五十七、忌焼き
十日程が経って、小埜瀬が陸に着いたと小舟が来た。あと半刻もすれば、小埜瀬と甕棺を乗せた舟も杜に着くだろう、と。
忌焼きは、皆が夕餉を食らってから行う事になった。一晩外に出ない様、触れを出す為だ。
「綾、神殿からはどの位距離を取れば良い?」
「神殿が燃えなければ、どれ位でも良いよ」
そんなに強い異世火は呼ばないでしょう、と言う綾に、亜耶は首を振った。一気に燻し出さねば、八反目の魂を捕まえられない。捕まえて仕舞ってやっと、綾や大龍彦に任せられるのだ。
「厭だね、執念深い男」
綾は惘れた様に言って、神殿の周りに結界を張り始めた。火種が飛んだ時の為にも、そうして呉れるのは有り難い。
火葬の木組みが終わった頃、小埜瀬が舟で帰って来た。しっかり、甕棺も載っている。白浜に着いた途端、陸から連れて来た屈強な男達が二人掛かりで甕棺を木組みに置き、離れた。巫王が二人を呼び止め、浄めをしてから舟で返す。小埜瀬は白浜まで漂う邑の夕餉の匂いに、心引かれて居る様だ。
「小埜瀬、お前も立ち合って呉れ」
巫王に言われて渋々と云った風情で、小埜瀬は白浜に残る。
「八津代兄、未だ燃やさないのか?」
「ああ、皆が夕餉を終えてからだ」
陸で何も食って来なかったのか、小埜瀬の腹からは虫の音がする。申し訳無い、と亜耶が謝ると、族の一大事だから、と腹を決めて居る。元々、人は善いのだ。
今度、熊の乾し肉を持って行こう。そう亜耶が大蛇と話して居るのが聞こえると、小埜瀬は酷く嬉しそうな顔をした。
夜の帳も下りて、族人達が触れの通りに家に閉じ籠もった頃。亜耶はやっと、異世火を呼んだ。
最初に木組みに着火した其れは、大きく広がって甕棺全体を包む。炎は勢いを増し、甕棺の表面を見る見る焦がして行った。
すると充分に熱せられたのだろう、甕棺の表面に無数に罅が入る。途端に甕棺が爆ぜ、中から煤で黒くなった八反目が立ち上がった。
衣を、髪を燃やし、八反目は目の前に立つ亜耶に手を伸ばす。未だ手に入るとでも言う様に。死人の旅路にと無理矢理閉じられた瞼を開き、真っ赤に充血した目で亜耶を捉える。
亜耶は身動ぎをしない。八反目を悦ばせるだけだからだ。八反目の手が限界まで伸ばされ、上体が傾ぎ始めた時、亜耶の前に大蛇が立ち塞がった。
「オ マ エ ガ …」
八反目の灼けた喉から、掠れた声が絞り出された刹那。大蛇の太刀が、八反目の首を薙いだ。八反目は其れを合図に、黒い靄となって甕棺と共に消える。焼け残りの木組みの中に、何か黒い玉が、ぼとりと落ちた。
直ぐに綾が、黒い玉を取って、握り潰す。粉となった黒い玉は、綾の手の中で光の粒へと姿を変えた。綾が足を踏み入れた木組みも、灼けた白砂も、全て浄められて消えて行く。
「此れで、八反目はもう黄泉返れない。終わりだよ」
綾の静かな声が、砂浜に吸い込まれて流れ去る。何も見えて居無い筈の小埜瀬が、ほうっと息を吐いた。
「兄者、俺の太刀も浄めて呉れ」
「貸せ」
大蛇と大龍彦の遣り取りも、緊迫感を無くして居る。
八反目の父たる巫王には、思い出の縁さえ遺して遣れなかった。巫王は皆に背を向け、涙して居る様だった。我が子の不甲斐なさにか、死その物にか。其れを聞ける程、亜耶は親として長じて居無い。
ただ其の場に居合わせた者に何かしらの疵を残して、忌焼きの夜は終わった。




