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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇

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九、小太刀

 酒が、澪や真耶佳を困らせて居た頃。亜耶は加供殿(かぐどの)に来て居た。鍵は掛かっているが、指で弾くと直ぐに開く。

 中は、つい最近荒らされたと云った風情だ。もしかしたら、綾は先に此処で水鏡(みずかがみ)を探したのかも知れない。其れ程、加供殿の中は酷い状態だった。

 窓の無い建物に、灯りなど用意して居無い。指先に異世火(ことよび)を呼び、昏い中を見て回る。

 外から見るより広い加供殿に驚き乍ら、亜耶は探す。亜耶の作り出す幻では、綾に掻き消されて仕舞うから。遣り込める事が叶うとは、思って居無い。ただ少し、傷付けたいだけだ。何故そんな思考になったのか。平時ならば疑問に思うだろうが、其れは今の亜耶には降りて来ない。

「私だって…()()だ…」

 小さく呟くと、加供殿の扉側の角からかたんと音がした。倒れてきたのは、小太刀の様だ。手に取れば、其処には巫王(ふおう)の封印。

 蹈鞴(たたら)を踏んで(くろがね)を作る何処かの豪族が加供(かぐ)として贈って来たが、切れ味が良すぎて(まが)()とされた物だ。柄を掴むと、封印の紐がはらりと解けた。此れを持って神殿(かむどの)に行け。何かがそう、伝えてくる。

 試されている、そんな事は知って居る。けれども此れならば、綾の鱗にかすり傷を付けられるかも知れない。亜耶は紐ごと小太刀を持って、無心で神殿へと向かった。




 神殿の(きざはし)には、もう誰も居無い。綾に振られて、大蛇(おろと)女御館(おなみたち)に戻ったか。中から聞こえるのは、綾の甘い息づかいだけだ。

 亜耶は初めて、(くつ)も脱がずに神殿に上がり込んだ。

「亜耶…?」

 見付けたのは、太股を剥き出しにした綾の姿。神座(じんざ)の上に寝転んで、昼の共寝の気怠さを醸し出して居る。

「ねえ、どうしたの、亜耶」

 亜耶は、自分が表情さえ無くして居る事に気付いて居無い。既に綿津見神の傀儡(くぐつ)であるのだ。亜耶はただ綾の側に行き、小太刀を抜いた。

 太股だった筈の物が、魚の尾鰭に変わる瞬間。尾鰭は神殿の床を打って、びちりと鳴った。




 気が付いた時には、海が荒れていた。小太刀を抜いて何をしたのか、思い出せない。ただ、綾の尾鰭が散らした鱗が目の前に散らばっている。

「大蛇!まだその辺に居るんだろう!?受け取れ、お前の物だ!」

 大龍彦(おおつちひこ)が何を叫んでいるのか、意味が分からない。何故、亜耶が持って居た筈の小太刀を、大蛇に渡すのかさえも。

 小太刀には半透明のぬるついた碧い液が付いて、綾が大龍彦の腕の中で同じ色の血を流している。大龍彦は疵口をきつく絞るが、血が止まらない。

「あ…私、何を…?」

 大龍彦は答えず、尚も神殿の外に向かって叫び続ける。

綿津見(わたつみ)のおっさん、大龍(おおつち)を寄越せ!」

 大龍彦が叫んだ途端に海が割れ、其処から巨大な蛟龍(みずち)が湧き上がった。幾重にも体を(くね)らせた蛟龍は、綾を抱く大龍彦ごと飲み込んで海へと還って行く。

「綾!大龍彦!!」

 もう亜耶が叫んでも、聞こえて居ない様だ。透明な蛟龍の中、此方からは見えるのに。

「亜耶、落ち着け」

「大蛇…何をしてるの!?」

 べろりと赤い舌が、小太刀に付いた碧い血を舐め取って行く。刃の両面を舐めて、大蛇は小太刀を床に投げ出した。

(くろがね)の小太刀よ、危ないわ」

「綾の鱗を貫いたんだ。此奴はもう只の(なまくら)だ」

「貫い、た?」

 何を言われて居るのか分からない侭の亜耶に、大蛇が近付いて覗き込む。

「記憶が千切り取られてる。綾だな」

 結論付けると大蛇は、安堵した表情になる。其れから下を向いて、幾度か咳き込んだ。弾みで、両の角が神殿の床に落ちる。重そうな音を、二度も立てて。

「大蛇…何で、角…」

 亜耶の中で靄が晴れていく。未来(さき)の見えなかった靄。其れが、大蛇の変体と共に晴れていくのだ。

「…私、大蛇の(いも)に成るのね。其れは苦しくとも幸せな事だわ。でも──」

 綿津見神様(わたつみのかみさま)がお怒りね。亜耶はそう、か細く言った。

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