冷血漢はおバカな魔女を助けてくれるのか
礼拝堂に朝日が昇る。救済を描いたステンドグラスが輝きを受けて、床を色とりどりに染め上げていく。男性に抱えられたわたしはゆっくりと石造りの床に置かれた。その冷たさを感じることはできない。彼は寒々しい冬の空のような色の瞳をしている。酷薄にさえ思えるその瞳を少しだけ翳らせて、わたしを覗き込む。その瞬間、理解する。ああ、わたしはきっと、死んでしまったんだ。それで彼は、ほんの少しだけ心を痛めているのだ。
礼拝堂では空色の瞳の彼が立ち尽くしている。
礼拝堂のなかは冷え切っていて、リンネはぶるりと身を震わせた。身体が冷え切っている。ずっとしゃがんでいるから腰も痛い。並んだ長椅子の影からこっそりと頭だけを出して、十字架に向かう男子生徒を眺めた。
イノイ・リュクス。
昨日転校生としてリンネのクラスにやってきた彼は、女子生徒たちの視線を独り占めにした。
黒い髪に、理知的な青い瞳。まるで物語に出てくる王子様のような顔立ちで、クラスの女性生徒たちは沸き立った。休み時間には隣のクラスの女子までもが様子を見に来る有様で、その騒々しさにシスターが注意にくるほどだった。
だが、リンネは彼がかっこいいから、こんなところで四十分以上も観察しているわけじゃない。
(みんな、退屈しているんだわ……)
こっそりとため息をつく。
聖ヨハネス学園はプロテスタント系の寄宿学校だ。生徒のほとんどが寮生活をしていて、服装や礼儀など、毎日の生活態度をヒステリックなシスター達が厳しく取り締まっている。実家を離れての集団生活は想像以上に窮屈で、リンネも含め、クラスメイトたちはとうに辟易していた。
そんな学生たちの抑圧されたストレスは、あっという間に生徒同士の上下関係を産み出した。いじめとは言わないまでも過酷なパワーゲームのなかで、リンネはあっさりとその最下層に位置づけられてしまった。
「お前は少し頭が弱いから、あまり目立つんじゃないよ」
寄宿舎に入る最後の夜。家を出る準備をしているわたしに、おばあちゃんが心底心配そうにかけてくれた言葉を思い出す。
(ごめんね、おばあちゃん。わたし、結局失敗しちゃってる気がするよ)
目立つようなことはしなかったが、地味すぎてクラスメイトたちの奴隷のようになってしまっているのが現状だ。
今日のリンネに課せられた命令は、女子生徒達からのイノイ・リュクスへ話しかけるきっかけを探して欲しいというものだった。だからこうして、ひっそりと隠れて彼を観察しているのだ。
イノイはいつまでも十字架を睨めっこしている。始めはよほど信心深いのかとも思ったが、親の敵でも見るような視線の鋭さには首をかしげるばかりだ。ともかくこれでは話しかけるきっかけは見つかりそうにない。
(はあ。いつまでこうしていればいいのかな)
何度めかのため息をついたとき、ふと彼の肩にある黒い影を見つけた。
(リス……?)
リンネは目を瞬く。
長い尾と大きさからして、リスに間違いない。でもこの当たりの樹木にリスがいるなんて聞いたことがなかったし、しかも珍しい黒いリスだ。十字架に見入っていたイノイは、リスを撫でながら肩に乗るリスに小声で何かを話しかけている。
(イノイ・リュクスはリス好き……?)
頭のなかのメモ帳にしっかりと書き込む。リス好き。うん、これなら話しかけるきっかけになる。きっと満足してもらえるはず。
その時だった。イノイがリスを撫でる手を止め、おもむろに振り返った。
(あ、しまった……)
目があった。見つかってしまった。リンネは慌てるが、逃げる間もなくイノイがこちらに向かってくる。
「きみ、同じクラスの子だよね。なにか用?」
王子様のようなきらきらしいスマイルだった。ついリンネの頬は赤くなる。それからそのように言い訳しようかと考え、青くなった。
「あ、えと、用事があるわけじゃ…。たまたま、ここにいただけで……」
どう考えても無理があるいい訳だ。
「そう?その割には結構前からそこにいたよな?」
どうやらばれていたらしい。イノイの瞳が剣呑な光を帯び始める。
(やばいやばいやばい。絶対不審者だと思われてるよ)
こういうとき、機転の利く人だったらうまく切り抜けるのだろう。だけど、リンネは苦し紛れに話題を変えるのが精一杯だった。
「そ、そ、そ、その肩に乗ってるリス、カワイイデスネ!真っ黒って珍しい!」
そう言った瞬間、ふと、イノイの目が細くなった。ぞわっとするような緊迫感があって、思わず後ずさりをする。
(えー、なになに、怖いよう)
触れちゃまずいことだったのだろうか?
「きみ、近いうちに死ぬよ」
「え?」
思わず聞き返す。
(この人、今、なんて言った?)
「死相が出てる」
「……」
リンネは絶句し、それからじりじりと後ずさりした。とんでもない発言をしたイノイはけろっとした様子でリンネのその反応を眺めている。
(イノイ・リュクス……こ、怖い!)
リンネは猛ダッシュでその場から逃げ出した。
■■■
赤い髪の少女が真っ青な顔で逃げ去っていく。
それを眺めながら、イノイは自分の肩に乗っているリスに話しかけた。
「驚いた。あいつシーリーが見えるのか」
シーリーと呼ばれたリスは両手に持ったどんぐりを頬張りながら小首を傾げる。
「赤髪には魔女の末裔が多いと聞きます。彼女もそうなのでは?」
「ふうん。血脈は市井にまぎれ、もはや古の技を継承することもなく、ああやってただの人間のように生きているということか。厄介だな」
「ここにいる間は行動に気をつけなければなりませんね」
「でもまあ……」
イノイは礼拝堂の扉を開けっ放しにして、脱兎のごとく逃げ出した少女の小さな背中を目で追う。シーリーも同じようにリンネに視線を向けた。
「あいつ、もうすぐ死ぬよな」
「ええ。わたしにもバンシーが付いているのが見えました」
「だったら問題ないか」
あっさりとイノイは言い放った。