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「そう。既成概念を取り除くんだ。そのために目を閉じることが必要だ。耳を澄ませてみて。声が聞こえるだろう?」


 イノイの声はしんと静まり返った夜の教室に響く。


 彼の言うとおりに耳を澄ませれば、確かにざわざわとした話し声が聞こえてきた。


「本当は、俺たちの周りは、いつも騒々しいくらいの声で溢れかえっている」


『ケケケケ…』

『ウヒヒヒヒ』


 イノイがそう言った途端、大量の笑い声がリンネの鼓膜を震わせた。


「きゃあああああ!」


 目を開けると、そこにはありえない光景が広がっていた。白いのっぺらぼうの人影。笑いながら宙を飛び去っていく生首。羽の生えた猫。


「ひっ」


 足元を大きな蛇が横切って、リンネは思わずイノイに抱きついた。その様子を見て、化物どもが一斉にゲラゲラと笑い出す。


「こ、こ、これは一体!?」


「おい。お前ら引っ込めよ。脅かしすぎだろ」


 イノイが一喝すると、賑やかな笑い声をあげていた化物たちがすっと消えた。


「あいつらが悪魔だ。まあ、悪魔って言っても最もランクが低い。自然霊に近い存在だな。普通の人間にはまず見えない」


「イ…イノイは、普通の人間じゃないの?」


 イノイに抱きついていたリンネは、慌てて彼から逃げるように身体を離す。


「まあ、普通じゃないな」

「え?わ、わたしも、

普通の人間じゃ、ないの?」

「まあ、そうだな」

 リンネは口をぱくぱくとさせる。言葉が出てこない。


「で、俺の今日の用事を手伝ってもらいたいんだが、いいか?」


 イノイはリンネの驚きぶりを堪能したあと、彼にとっての本題を切り出した。リンネはぶんぶんと頭を振って拒否する。


「絶対に嫌だ。怖すぎる」

「捕まえたいやつがいるんだよ。俺じゃあ顔が割れてるから、難航してるんだ。今度はあんたが俺に協力する番だ。約束だろ」

「い、嫌だあ。こ…こわいよう」


 感極まってリンネはぐすぐすと泣き出した。それを尻目にイノイはポケットから小瓶を取り出す。


「大丈夫だ。この瓶を持って、ここに立っているだけでいいんだから」


 イノイは親切そうな微笑を浮かべ、小瓶をリンネに握らせた。瓶の底には赤く透ける小石が入っている。その石の表面には魔法陣のような刻印がしてあった。


「じゃ、俺はバレないようにちょっと隠れてくる」

「や、やだやだやだやだ…いなくならないでよう!」


 リンネの叫びも虚しく、イノイはあっという間に職員室を出て見えなくなってしまった。取り残された彼女は途方に暮れて益々涙が湧いてくる。


 暗い職員室は物音一つしない。けれど、今のリンネには分かる。なにか、有象無象の気持ちの悪いものがいる。その気配はどんどん増えてきていて、じっと立ち尽くすリンネを取り囲んでいくのがわかる。リンネは恐怖のあまり硬直した。


 しばらくそうしていると、急に窓ががたがたと揺れだした。


(何かくる…)


 空気が張り詰めていく。大きな影が窓からこちらの様子を覗っている。鳥肌が立ち、小瓶を持つ手が震えた。


『ナイテる女の子がイルウウウ』


 低い声が教室中に響くと、唐突にリンネの前で影が凝縮した。リンネの身幅ほどの大きな目玉がぎょろりと動いてリンネを捉える。


「ひっ……」

 引き連れた声が喉から漏れた。


『おいしそうな涙ア。チョウウダイ』


 床から大きな舌がぞろりと現れた。それはリンネを舐めようとして―――、不意に、リンネの握っている小瓶に気がついた。


『オマエ、それっ…』


 言葉は最後まで続かなかった。化物は小さく震えると、あっけなく小瓶に吸い込まれた。


「はは、かかったな!」 


 いつの間にか背後にいたイノイが、素早く小瓶に蓋をする。


 『イノイ、キサマ!騙したナア!』


 小瓶の中には小さなドクロが入っている。これがさっきのあの大きな化物なのだろうか?激怒しているようだが、逃げ出すことはできないのだろう。


「囮を使って何が悪い。しばらくこの中で反省していろ。もう二度と逃げ出そうなどと考えなくなるまでな」


 イノイは満足気な様子で涙目のリンネに笑顔を向けた。


「助かった。こいつは女の体液が好物なんだ。なかなか手に入らなくて苦戦してたんだ」

「体液って、涙?」

「涙とか血とか」

「そ、そう。役に立てたならよかった…」


 リンネが泣いていたのは本当に怖かったからだし、その原因はイノイにあるのに、全く気にしている様子がない。そのさわやかな笑顔を見て、思わず黙り込んだ。


 性格が悪い上に、きっとサイコパスの気があるに違いない。


(すごいイケメンで、成績が良くて、運動もできて、悪巧みが得意で、性格が悪くて、サイコパス)


 改めて考えてみてもイノイはリンネの手に負えるような相手じゃない。必要がなければ絶対に関わらないであろう。


「――――ねえ、わたしに死相がみえるのって」


 リンネは恐る恐るイノイを見た。イノイはさっきもリンネに対して『どうせもうすぐ死ぬ』と言い放っていた。化物たちを相手にしているような人なのだから、死相が見えるというのは何か根拠があることなのだ。聞かずにはいられなかった。


「ああ。バンシーが傍にいるから」

「バンシー?」


 イノイはリンネの背後を指差した。


「お前も、もう視えるだろ」


 リンネはこわごわ振り向き、またしても悲鳴をあげた。


 リンネの背後にはずぶ濡れの汚い少女が立っていた。ぼさぼさの長い髪を揺らしながら泣きじゃくっている。


『死んじゃう。死んじゃう。女の子達が死んじゃう』


「不幸を予知して泣いてくれる妖精だよ。女の子達って言っているから、お前と、誰かが死ぬんだろう」


 事も無げにイノイは言い切った。


「死ぬって…そんな簡単に…」


 まだ十四年しか生きていないというのに。


「もしかして、死ぬのが怖いのか?」

「あ、当たり前だよ」


 イノイは首を傾げる。


「でもあんた、生きてて楽しいのか?今だって他人に言われるまま、興味のない男に張り付いたり、まったく興味のない個人の資料を盗んだりしているだろ」


 イノイは不思議そうにリンネを覗き込んだ。


(礼拝堂でイノイを観察していたことも、バレてたんだ…!)


 リンネは恥ずかしくなってうつむいた。


「そんな風にしか生きていくことができないなら、いっそ魂だけの存在になったほうが、しがらみもなくて気楽かもしれない」

「ひ、ひどい…」


 リンネのしていたことは確かにイノイにとっては不愉快だったろう。けれど、死んだほうがいいなんて、あまりにも辛辣な言われようだ。


 思わず涙が溢れる。


「意のままにいかないからといって、死にたいわけもないでしょう。うら若き乙女ですよ」


 突然、流暢な喋り声が響いた。イノイの首元からである。リンネが驚いて眼を見開くと、黒いリスがパーカーのフードから顔を覗かせた。


「リスが、喋った…!」

「はじめまして、お嬢さん」


 リスは優雅に一礼して、頬袋を横に伸ばした。リスなりに微笑もうとしているのが伝わる。こちらを脅かさないようにしようという精一杯の配慮が見て取れ、リンネはイノイに対してはまったく感じない親しみを覚えた。


「こいつはシーリー。俺の使い魔だ」

「主人は人間の魂を見慣れているので、生を尊ぶという感性が欠けております。これで悪気はないのです。ご容赦いただけませんか」

「感性…」


 感性というよりは人格の問題ではないだろうかと思ったものの、それを本人の前で言うほどリンネは不躾ではない。


「悪魔にフォローされるとはな。まあ、魂を見慣れている俺から言わせてもらえば、死ぬことは怖くない。大丈夫だ。物質に作用できなくなるから不便かもしれないけれど、飯は食わなくていいし、寝なくてもいいし、結構快適そうだぞ。悪魔に捕まったりしなければ」


 イノイは微笑んだ。彼なりに不安を取り除こうとしてくれているのだろう。秀麗な唇が弧を描くのを眺めながら、リンネは首を傾げた。イケメンの、かつてないほど優しげな微笑にも関わらず、なぜだろう、ちっともときめかない。言動がエキセントリックすぎてドキドキできないのだ…。


「そ、そうなんだ?」


 そう言葉を返すので精一杯だった。

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