三十五、巫女姫の矜持
焼き立ての鳥を抱いて、氷冴は帰って行った。交代の時間からは、随分遅れている。大蛇は交代した舎人にも鳥を差し入れ、亜耶の元に戻って来た。
「舎人を餌付けする気なの?」
「いや、そう云う訳じゃ…」
「狩り獲る物は少ない方が良いわ」
ああ、と大蛇は苦虫を噛み潰した様に言った。氷冴の無邪気な期待が、幼い頃の巫王や時記と重なって見えたと云う。長く生きるのも大儀な物だ、と亜耶は思った。
「ねえ、乾し肉はいつ頃出来るの?」
諫める口調をがらりと変えて、亜耶は明るく問い掛ける。神籬の約束をした、と言えば大蛇が渋々差し出すのを知って居て。
「お前のお陰で、もうだいぶ乾いてる。どの位持って行く?」
「綾が食べる分だけで良いわ」
今回からは、綾が裳を着けるのよ。そう言うと、大蛇がやっと興味を持った。
「大昔は女装束だった様な気もするんだが、綾に裳か…」
「何でそんなに複雑な顔をするのよ」
やっと、剥き出しの白い足を晒さないで海に入って呉れる。そう喜んで居る亜耶に、大蛇は辛辣だった。
「だって、彼奴の何処に女らしい丸みが有る?」
此れには亜耶も、黙って仕舞う。確かに、綾に亜耶の様な撓わな胸乳は無い。上背が高くて、少し肩も張っている。やっとの事で亜耶は、尻、と答えた。
少し日が傾いた頃だろうか、亜耶は婆の訪問を受けていた。澪の孕み着が出来たと言うのだ。相変わらず婆は針が速い。今回は一籠で済んだ衣に、亜耶は少し安堵した。
「亜耶さまの分も、直ぐに繕います故…」
頭を低くして言う婆に、亜耶は笑う。私の分は、腹が出て来たらで良いわ、と。婆には、一晩休みを与えた。その隙に亜耶の分も繕って仕舞いそうだとは思ったが、婆も眠そうだったのだ。
婆が去り際、孕むと眠気が多くなると教えて呉れたので、少し亜耶は安心する。そして、澪は矢張り無理をして居るのでは無いか、と心配になった。
真耶佳が孕めば、仕事は増える。信頼出来る側女を得たのは良いが、他の者は如何なのか。澪には此れから悪阻が来るのだし、一度闇見して置いた方が良い。
澪を纏向に送り込んだのは、亜耶だ。持てる責任は持たねばならない。そう決めた亜耶に、大蛇は気負い過ぎだと言った。
「綾は、何も言ってないんだろ?少しは自分の子の事も考えて呉れ」
澪には綿津見神の護りが有るから、大丈夫だ。そう云われても、亜耶の不安は消えない。
「澪は何か有ったら、言ってくるだろう。信じて遣れ」
「信じて居無い訳では無いのよ…。泣き言を言わない子だから、気になるの」
「俺は、お前の心が宮に行っている事の方が気になる」
禊を止めても、巫女としての矜持を持って宮の様子を伺って居る。其れこそが心配だ、と大蛇は言い募る。魂離りには霊力だけで無く、体力も使うからだ。
「闇見なら、八津代にも出来る。少し、力を抜け」
「…分かったわ」
渋々亜耶は納得して、大蛇に白浜まで赤米を運んで呉れる様頼んだ。明後日には陸に小舟が出る。澪の孕み着と共に、送って仕舞うから。




