四十七、采女
神殿では、綾が怒りに燃えていた。澪を可愛がる綾の事、今回の件は許せないらしい。
また、綾も大龍彦も正直八反目を嫌って居る。その為、必要以上に怒りが燃え上がっているのも有るのだろう。
「采女に手を出すなんて、澪が許しても大王が許す筈無いじゃない!」
「そう、采女だったの…」
何で誰も闇見出来なかったのか、不思議だったのよ。亜耶がそう言うと、時記も確かに、と言う。采女は、大王だけが愛する事を許された女だ。八反目が触れるなどと、あちらの国つ神も思わなかったのだろう。
「兄上は、いつも想像以上を行くよね」
普段滅多に怒らない時記も、今回の件は腹に据えかねて居る様だ。早く纏向に行きたい、とまで言って居る。
「兄様、あと八日の我慢よ。兄様が着く前には、夜離れさせて置くから」
「うん、私が夜離れさせても良いのだけれどね」
兄上には幼い頃から、思う所も有るし。仲が良いと思って居た時記が、八反目への反発を口にするのは珍しい。
「昔から大嫌いだった、って素直に認めちまえよ」
大蛇が、横から口を出す。そんな事は、亜耶は初耳だった。
「うん…好きでは無かったね」
何と時記も、其れを認めるのだ。同母の兄弟に何が有ったのかは知らないが、族内での評判は時記の方が良い。巫王の覚えも良い。態々嫌う理由は、傍目には見当たらないのだ。
「此奴が俺に懐いたのも、八反目を殺さない様に亜耶を護ってたからだしな」
「兄上から亜耶を護って呉れるのを見て、この人なら信じられると思ったんだ」
大蛇が母上に採ってくれた花も、兄上に横取りされて仕舞ったよね。時記は、遠い昔を思い出す様に話す。
「ああ、でもあれは、八津代が誤解を解いてたぜ」
「そうなんだ…兄上はよく、父上にも嘘を吐いたね」
「常に見透かされてたけどな」
時記と大蛇は、亜耶の知らない話を積み上げて行く。八反目が使えないのは知って居たが、時記から手柄の横取りを企んで失敗していたとは。時記が面白く思わないのも、当然かも知れない。
「八反目の愚か者は、時記の事下に見てたもんね」
何故か綾が同調し、大龍彦も頷いた。
「彼奴は何でも、自分の思い通りにしたがったな」
そう云う大龍彦は、神殿の物を盗まれた事が幾度か有ると言う。
「兄上には、綾も大龍彦も見えないからね。神殿に入り込むなんて、不敬なんだよ」
「いつも、亜耶の気を引く為の物を探してたな。大抵、亜耶が神殿に返しに来てたが」
族の掟を気にしない兄だとは思って居たが、神殿でまで不敬を働いていたとは。亜耶は、開いた口が塞がらなかった。
此れは、神殿の物。亜耶が幾度も八反目に言った言葉だ。あの全てが盗み取られた物だったとは、亜耶は知らなかった。
「いつも、何故一の兄様は神気に満ちた物を持って居るのだろう、って思って居たわ…」
「亜耶は無邪気だったもんね、盗まれたなんて思いも依らなかったでしょう」
でも、いつも走って返しに来て呉れた。綾が、亜耶の頭を撫でる。続いて、大龍彦も亜耶の頭を撫でた。
「触れられる様に戻ってる…」
驚く亜耶に、そりゃあな、と大蛇と大龍彦が同時に言った。
水鏡で澪と話して行かないか。時記に問うと、嬉しそうに女御館に付いて来た。今は大蛇の住処ともなって居る為、女御館と云う名称はその内変わるだろう。
「澪」
亜耶が呼び掛けると、また洗い髪の澪の姿。時記に其の姿を見せて良いかと聞くと、澪は構わないと言った。
「一の兄様が連れ込んだのは、采女だったらしいの」
「采女、ですか?」
「そう。そちらの国つ神が護って、杜では闇見出来ない女よ」
そうだったのですか、合点が行きました。澪は、言い乍らも時記を気にして居る様だった。
「大王には、肩に大きな黒子の有る采女と言えば通じるわ。真耶佳に伝えてね」
「はい」
其れでは、時記兄様と話をして頂戴。亜耶がそう言って水鏡の前を空けると、時記が其処に座った。
「澪、確認して置きたい。私で、良いかい?」
突然投げられた、妻求ぎの言葉。澪は顔を上気させて、はい、と頷く。
「時記さまこそ、私で宜しいのでしょうか…?」
亜耶から時記の気持ちを聞いたとは言え、澪は産女だ。本当に良いのか、と却って聞き返してきた。
「私は、澪が良いよ。腹の子にも、早く会いたい」
「──有り難う、御座います…!」
全てを受け容れると言った時記の言葉に、澪が喜びを噛み締める。八反目を思うと気が鬱ぐ。しかし時記を思うと、晴れやかな気持ちになるのだと澪は言った。
「きっと私達は宴の前のあの一瞬で、玉の緒を結んでしまったんだ」
八日後には行くから、待って居て。一緒に兄上の所に行こう。時記はそう言って、澪に笑い掛けた。




