三十九、悪阻
二月もすると、暑さも相俟って亜耶は悪阻に苦しんで居た。大蛇に肉を獲って来ない様頼み、ひたすら水菓子を飲む。一月早く孕んだ澪はけろりとして居るが、同じ時期に孕んだ真耶佳も亜耶と同じだと云う。矢張り同母の姉妹だ。
粥すらも重いので、暫くは大蛇の分だけを運んで貰う事にした。別に、戻す訳では無い。しかし食べると、酷く気分が悪くなる。特に魚の匂いなどは、頭痛の種だ。
「亜耶、痩せたな」
「…そう?」
「ああ、其れに神殿にも、神籬遣った時以来行ってないだろ」
そうね、と重い体を引き摺って、亜耶は神殿まで行ってみる事にした。勿論、念の為と過保護な大蛇も付いて来る。手には、しっかりと神饌を持って居た。
久し振りの外の空気は少し乾いて、日差しが真夏を告げていた。熊の乾し肉を持って来たのは、もう一月も前だ。鱗と同じ色の裳を着けた綾は迚も綺麗で、大蛇も渋々褒めていた。
しかし今日来てみると、綾は結局袴姿に戻って居る。碧い脚結も似合うのだが、蝶髷を結うのでちぐはぐな印象だ。以前は気にしなかった其れが、一度刻み付けられた美しさを思うと惜しくなる。
「今日は木の実?ちゃんと食べないと駄目だよ、亜耶」
綾は亜耶の違和感を気にせず、今日の神饌を値踏みした。神山の物だからか、良しとされた木の実に綾は直ぐに齧り付く。
「水菓子しか飲まないんだ、此奴」
大蛇が愚痴るのを聞いた大龍彦が、其れで痩せたのかと納得して居た。
「綾、楽にして遣る方法は無いのか?」
「無いよ、子を流す以外」
其れは駄目だ、と大蛇が慌てる。勿論、綾がそんな事をしないのは解って居るが、冷静な物言いに狼狽えた様だ。
「初産だからね。少し馴れないかも知れないけど、そんなに長くは続かないよ」
悪阻が終わったら、宴だね。綾がそう言い出して、亜耶もそう云えばと思い出す。巫王は悪阻が始まって以降足繁く御館を訪うが、其の話はして居なかった。
「大蛇、宴の何が厭なの?」
「何って…」
「亜耶、大蛇は人見知りするんだよ」
意外な一面、とでも云うのだろうか。大蛇が明かした綾を責めて居る。小埜瀬と一緒に舞台に上がるのが厭なのか、と聞くと、違うと大蛇は答えた。
「族の奴らに、見える様になっただろ…。あれから、声掛けられる事が多くてよ…」
男御館の湯殿など、最初は苦痛でしか無かったと言う。舞台の上では却って声を掛けられないのだが、大蛇は翌日からの話の種を撒く事すら厭らしい。
確かに族人達は、悪意無く距離が近い。一答えれば、十広がる。広げられた者は、面識が無くても親しく話し掛けて来る。大蛇に取っては悪循環だろう。
「馴れて、としか言えないわ…」
亜耶は気の毒に思い乍らも、そう言って見放した。如何しても厭なら、数日大窓から出入りして、獣道を行けば良い。其れだけは、教えて置いた。




