十一、綾の血
もう綾の元に行かないで、言って涙を落とした亜耶を、大蛇は無言で抱き締めた。亜耶、と耳元で囁く声は慈しみに満ちて、愛されて居無いのが嘘の様だった。
「俺はあの時、亜耶が愛しいと言ったんだ」
あの時、とは。通い始めた夜の事か。亜耶は、綾を愛する大蛇を受け容れたと思って居たのに。
「お前は幼くて、混乱させるだけだと思った。だから、思い違いを否定しなかった」
悪かった、と大蛇は詫びた。亜耶は、なんでと大蛇の胸を叩く。何を先程綾に強請って居たのか、と。
「綾の血を貰えないかと、交渉してた」
断られたけどな、と大蛇は続ける。諦め切れずに宿り木の上に居たら、亜耶がぼんやりと歩いて来たとも。
「何で綾の血が、必要なの…?」
「海に住まう綾の血は人の身には不老長寿の薬だが、鬼に取っては角を落とす毒だ」
亜耶と沿いたかったから、綾の血を求めた。大龍彦が小太刀を大蛇に渡したのも、其の所為だ。大蛇を人の身に落とす為、大龍彦は協力したのだ、と。
「大龍彦と違って、俺は妹背の姫には千年会えぬと言われて居た」
「千年…」
「其の千年目に生まれたのが、亜耶、お前だ」
巫王の元で亜耶を抱き上げた時、何者にも代え難く愛おしかった。此の娘の為なら、何を失っても痛くは無いと。其れなのに、亜耶の手を汚させた。綾が記憶を千切り取ったのは、亜耶に負い目を残さぬ為。
「綾も、知ってたの…?」
「予言自体は知って居た筈だ。何故俺に血を呉れなかったのかは、知らねえが」
亜耶、俺の妹になれ。そう言って、大蛇は亜耶に深く口づけた。亜耶の口の中に、普段とは違う生魚の様な味が流し込まれる。綾の血が、混じっているのだ。其れは、亜耶の定められた生を延ばすと云う事。
「私は、大蛇と同じだけ生きるのね…ずっと、妹背として」
ゆっくりと、大蛇が亜耶を押し延べて行く。亜耶は拒まずに、大蛇の頬に触れた。
「澪には、謝っても謝り切れないわ…私達の婚いが、一の兄様を殺すのだもの」
「俺が人になったから、見えたって事か」
「ええ、きっと澪にももう見えて居る」
酷な事を重ねた、と亜耶は泣いた。大蛇は構わず、亜耶の衣を解く。
神殿の外は、降る雪が吹雪となって吹き荒んでいた。此の吹雪は、宿り木の向こうには荒んで居無い。きっと族人達は、霊威だと怯えている。亜耶と大蛇が神殿で交っているとも知らずに。
「綿津見神様を、怒らせたわ…」
亜耶はもう一度其れを言って、全てから目を塞いだ。
大蛇が手を離すと、亜耶は脇目も振らず綾の鱗を集めた。二人が戻るまで此処に居る、と大蛇に告げ、衣も直さずに蹲る。
すると、大蛇が其の背に毛皮の襲を掛けて、水鏡を見に行くと言った。
「お願い、澪はきっと、泣いているから」
可愛い妹姫に心を添わせ、亜耶は鱗を手遊ぶ。綾に、謝らなければ。きっと大龍彦も、怒って居る。御使いを怒らせる怖さは知らないけれど、綿津見神様を怒らせる怖さは杜に長く伝わっている。
独りで其の全てを受ける覚悟をして、亜耶は大蛇を神殿から遠離けた。




