六十一、弟皇子
そう、ご無事で済んだのね。亜耶は水鏡に向かって、そう喜んだ。大王が真耶佳に取って第一の人になっている事は、亜耶ももう知って居る。
「弟皇子はね、大王とは異腹なの。十も年が下なのよ」
だから、真耶佳の夫には自分の方が良いと思われたのかも知れないわ。納得の行って居無い澪に、亜耶はそう言い聞かせる。真耶佳と大王の年の差は、最初の内は真耶佳も気にしてのを亜耶も覚えて居るからだ。
「異腹でも、時記さまと亜耶さま方には信頼関係が有ります」
「でも、一の兄様とは無かったわ。人に依るのよ」
そう云われると、澪も黙らざるを得ない様だ。時記と八反目の確執は、目の当たりにしたのだから。
「所で、そちらの寒さは如何?」
「真耶佳さまと月葉が、杜より冷えると言っています。大王が、毛皮の襲と床敷きを下さいました」
「そう、冷えない様に兄様に異世火も呼んで貰ってね」
そう言うと、澪は笑った。如何したのかと思ったら、時記の異世火を大王が甚く気に入っていると言うのだ。
落馬から三日間、大王は后の宮で静養する事に決めて遣って来たのだそうだ。其処で、時記がお手製の湿布を貼ると共に、宮内に異世火を散らした。すると、大王は蛍とは此の様な物かと問うたと云う。
「杜の蛍はもっと白く光る、と時記さまがお答えになって…」
「異世火の色を変えたのね?」
「はい!」
そう、澪にも見せたいわ。亜耶がそう言うと、皆に同じ事を言われたらしい澪が切なげな顔になる。亜耶を独り残している、と思ったのか。
「杜に帰って来たら、子等と共に見ましょう」
「はい!…あ、私、湯殿の端女に、もう一月せぬで生まれるのでは、と言われたのです」
「そうね…最初の内に月を飛ばして育って居たものね」
亜耶は、水鏡越しに澪の腹を見る。もうぼこぼこと動く腹は、十月目と思えば何の異常も無さそうだ。
「早く生まれるけれど、難産も死産も無いわ。ただ、少し気を付けて」
「え?」
「真耶佳の孕みを知った他の妃が、澪と真耶佳を違えるかも知れない」
澪は少し不思議そうな顔をしたが、真耶佳の孕みが公になったばかりの事。はい、と気を引き締めて答えた。黒い針は相も変わらず降り注いで居るのだから。
宮で毛皮の床敷きを配られた。其れを聞いていた大蛇が、真耶佳の間から夏前に獲った熊の毛皮を出して来た。
「もう乾いたぞ」
熊の顔をしっかりと残した其れは、本当に使って平気なのかと亜耶を困らせる。
「薬草で処理してある。上に寝ても平気だ」
大蛇が少し憮然とし乍ら、熊の毛皮を寝座に敷く。座って見ろ、と言われて仕方無く亜耶は、顔の付いて居無い方に座った。
「…暖かいわね」
「そうだろ」
今夜からは、此れ敷いて寝るからな。ぶっきらぼうにそう言う大蛇は、亜耶の体の事をずっと考えて呉れて居たのだろう。亜耶の為の毛皮の襲も、この間貰ったばかりだ。
ぷいと横を向いている大蛇は、礼を言われたがらない。妹背として当然だ、と云うのだ。何処まで亜耶に甘いのだと思う時も多々有るが、頼れる夫で有る事に間違いは無い。
其処だけは、澪と時記にも負けない、と亜耶は思った。




