十五、朝
吹雪を引き裂いて、蛟龍が海から上がって来た。其の気配に、抱き締め合って祈った亜耶と大蛇は目を見張る。蛟龍は、神殿に大龍彦と綾を届けて掻き消えた。現の事とは思えず、亜耶は呆然とする。
「亜耶、雪を止ませて」
人の足で床に降り立った綾が、不思議な事を言った。心なしか、普段より質の良い衣を着ている。白い長衣に白い袴、碧い脚結。其れは変わらない。けれど何か、気配が違った。
大龍彦も其れは同じで、白波の髪を長さが足りなかったのか半美豆良に結い、白い上等の衣と袴を着けている。脚結の色は相変わらず白だ。
二人が戻ってから、海が荒れる音はもう聞こえて来ない。雪を止ます、とは何なのか。
「此の雪は、異世の雪。亜耶の起こした、吹き荒ぶ雪」
もう、夜明けだ。雨の季節の晴れ間だよ。そう言って綾は、亜耶の両頬を優しく包んだ。
「私、の、雪…」
「そう。綿津見神様は亜耶には怒って居無い。知ってるでしょう?」
こくん、と亜耶が頷く。次第に吹雪は弱まり、朝日の出づるを空の色が知らせ始めた。
「綾、何で足…大龍彦にも、角が無いわ」
徐々に明るくなる神殿の中で、亜耶は気付いた事を訥々と述べる。同じ日に角を落とすなんて、やっぱり双子だね。そう笑う綾に、亜耶は付いて行けない。
「正式の、妹背になった。綾はもう、魚の足には成らない」
大龍彦が、亜耶に助け船を出した。しかし其れも、亜耶には分からない。正式の妹背とは、今までは何だったのか、と。
「ごめんね、亜耶。僕は亜耶を追い詰めて、独りにさせたね」
綾が、亜耶を抱き締めて詫びる。亜耶は綿津見神の導き通りに動いただけなのに、と。
「導き…?私は、…綾、ごめんなさい、綾…!」
綾を傷付けようとした。亜耶の記憶が、鮮明に甦る。綾が、首を振って其れを制した。
「僕は、亜耶に大龍彦の子を生ませようとしてた。ずっと、昔から」
大蛇はもう千年待てば良い、そう思って居たと云う。亜耶は稀女だから、此れを逃してはならない。そう思って大蛇から遠離けようとしたとも。
「待て、お前亜耶を日陰者にする気だったのか!?」
途中で、大蛇が大声を上げた。大龍彦の子を生むと云う事は、実際そうなのだろう。
「綿津見神様にも大龍彦にも、同じ事を言われた。僕は、そんな事も考えられなくなってたんだ」
「…大蛇は、遠離ってなど居無かったわ」
綾の思いが有ったからこそ、大龍彦は亜耶に触れられなくなった。そう分かって、亜耶はあの時の綾の蒼白の理由を知った。其れよりも、正式の妹背とはどう云う意味、と亜耶は訪ねた。
綾には大龍彦と添った時から、他の者と共寝をすれば水泡に消えると云う呪いが掛かって居たそうだ。其れは大龍彦と綿津見神の間で交わされた誓いで有り、大龍彦も同じ呪いを望んだと。
けれど綾は、大龍彦が子をもうける機会を失わせたくは無かった。だから、一人で呪いを受けた。大龍彦が幾ら望もうとも、千年待てば生まれ来る稀女を見るまではと無視をした。
そして、亜耶が生まれた。自分と同じ音の名前を持つ巫女姫に、綾は希望を託そうとした。大蛇の事は、常に意識の外に在ったと云う。
「今回禍つ霊で傷が出来て、治すには大龍彦の霊力が必要だった。其れで、大龍彦も同じ呪いを受けたんだ」
大龍彦の角が無くなったのは、其の所為、と綾は一旦言葉を切った。
「角が無くても、人では無いのね。杜の守神に、二人で成ったと云う事かしら」
二人は未だ、亜耶の闇見の対象になって居無い。其れを踏まえて考えれば、御使いで無く神になったと言う方が正しいのだろう。神に為って仕舞えば、禍つ傷など一夜の共寝で治せる。亜耶はそう、巫王から聞いて居た。
「亜耶、僕を許して呉れる?」
「許すも許さないも無いわ」
「じゃあ、祝りの舞を舞ってよ」
日が昇り切ったらで良いから、と綾がせがんだ。丁度神饌も有るし、と大蛇の焼いた鳥を指さす。
「良いわ。綾が教えて呉れた舞で良ければね」
快く了承した亜耶に、大龍彦も嬉しげだ。大蛇は一人、少し不機嫌な様を見せて居るが、異論は無いのだろう。無言で亜耶の乱れた衣を直して居る。
「ねえ綾、鱗をひとつ頂戴」
「ああ、集めて呉れてたの?」
「額飾りにしたいわ。私達への祝りに、作ってよ」
亜耶も一つ我が侭を言って、雪の欠片さえ残らない地で舞う為に階を下りた。




