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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇

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十三、白い闇

 大蛇(おろと)は、人の身に落ちても只人(ただびと)になった訳では無い。証拠に、今も女御館(おなみたち)の大窓から出入り出来る。入口の舎人(とねり)にはもう姿が見えて仕舞うので、そうせざるを得ないと云う方が正しいが。

 中途半端に捌いた鳥を、人目を盗んで取るのは苦労した。けれど亜耶の為。綿津見神(わたつみのかみ)の怒りを少しでも鎮めようと、神饌(みせ)にする為に鳥を焼く。本当は亜耶に食べさせたかった鳥だが、また今度山に入れば良い。

 部位毎に笹の葉に乗せれば、完成だ。亜耶が敢えて、大蛇を神殿(かむどの)から遠離(とおざ)けたのは知って居る。其れでも同じ罰を受ける側に居たいのだ、と。大蛇は宿り木の向こうに急ぐ。其処は未だ、吹雪だった。




 少し、眠ったのだろうか。亜耶の元に、綿津見神がお出でになられた。いつも通りの鯰髭(なまずひげ)で、愛おしげな目で亜耶を見る。

「千年に一人の巫女姫の、神殿(かむどの)での孕みだ。私は、(よみ)するよ」

 どうか大蛇を宜しく、共に生きて呉れ。あれも、海で育てられた子なのだから。そう言って、綿津見神は笏で亜耶の頭を撫でた。

「綾は私が(しか)と戒めて置くよ。だから何も、心配は無い」

 お怒りでは無いのか、眷属を傷付けたのに。亜耶は問おうとするが、声は出ない。

「さあ、お目覚め」

 そう云われると同時に、亜耶の意識は神殿へと戻って来た。外は未だ、吹雪。海の音も囂々(ごうごう)と響いている。

 そんな白い闇の中から、急に人影が現れた。近くが見えない程、非道く吹雪いて居たのか。

「亜耶」

「…大蛇?」

 折角遠離けたのに、と亜耶は声を上げる。階を上がって来た大蛇は、最初に神饌を広げた。綿津見神を敬わない大蛇が、何故。珍しい事だが、亜耶は大蛇が其れだけで去ると思って居た。しかし大蛇は、其の侭亜耶の横に来て座る。

「亜耶、俺も罰を受ける。妹背(いもせ)なのだから、独りで受けようとしないで呉れ」

「大蛇…」

 亜耶の声が、優しさを帯びた。

「夢に、綿津見神様がお出でになられたわ」

 大蛇の肩にも毛皮の(おすい)を掛け乍ら、亜耶は言う。神殿での孕みを嘉された事、大蛇を頼まれた事。

「爺…じゃあ、今怒ってるのは何なんだ…?」

 確かに波も、神殿までは来ない。綿津見神が怒り狂ったら、神殿ごと波に(さら)われよう物を。吹雪の中にも雷の姿は無く、ひたすら風荒ぶだけ。

「其れにお前、孕みって…」

「孕む孕まぬを気にせず寝たのは、初めてね」

 微笑む亜耶を、大蛇は何も言わず抱き締めた。望んでいた物、待って居た物。全てが全て、腕の中に在る。

「此れで綾に、何も言わせねえ…!」

 大蛇は知れず、亜耶を抱き込んで涙して居た。得られなかったかも知れない幸せを、やっと得たと。

「大蛇、私幸せよ?未来(さき)が見えぬ不安も消えたし、何より大蛇が居る」

 でも、(みお)が。亜耶は其処で声を低くした。分かって居れば、時記(ときふさ)に任せた物を、と。

「澪は、お前を恨まねえ。其れは、あいつの真実(まこと)だ」

 未来を見て泣き腫らしては居たが、其れだけは違えない。澪に取って亜耶は、幸せを運ぶ存在なのだ。

「澪…早く、謝らなくては」

「そんな事、あいつは望んじゃいねえよ」

 先ずは、この白い闇から抜け出さなくては。大蛇がそう言うと、亜耶は朝までは止まないわ、と応じた。

 亜耶の体を冷やしたくなくて、大蛇は更に抱き締める。寒くは無い、と亜耶が言った。

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