四十八、簪
澪は水鏡の前で、暫く呆然として居た。妻求ぎなど、された事は無かった。八反目と事後承諾の形で妹背となり、今日まで来た。昨日までは、其れが幸せだと思って居た。
八反目は普段は優しかったし、子を呉れた。澪に与えられた役目は、其れで果たしたも同然だった。
「澪、亜耶は何て?」
「はい…八反目さまが連れ込んだ女は、采女だったらしいのです」
え、と真耶佳が領巾で口元を押さえた。宮に来て、采女の巫女の様な役割を知った。大王だけが、触れられる女で在るとも。
「其れで、闇見が叶わなかったのですね」
月葉が納得した様に言う。
「肩に大きな黒子の有る采女、と言えば、大王には伝わるそうです…」
「分かったわ。采女に手を出したとなれば、兄様も無事では済まないでしょう」
今、宮の前で澪を呼んでいる八反目は、明日になれば大王に事問いをされる。その隙に、澪の荷物を乳母の間に移して仕舞おう、と。月葉は冷静に言う。
洗い場からも宮に衣が届く様になったお陰で、澪は二日続けて同じ衣を着る事は避けられていた。しかし、胸下で結べる裳が足りないのも事実。裳だけは、昨日と同じ物だ。
「宮下では、矢張り八反目さまでは駄目だったとの声が優勢です」
同じ強さで、時記を待ち望む声も有ると言う。澪さま、時記さまからの妻求ぎを受けたのでしょう、と月葉が聞く。
「未だ夜離れもして居無いのに、可笑しいですよね…」
「私は、時記さまの真心が通じた事を、嬉しく思いますよ」
月葉は優しく澪の肩を抱き、髪を結う様促した。今日は、各務で無い側女が結うと告げて。
昼前にはいつも通り先触れが来て、大王が訪うを知らせた。真耶佳は普段と違って、大王が待ち遠しい様だ。
原因は一つ、八反目の引き起こした昨夜の事。真耶佳の許しも無く宮内に女を連れ込み、更に其の女が采女であった。其れは宮では由々しき事なのだ。
先触れの男も、或る程度は大王の耳に入っていると言った。宮の門を守る舎人が、おかしいと進言したそうだ。
「目立つ事をして…」
まったく兄様は、と真耶佳は溜息を吐く。澪を傷付けないと、誓って居たのに。真耶佳はその点にも、憤慨して居た。
「真耶佳さま…」
「澪は何も心配しなくて良いのよ。明日には、衣も取りに行ける様にするわ」
簪は、心配無いわよね。毎日付けて居るもの。真耶佳は優しく、澪の髪に触れた。
「真耶佳さまが初めて下さった物です。御館になど、置いてきません」
澪の蝶髷に刺さった、六本の簪。其れを真耶佳は、愛おしげに見詰める。あの時は、澪の存在がこんなに大きくなるとは思わなかった。其れが今では、実の兄より大事な妹姫だ。
「澪、私と亜耶の可愛い妹姫。今度こそ、幸せになってね」
真耶佳が慈しみに満ちた表情で、美し言を呉れる。澪は必ず、と言葉少なに応じた。




