そして、この子の母は思いついた。

娘にも同じように自分のことを思い出してもらおうと。

どんなときも母親という味方がついていると。

「もしかしたら、母はあまり自分のことを思い出してほしくないのかもしれませんね」

僕の推理を話すと、彼女は逆のことを言い出した。

「そう思う?」

「はい。 だって、私は母のことが大好きでしたから。 きっと雨の日にだけ思い出してっていうことだと思います。 どちらにしても、母の愛を感じますけどね」

彼女は初めて笑みを見せた。

「お兄さん。 ありがとうございます。 一緒に考えてくれて」

「いや、いいんだよ。 僕もちょっといい話が聞けたみたいで得した気分だ」

結局、僕たちは推測をしたに過ぎない。

本当のことは全くわからない。

それでも、この子が納得のいく答えを出せて、風邪をひかないでくれればそれでいい。

だって、僕はきっと――。




 翌週の朝。

職員室の隣、応接室。

そのドアが開かれて、引率の先生と転入生が現れた。

「こちらがあなたのクラスの担任です」

「おはようございます。 本日からよろし……え!?」

入ってきた女の子は物凄く困惑している。

「はじめまして、ですね。 よろしくお願いします」

雨の日に出会った女の子が転入した学校とは、僕が勤めている高校のことだった。

あの駅から一番近いのはうちである。

そして、僕のクラスに転入生が来るというのは知っていた。

あの日、最初は学生を守るために声をかけたつもりだったが、途中からは自分の教え子を助けようと頭を働かせていた。

「もし不安なことがあったら、私に相談してください。 これからは力になれます」

この子にはまだ抱えているものがある。

父親との新しい生活だ。

担任であれば、家庭のことにも多少は口を出せるかもしれない。

きっと、今の会話だけでこの子には伝わっただろう。

「はい。 そのときはよろしくお願いします」

僕たちはあの雨の日のことを胸に抱えながら学校生活を過ごしていく。

先生と生徒じゃなかった、あの時間のことを。

僕は雨の日になる度思い返している。

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